人を幸せにする人になろう

加古川東高校地理歴史考古学部『温故知新』第9号

◆片付けはじめ、『難波宮跡の保存と裁判』と87e88900.JPGa717a53f.JPGいうd0e32c2c.JPG厚い本を本棚に入れるスペースを作りだすためにあさっていると、高校時代の部誌が出てきた。だいたい保存はしてきたであろうが、引っ越しを繰り返し、そんなものどこにあるのかわからなくなっているものも多い。で、新しいモノを入れるには、古いものを廃棄していくことになる。本も図書館に入れるものは入れるが、捨てるものもすくなくない。
◆で、『温故知新』第9号(1981年春)が出てきた。はじめて原稿なるものを書いたやつが載ったモノだが、いまからゴミ箱行きに処したい。その前の夏に発掘した播磨山崎城の発掘調査概報が載っている。石垣の図面はオレがトレースしたモノではないが、そのあとの土層図は字から見てオレのトレースですね。ただし、この1980年の発掘段階は、軟式テニス部でまだチレキブに入っていないので参加していない。表紙の題字は、K岸Y洋とわざわざ書いてある。京大経済学部に行き、11月祭事務局長をやり、M商事と、超エリートコースをたどったが、いまどうしていますかね。たぶんもうエライさんになっているだろう。
◆本文と図面が別になっているのは印刷方式が違うから。本文はいわゆるガリ版刷り。図面は薄緑色の原紙にサインペンみたいなヤツで書いていた(さすがにロットリングはなかった)。でbb2a8a9b.JPGもどうしてたんでしょうね。複写機はあっただろうけど、縮小コピーはできないんとちゃうかな。縮図を作ったのかな。でもそれを原図としてトレースは?。謄写台みたいなもんがあったんかな~、覚えちゃいない。
◆秋の学祭の時には『ナイル』というやつを出していた。手元にある『ナイル』第24号は、その1981年秋のもので、加古川市・高砂市全域の道標を調べた報告書である。これはよくできたものなので、これはいましばらく保存しておこう。その扉のデザインはオレがやったが、けっっこう気に入っていたことを思い出す。中学校くらいの時にレタリングに凝っていたし、この時は、古市さんが撮ったいい写真があり、それをシルエットにした(モデルは、右から、オレ、是沢君、吉井君である)。
◆高校のチレキブもなくなった。大阪市大の考古学研究会もなくなった。京大の考古学研究会はまだあるんかいな。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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