人を幸せにする人になろう

東海道・国道1号はなんで鈴鹿峠なんだろう

◆土曜日(9/19)、人間ドックのあと、家族4人で神奈川へ向かう。西名阪・東名阪、伊賀上野、御0bb60f83.jpg墓山古墳のあたりに至ると、眼前にノコギリ山が立ちはだかる。いつも、このルートを通るたびに、よく目立つ特徴ある山だと思っていた。で、今回、写真を撮ってもらった。伊吹山とならぶような、東国との境に位置する山だ。
◆帰ってきて調べてみると、油日岳、那須ケ原岳、そして高畑山と連なるものをタテに見ているらしい。
◆ところで、6月だったか、はじめて紫香楽に行ったわけだが、草津線の通っている谷筋(野洲川)のことを、もうひとつはっきり認識していなかった。いや、国道1号線が、栗東で東南に折れて、三重に出るということはわかっていたが、鈴鹿を超えたのは、大学時代にバイクでたぶん通った1回くらいで、あんまり正確な地理情報、イメージを持ち合わd952ed51.jpgせていない。一方で、草津線の走るところで、三重とつながっていることはわかっていたが、両者があいまいなままだった。
◆グーグルマップで見ると、やっぱり、御墓山は、伊賀上野の東北の地峡部を押さえる位置にある、そこからもうすこし進み、油日岳が突き出している地点に、草津線は出るのか・・・。これが柘植。で、鈴鹿峠とは、同じ野洲川沿いだが1本東で、高畑山の東、標高400m近いところだったんだ。滋賀から三重県に抜けるのに、草津線沿いが一番低かろうに、なんで江戸時代の東海道は鈴鹿越えになり、また現在の国道1号線もまた鈴鹿を超えるのだろう?不思議だ。
◆このあたりの近江と伊勢のルートは歴史的に興味ある問題だが、地図を見ていると、柘植から亀山市関までは、非常に狭いけわしいところみたいだ。柘植には出られても、そこから伊勢に抜けるにはあまり良いルートではなかったということか。そのへんは名阪国道を通っていてもなんとなくわかるが、下の道、25号線を通ってみないと体感できないのだろう。天理から東に向かうルートと共に、高速道路でなく、地道をできれば歩いてみるのが一番だ。
◆鈴鹿峠をあえて通ることを考えていると、これは国分-関屋ルートが、河内-大和のメインルートになりえなかったことと通じるように思われる。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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