人を幸せにする人になろう

久津川車塚2017年8月8日(火)最高気温32度 第2週

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、長、大澤(大M1)、園原・吉村(立命M1)、川北(京大 M1)、田口(奈良大4)、合田・松井(市大3)田・前田・山口・山崎(立命3)、上野(奈良大2)。
昨日の21時頃、犬走まで滞水したそうである。プで排水してくれており、朝9時現在、残るは周濠底くらいまで水抜きされていた。ひとまずシートを壁の真ん中くらいまで引き上げ、石の目地出し作業に入れるだけ取り掛かる。一方で、北側の拡張、底面で東西長1.5mに設定してドカ掘り(2番目の写真)。残りは、周濠底の排水と、南壁にヤマが入り(最初の写真)、洪水層が奥行30㎝程度崩落していたので、その排土を行う。なお、予想されていたことではあるが、砂層部分は中身が抜け、上の粘土が切れて砂層部分に垂れていたりする(これも粘土で目張りをしてみました)。
◆11時頃から雨となり、通り雨とはいかない空模様。12時に昼休みとするが、雨が きつくったので、石出し部のみシートをかける。昼飯。雨がきつく、人数も多く、テントのなかで席を確保するのも難しい状態ながら、とにかくメシ。かなりの降雨が続いたが、13時からある程度経過したころに上がってきた。まずは土嚢つくり(50くらい)。その間、再びたまった雨水をポンプアップし、底くらいになった時点で、ヤマで崩落した部分に積み上げて、手当をした(3番目の写真)。以下、石の目地出し以外の箇所について。
◆まず拡張区。全面にわたって暗灰色堆積土が水平に出てくる。陸橋の始まる部分の後円部基底 石がきれいに連続して出てくる(写真4)。北壁に近い最後の2石は、石を立て、面を外に
向けている。その外に礫などはない。暗灰色砂質の濠内堆積土を取ると、黄色マンダラ土の置土が水平に検出され、掘りあがる。とはいえ、陸橋北側の落ちはない・・・。あ、さて次の一手は?。
◆後円部と陸橋の谷部をほじってもらう。谷筋かと思われる葺石、そこから陸橋側面に15㎝程度の石が2石ならぶが、あとは握り拳大の礫がきれいに出てきている。上面の削平面で見えていた状況の通り(当たり前ですが)。しかし陸橋の墳丘側から1m程度のところより遠いところになるとなくなる(これも上面での所見の通り)。後円部から続いて
くる列石はかなり大きい。谷部の様相は明日にはほぼ見えるだろう(写真5)。黒シャツ田口のいるところが谷ライン、その左側に礫が見えている。水車形埴輪がほしいところである。ちなみに、手前のところ、後円部の基底石のならもおよそ出ている。
◆第4Qになってようやく晴れ、カンカンと西日があたる。が、周濠底は
泥という状況。上の方の石はだいぶ渇き白くなっている。明日は上は掃除機の投入でしょう。
◆今日初日が4人いたが、いきなりの雨、ドロドロ、最後のカンカン照り、発掘は過酷なものという印象をもったのではないか。これもまた発掘。
◆このトレンチ、今週にはカタがつくだろう。掘り上げて写真、計測、20分の1平面図と層位図はチャッチャとやるべし。10分の1の石図も早めにやってもいいかもしれない。このトレンチの壁を、予定9月9日の現説までもたさないといけない。雨が来て、壁が崩れると復旧がなかなかしんどいことになるので、掘り上がりの記録を終わっておくに越したことはない。
【今日のひとこと】オッサンらには源氏湯が必要。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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