人を幸せにする人になろう

上野の条里

◆学内のある原稿を、やっと出した・・・。もう18時をまわってしまったが、これでひとつ終わりと。
◆こないだの条里制研究会で、群馬県の方が上野の条里の発表をしていて、いちばん興味があった。その前に昨年のニンジャ君の発表が論文になっていて、会誌を読んでいたが、まあ細かいことがいろいろ書いてあって、さっぱりだが、項目としては勉強になります。が、前提が条里はずいぶんあととの認識で、土地区画がなくても班田できるんだとか、やはりそういう論調だし、やはり文献からすると8世紀以降の話しかできない、ということもよくわかる。
◆でまあ、この上野の発表は楽しみにしていた。両側の河川から水を引いてくる水路の年代が8世紀中頃で、ケイハンの下の区画溝の遺物は8世紀後半で、と結論は8世紀後半としつつ、児玉条里と同じく7世紀後半にさかのぼる可能性を示唆する。8世紀前半には面的に施工されていた、というところまで、まずはいかないかなと希望するが、それは発掘の蓄積を待つほかないだろう。なんや8世紀後半かと資料では感じたが、報告者と話をしてみると、さらにさかのぼるとみているようである。
◆資料にも児玉条里の引用はあったが、こっちと同じく『月刊文化財』で、ソースは同じだが、そ こはちゃんと埼玉県の報告書を見ておられるようで、畦下の埋納坑の土器は7世紀後半なんだそうです。すごいヤンケ。7世紀後半でっせ。関東では条里の研究会が行われているようで、どんな論調なのか知りたいところであるが、是非、『条里制・古代都市研究』で、児玉条里の土器埋納坑の遺物を報告してほしいもの。それと残念なのは、昨年の静清条里の報告が掲載されなかったことで、これについても、第2東名だか90年代の盛り上がり時には8世紀中頃みたいな話だったかと思うが、その後の成果があるかどうか知らんが、どこまでさかのぼりうるかということと、面的施工だという点を、是非、次号に掲載してほしいものです。
◆で、群馬のこういうよくできた労作の図を見ると、ついうれしくなってしまいますね。A3片側だけのスキャンで、この右側もあります。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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