人を幸せにする人になろう

有光先生が亡くなる

◆有光先生が亡くなる。103歳。むかし、学部生・院生の頃、京大の考古学談話会に出席されている時にお会5ddbb064.JPGいしたくらい。半島のことを勉強していたわけでもないので、それくらいしか接点はない。そのころ、80歳くらいだったのだろうが、階段をあがっても息も切れないとの話に、一同、感嘆したもの。103歳はすごい。
◆『朝鮮考古学75年』はもってなかったが、アマゾンで注文した。学部卒で1931年に朝鮮総督博物館勤務を命じられ、終戦まで勤務、翌1946年5月に帰国する。アジア太平洋戦争末期、博物館の優品を守るために疎開させ、敗戦直後の混乱の中で博物館資料の保全に尽力し、占領軍の下で韓国中央博物館としての開館を任される。ソウルの日本人が少なくなり、当然のことながら白い目で見られるなか、韓国の博物館として運営する教育と、発掘調査技術の教育のため、翌年春の発掘まで残留を命じられる。帰国後、GHQの九州の文化財調査の担当官を3年ほど務め、その後は2年間のUCLAでの日本文化の講義。1952年9月から大学の研究室に落ち着くという。
◆この記事の当初では、有光先生が朝鮮のために資料の保全に尽力し、またいまの中央博物館の基礎を作ったが、発掘調査を含めてやはり植民地でやってきたことについて、どのように考えていたのか興味があると書いたが、なかなか難しい。精一杯、与えられた職務に励み、資料を守り、韓国の研究者と戦後も長く交流が続いた。コレクションを作り持ち帰った多くの人々とは異なっている。確かに、例えば新羅の古墳の発掘にしても、ほっといたら掘り荒らされたものを、きちんと掘ったからこそ散逸せず、また研究は進んだ。エジプトでもメソポタミアでも同じだろう。とはいえ、とも思うがやめておこう。それよりも日本国内にある資料のことを、いまのわれわれは考えるべきなのだろう。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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