人を幸せにする人になろう

正始元年正月の朝貢

◆『つどい』の塚口先生の論文を興味深く読んだ。
◆卑弥呼が使いを送ったのが景初2年ではないかと の説を検証し、やはり3年であるとする。その目的はやはり前年に魏が公孫氏を破って版図を拡大したことへの慶賀であるという(景初3年正月に皇帝が没し新皇帝が立ったことへの挨拶ではないと)。で、6月に帯方郡に行って初めて先帝の死没を知る。で、年明けは改元があり、周辺諸国が正月の儀式に参列するのが通例。
◆洛陽に上った倭の使者に対し、まず12月に、当初の目的の朝貢に対し、卑弥呼を親魏倭王とする。その上で使者らは滞在を続け、「後12月」を経て翌年正月の新帝の改元初年の儀礼に、朝貢国となった倭として朝貢した、と。『晋書』にはそのことが記されている(なぜ〈魏志倭人伝〉にはないか、という問題はあるが)。
◆そうでないと景初3年の鏡と正始元年の鏡があるのかが説明できない。なるほどね~(景初4年鏡の問題は残る)。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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