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倭国王帥升問題

◆で歴博論文から一歩進めたとすれば帥升のこと。これがヤマト国王の可能性はあると思うが、発表では断定は避けよう。が、以前は2世紀初頭ははるか前、倭国乱があり、卑弥呼が来て、古墳はもっとあと、これが80年代。しかし古墳の年代は上がり、そしてまた庄内式があがり、2世紀に既に畿内に求心力がある蓋然性が高まったわけです。それが今回の発表の本質。歴博の論文では、帥升のことを書きながら、それは1986年の岡村論文の域を出ていない。が、今回の庄内式の検討を鏡から検証することで蓋然性が高まると、それは107年に限りなく近づく。庄内0式は2世紀第2四半期にしているが、歴博は100年前後と考えており、データ的には可能性アリとみている。が、後期の開始年代を含め、後期土器の配列はまだあのデータでは無理。なので、第2四半期にいまはとどめている。
◆いずれにしても、1世紀後半には肩をならべ、2世紀には纒向ができ、そこに人が集まってくる求心力をもっている。その端境期がちょうど倭国王帥升なのである。そう考えると、1世紀後半のなかの東方社会のネットワーク化の進行により、ヤマト国を押し上げていく、それによりそれまでなかった「倭国」が誕生した可能性はある、と思う。帥升がイト国王なのかヤマト国王かは決められやしない。別にイト国王で構わない、そうではあっても、趨勢からすればその直後にヤマト国に転換する。端境期というのはそういう意味で、107年がぎりぎり北部九州であれ、ほぼそのあたりが転換点で、ヤマト国を代表とすることになるのは時間の問題。むろんどっちと考えるかは歴史的に重要だが、どっちが蓋然性が高いのかは、今後の研究で見極めればよいのだ。いずれにしても、その辺が転換点であることはもはや動かないわけです。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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