人を幸せにする人になろう

感激!桜井茶臼山の石室に入る090916

◆月曜日、カシコウケンの嘱託をしている関本優美子さん(うちの大学院修了生)から電話があり、出ると茶臼c56aa19b.jpg山を発掘している豊岡さんから、是非見に来て欲しいというラブコール。ありがたいことだ。豊岡さんとは、くびれ部再発掘の時から親しくさせていただいている。「水曜日行きます!」と。
◆9:40分には現地に行く。前方部墳頂もきれいに下草が刈られ、後円部は巨木も刈り払われ、60年前の調査区が開けられ、天井石がならんでいた。まず墳頂の構造について教えていただく。木柱列、そこに落ちてきた壺形埴輪、地震による墳頂平坦面東西の陥没など、驚くことばかり。墓坑壁面に岩盤がのぞく。ほぼ墳頂までもともとの丘陵だ。天井石も赤い、それをパックしていた被覆粘土もfcf09406.jpg真っ赤。そして石室へ。美しい・・・。長方形の箱。そして棺の下の板石敷き、あんな構造はほかにはないよな~。そこに〓面を越える鏡が並んでいたのだろう。壮観だったに違いない。東影君と酒井君がなかに入っていた。
◆石室に長居をして出てくると、森浩一先生だった。カシコウケンの同志社卒業生が随行だ。先生は、脚立で、なんとか石室内へ入り込んだ。石室の写真や木棺の写真は控えておこう。アップしたのは天井石が並ぶが、調査風景のものだし、これなら許されるかな。森先生の写真もひかえておこう。一番下は、電動のフルイである。ここから山のように鏡片が出るのか・・・。去年は、フルイを自分で20786bd1.jpg作ったな~。
◆いやはや、さすがは王陵である。
◆ついで、関本さんの御所の京奈和の現場に行く。これもとびっきり面白い。30mの大壁建物かと目されるもの。いくつかある。流路に沿って、おおむね地勢に応じて溝が掘削され、建物がならぶ。古墳時代前期、中期、それ以降の遺物も大溝から出ている。大壁建物など、時期の帰属が問題となろう。雰囲気では、小丸と高杯を中心とする布留1・2段階のものが大溝からまとまって出土しており、建物などの遺構も前期ではないかとみているようだ。鉄滓もあり、工房があったようで、やっぱり時期が問題だ。10月24日現説予定。
◆関本さんに案内してもらい、御所市担当の現場にも行く。西村慈子さんが待っていてくれる。弥生前期(船橋も)・中期・後期、古墳時代の水田である。JR玉手駅のすぐ北。
◆どこともそうではあるが、カシコウケンの正職は年令が高く、もう現場に出ない人がほとんどで、かなり若い職員と、多く抱えている嘱託職員で現場がまわっている。しゃーない。だけど、若い者同志、現場に放り出されて、鍛えられるだろう。優秀な者ばかりだが、しかし京奈和の発掘のピークもあと2年ほど、育った人材が、みんな就職できればいいのに!。そう願いたい。

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HN:
雲楽
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60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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