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戦前における文化財の保護

◆2008年末から2009年はじめに、戦前の文化財保護制度を調べる機会があり、作っておいたメモを掲げる。ある小文に掲載しようと引っ張り出してきたが、少し長く趣旨がずれるのであきらめることにしよう。わたしの感想は、「戦後の文化財保護法の枠組み、とくに遺跡発掘の届出制度は、戦前の古墳の発掘に関する制度を一般化したものなんだ」ということ。これ、和田勝彦さんなんかの文章をたどれば、とっくに言われていることなのだろうが、自分としては新鮮であった。
◆1874年(明治7)の「古墳発見ノ節届出方」(太政官達59号)では、「御陵墓ノ所在未定ノ分即今取調中ニ付」、みだりに古墳を発掘してはならないこと、発見のあった時は図を添えて届け出ることが通達される。陵墓である可能性のあるものが発掘されることを規制するためで、縄文時代の遺跡などは対象としていない。
◆1880年(明治13)には、ほぼ同趣旨の宮内省達「人民私有地内古墳発見ノ節届出方」が出されている。皇陵比定事業は、1875年(明治8)から1876年に基本的に終了するが(1889年に一応完了)、その後も古墳の発掘には制約が続く。
◆日清戦争後の1899年(明治32)、民法とその特例法である遺失物法が成立し、所有者不明の「学術技芸若ハ考古ノ資料に供スヘキ埋蔵物」を発見した場合には、警察へ提出することが義務づけられた。これに関連し、内務省は「学術技芸若ハ考古ノ資料トナルヘキ埋蔵物取扱ニ関する件」の訓令を発し、発見された遺物が「古墳関係品其ノ他学術技芸若ハ考古の資料」となるべきものである時は宮内省へ通知することとなっている。また「石器時代ノ遺物」である時は東京帝国大学へ通知され、それぞれ必要な物件を保有するものとした。戦前出土の著名な出土遺物の多くが、今日の東京国立博物館・宮内庁・東京大学などで所蔵されているのは、この理由による。この段階で、遺失物法という一般法のなかで出土物を処理するため、古墳からの出土品のみならず縄文時代の出土品を含め、考古資料が発見された際の取り扱いが定められた。しかし発見された場合の遺跡の取り扱いを規定するものでなく、あくまで出土品の措置である。
◆古墳の発掘に関しては、1884年の太政官達と1890年の宮内省達に示されている届出を遵守するよう、1901年(明治34)に内務省から「古墳発掘手続ノ件依命通牒」が出されている。「発掘セントスルモノハ」、「予メ詳細ノ図面ヲ添ヘ宮内庁ヘ打合」せるように指示している。それ以前の段階は、みだりに発掘をしないこと、発見があったら報告することであったのに対し、その前半の部分が制度的に整備され、学術調査をおこなう場合は、宮内省と事前に協議することを求めることになった。制度的には、古墳の調査についての制約を手続きを定めて強化したといえる。それ以外の遺跡についての発掘調査にかかわる規定は引き続き存在しない。
◆史蹟名勝天然記念物保存法の制定は、1911年(明治44)の第27回帝国議会(貴族院)における「史蹟及天然紀年物保存ニ関スル建議書」の可決された頃からの運動の末に、1919年に制定された。建造物、美術工芸品が古社寺保存法(〓年)で保護されているのに対して、史蹟や天然紀念物を破壊から保護するためのもので、指定による保護措置を加える今日的な制度である。内部大臣が保存区域を定めて指定し、現状変更等の制限及び環境保全命令の規定、違反に対する罰則を設けたもので、地方公共団体を管理者に指定するものである。その施行令において、史跡となっている古墳を発掘する際、宮内大臣への協議を文部大臣に義務づけており、古墳に関する宮内庁の権限を引き継いでいる。
◆また施行規則にある、「土地ノ所有者、管理者又ハ占有者古墳又は旧蹟ト認ムヘキモノヲ発見シタルトキハ其ノ現状ヲ変更スルコトナク発見ノ日ヨリ十日以内ニ左ノ事項ヲ具シテ地方長官ニ申告スベシ」と規定され(第4条)、地方長官は文部大臣に報告することを求めている(1930年文部省訓令)。これは、指定物件以外の遺跡を対象としたもので、ここに出土品発見の手続きとは別に、遺跡の発見があった場合、古墳以外の「旧蹟と認むべきもの」についても届け出ることが規定された。
◆以上をまとめると、戦前において、遺跡からの出土品はすべて、民法上の所有権との関係から、普遍的な取り扱いが必要であり、遺失物法において、出土物の発見の警察への提出と、内容に関する通知を宮内省あるいは東京帝国大学への通知が定められた。これは発見物に関する手続きであるのに対して、そうしたものが出土し遺跡と知られたものの発見については、古墳については1874年に定められていたが、その他のものについては1919年の史蹟名勝天然記念物法でようやく一般化されたということだ。また学術調査については、古墳については1901年(明治34)に詳細な図面を添えて宮内省と打ち合わせることが規定されたが、古墳以外の遺跡については、戦前はとくに規定は制定されることはなかったのである。
◆要は、(1)重要遺跡の史跡指定、(2)遺跡の発見届、(3)学術調査の届出、(4)出土品の文化財認定(国保有も)、という基本は戦前にでき、文化財保護法が公布されたときは、ほぼこれを引き継いだ。保護法は記憶によれば(もう彼方)、すぐに(1949年?)、戦後の学術調査でない開発にともなう遺跡破壊に対応し、いわゆる周知の包蔵地における届出制度が、このあとに加わり、1975年改正までの基本ができあがる、ということだった、と思う・・・
◆実際の運用は、別に調べなければならない。河内長野の方が詳しく、大師山古墳出土品をめぐり、くわしく調べられたのがネットで公開されていたことを記憶する。

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雲楽
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60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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