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大学の変化

◆なんで大学って、こんなんになってしまったんかね~、とはカミさんの弁。

◆1991年、いわゆる大綱化 以下、Weblio

 個々の大学が、その教育理念・目的に基づく特色ある教育研究を展開できるように、制度の弾力化を図るために1991年に実施された学校教育法・大学設置基準など関連法令の大幅な改正。この改正により、従来詳細に定められていた教育課程などの基準の詳細の部分が削除され、基準の要件が緩和された一方で、教育研究の質の保証を大学自身に求めるという方針の下、大学による自己点検・評価が努力義務と定められた。この大綱化の動きは、後の認証評価制度の創設の契機となった。

◆教養課程と専門課程の見直し 以下、ウィキ

 戦後の日本の大学においては、ほぼ全ての大学に一般教育科目の教育を行うために教養課程が存在した。この教養課程における教育研究を行うために、教養部等 の名称を持つ専門の組織や専用の校舎をおいているところも多かった。その後、1974年に広島大学が教養部を総合科学部へ改組したのを皮切りに、大学設置 基準が大綱化した1991年以降、教養部所属や教養課程担当の教員を他の学部へ移動したり、独立した教養部を4年制の学部へ改組したりする事例が増加し た。これによって昨今では、教養課程と専門課程をはっきりと区分している大学が減る傾向にある。代わって、一般教育科目と専門教育科目を在学中にいつでも 履修できるようにした、いわゆるくさび形教育課程(四年一貫とも言う)が増えつつある。

◆大阪市大は1998年に学科が再編される。教養課程と専門課程の乗り入れ、教養枠教員が撤廃される。

◆シラバス もうちょっとあとか?

◆講義内容の簡単なものをまとめた冊子はどこでもあった。2000年に市大に来たときももちろんある。1999年度、記念物課長がシラバスという言葉をしゃべってた。なにそれ~。アメリカ式の講義計画を導入しようということは既に文科省で議論されていたに違いない。90年代後半くらいから文科省の指導が進むのだろう。2000年段階では、しかし冊子の名前はシラバスではなかった。で、どっからか、数年後に、共通教育科目について15回の内容をならべることが導入され、文学研究科の専門課程では数年前だった。でいまは履修の手引きと(入学時のみ配布)、当該年度の授業案内が2分冊化し、後者はシラバスという名前になる。以下、ウィキ。

 この言葉は、米国の学校で慣用され、近年、日本の学校でも流行しているが、ヨーロッパの学校ではあまり用いられていない。米国の学校においては、個々の講座の独立性が強く、教員も外部からの人材が多いために、シラバスは講座の教育方針や教員の連絡方法その他の情報を含んでおり、学生にとって不可欠なものである。教員の多くが学校に所属し、学校としての統一的な教育方針が求められる日本では、シラバスは、もっぱら単なる授業計画の同義語となってしまっている。この奇妙な似非ラテン語は、一時の流行にすぎない可能性もある。

◆15回きっちりやること、休講の場合の補講、評価方法の明示、出席の重視など、文科省の指導の下、かなり裁量にまかされていた部分がきつくなってゆく。京大文学部などでは、カウントすれば、年の半分くらいしか授業をやっていなかったと思うし、出席をとることはないし、こっちも授業に出ていなかった。いまは、休むと学生からクレームが来たりする時代である。しかしこれが、大学という自発的・自主的な学びこそ重要な時期に、指示待ち人間を育成する温床となっているのである。

◆大学院重点化(部局化)1990年代後半~2000年代 以下、ウィキ

 従来の国立大学は学部を基礎に教育研究組織が作られ、大学院は学部に付加されるものとされてきた。具体的には教員は学部の教員であり、大学院を兼務することになっていた。(中略)
 1990年代以降に東京大学が先陣を切り、1991年に東京大学法学政治学研究科、翌1992年に京都大学法学研究科、1993年に北海道大学理学研究科がそれぞれ重点化。その後、旧帝国大学などが相次いで大学院重点化を行い、2000年度までに北海道大学、東北大学、東京大学、一橋大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の9大学で全部局の重点化が完了した。

◆国立大学のコピーである公立大学もそれにならい、大阪市立大学では2001年にそうなる大学院前期入試(9月)が始まる(2月はマスターでは再募集的な意味合いに)。なんらかわりないんですけど、大学院文学研究科の職員ということになる。影響は、大学院が本体、学部がおまけとなり、大学院は定員を打ったらそれを満たすべしということになる。で、各地で再編時に大学院生の定数をたぶん拡大し、多量の進学者を生み出したが、「大学院は出たけれど・・・」という若手研究者の就職難をもたらすことになる。かつては、大学院に行くかいかないかが大きな分かれ目であったが、いまはマスター後にドクターに行くか行かないかが分かれ目となっている。マスター後の一般就職も少なくないわけだが、いずれにしても、いまの就職の厳しさもあり、そんなに進学希望者が多いわけではない。需要が大きくないのに、定員を満たすために、取る努力をする。大学院生のレベルは下がる・・・。これ2000年代前半、でいまも続く。いまは定員の充足率が問題にされているため、増やした定員を減らすようになってきている。元に戻ったわけだ。

2001年度編入学試験開始

◆2002年度からのCOE21世紀COEプログラム 以下、web

 「大学の構造改革の方針」(平成13年6月)に基づき、平成14年度から文部科学省の事業(研究拠点形成費等補助金)として措置されたものです。
 我が国の大学が、世界トップレベルの大学と伍して教育及び研究活動を行っていくためには、第三者評価に基づく競争原理により競争的環境を一層醸成し、国 公私を通じた大学間の競い合いがより活発に行われることが重要です。このプログラムは、我が国の大学に世界最高水準の研究教育拠点を形成し、研究水準の向 上と世界をリードする創造的な人材育成を図るため、重点的な支援を行うことを通じて、国際競争力のある個性輝く大学づくりを推進することを目的としています。

◆さて、COEの次はGCOEとしてさらにグレードを上げ絞ったわけだが、COEで拠点整備したそれぞれのところは、いまどうなっているんだろうか。再検証はまだだろう。ま、する気もないか。頭脳循環とかリーディング大学院とか、次々に新メニューが作られていく。

◆2004年度、国立大学の法人化

◆2000年度以降の検討により2002年報告とりまとめ、閣議決定、2003年法案成立、2004年度から国立大学法人に移行した。ウィキによれば、 法人化により一斉に新設された「理事」に、ほぼ例外なく文部科学省の職員が出向している、ということである。大阪市立大学も2006年度に公立大学法人となる

◆2004年度、大学の認証評価の義務づけ 以下、web

 国公私の全ての大学・短期大学・高等専門学校(以下「大学等」という。)は、定期的に、文部科学大臣の認証を受けた評価機関(認証評価機関)による評価(認証評価)を受けなければならない。2004年4月に導入される。7年ごとに、総合的な状況の評価(機関別認証評価)を受ける。(財)大学基準協会、(独)大学評価・学位授与機構、(財)日本高等教育評価機構から、大学が選択する。工学系では、別途、1999年に日本技術者教育認定機構(いわゆるJABEE)ができ、大学など高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムを認定する制度がスタートしている。

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HN:
雲楽
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60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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