人を幸せにする人になろう

町田章奈文研前所長の逝去

◆1991年に奈文研に入った時、町田さんが平城部長でした。所長は鈴木嘉吉、センター長田中琢、研究指52aba24d.JPG導部長佐原真、藤原部長は牛川さん。古き良き時代の奈文研の最後だったといえるかもしれません。まだ大運動会はあったし、大忘年会もあった。作業員さんには、毎月、現金で給料を支給しており、給料日は発掘は早めに終了し、給料の分配が行われていました。
◆入所した11月に結婚しました。20年前のことです。町田さんに仲人をお願いしました。橿原市白橿町のご自宅にカミさんと訪ね、奥様にもお会いし、われわれと顔合わせをしました。町田さんが平城部長時代に、媒酌人になっていただき結婚したのは、玉田さん、われわれ、そして建築の箱崎君、この3組でした。
◆去年の藤沢さんの会の時、玉田さんと3組で一度おたずねしようという話になり、そのとき、わたしはベロベロでしたdc75c140.jpgが、玉田さんが「4月や」と言ってきたのは覚えています。
◆そのあと、3月に入院する前に手紙をいただきました。埼玉県の方から、埼玉の集落遺跡で鏡が出土し、その解釈について町田さんに類例などを問い合わせたもので、わたしは鏡について下垣君に類品を質問し、返事をしました。そのあと、町田さんからお礼の手紙を受け取りました。肺ガンの手術をしていまは在宅していると。
◆そのあと、いまに至るまで、町田さんをお訪ねすることなく「部長」は逝ってしまわれた。ついこの間、実は「行っておかないと」と思う出来事があったのですが、訃報に接することになってしまい、ほんとうに後悔します。
◆長らく平城部長で、長屋王邸の発掘を含めて、むろんその前の自ら発掘していた時期を含めて、研究所時代の多くを平城宮・京の調査に邁進された方でした。所長となった時期は、独立行政法人への移行など、たいへんな変革期に舵取りをなされ、その苦労はたいへんなものであったに違いありません。中国考古学の第一人者として学究肌であり、かつ平城の調査の指揮を取り、また組織の長として、仕事に打ち込まれた人生だったと思います。享年72歳、若すぎます(20年前は52歳だったのですね)。調査部考古第2の部屋が多かったと思いますが、夕方にやってきては、毛利光さんや巽さんが酒を出してきて、一緒に呑んだことも少なくありませんでした。人間くさい、そんな町田部長が好きでした。
◆叙勲の時、そのお祝いの会でお会いしたのが最後となってしましました。

この記事にコメントする

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

プラグイン

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索