人を幸せにする人になろう

水野清一先生

◆もうちょっとで研究室前の廊下と自分の部屋にある近藤先生の蔵書が片付くので、このところ、出勤すると、1箱2箱片づけるようにしている。しかし、開けてみて、興味ある本が出てくると、読みふけってしまう。昨日はそれで1日つぶれた。考古学者のことが書いてあるもの。何をやっているんだろう。
◆金関先生が、京大の教授として、梅原でなく水野清一先生だったら、だいぶ変わってたんではないかと書いていた。この部分は前にも読んだかな。
◆で、水野清一先生は、いわゆる人文研だったわけだが、戦後、京大が濱田時代の学術調査をせず京都府や大阪府の調査などしかしなくなる中(需要は大きかったのだろうが。純粋に目的的に掘ったのは何だろう?石山くらいか?)、対馬・壱岐・松浦の調査をし、インド・パキスタン・アフガニスタン(いわゆるイアパ)に行く。それだけでなく、名神高速道路の時に京都府下で調査団を結成することに尽力するとか、池上・四ツ池の調査団長になるなど、日本の行政調査にもかかわり、また一定の役割を果たしてきたことを知る。われわれの世代には、水野先生のことはまったく伝わっていない。
◆そして戦後の遺跡破壊に対して、原因者に費用負担をさせる原則を作らなければならない、と言っていたことも知った。他にもそうした発想はあったのだろうが、坪井さんなどが他省庁との覚え書きを作っていく前提として、水野先生の影響があるのかもしれない。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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