人を幸せにする人になろう

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◆このあいだ、大阪府の土屋みづほさんが、栄原先生のところに資料をもってきたので、一緒に見せてもらった。これは近々、報道されるので、あまりしゃべれない。ニュースバリューは以下に書くこととは別。
◆で、話は飛躍するが、軽寺、五条野丸山古墳の北にある古代寺院、軽寺式の標式遺跡、あれは蘇我系境部氏の氏寺ってことはない?、と思った。軽寺については、和泉市坂本寺から軽寺式が出ていて、昔、資料を集め、実測などもし、『市大日本史』に報告した時から興味があった。その時から、軽寺ってなんだろうと思っていた。丸山の菩提寺ちゃう?。飛鳥寺式から派生したもので、蘇我系だわなっと。小澤さんの稲目説とも整合するか、とも。
◆で、テルちゃんの論文で、あのあたりが「境」・「坂合」と呼ばれていたというのを呼んでいたので、(そこに今回の大阪府の新出資料が一枚かんで)、上記した発想に至った。畝傍山東麓部の蘇我氏の本拠地にある寺、馬子の弟とされるのがサカイベノマリセ、それは境という地名を冠した蘇我の境部のマリセということ、だ。
◆大脇さんの書いたものを引っ張り出すと、軽氏、大軽氏、などと書いてある。こいつらがなにものか知らないが、蘇我氏一族の境部の氏寺と考える方が、7世紀前半の軽寺建立に見合うと思う。どうでしょうか。そういや古代の瓦の研究会で、軽寺式をやってたことがあったな~。そこではどうなってんだろう。
【追記】02/25に現地に行ったが埋め戻し中だった。まあ遺構がきっちりでているわけではないので。前に和泉の古代寺院をぜんぶ学生とまわったことがあるが、前に来た時は、まあなんにもないとしかいいようがなかったが、調査地を訪れ位置の感覚がえられた。

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雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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