人を幸せにする人になろう

笠置を知る

◆やはりこないだの体験。笠置、つまり木津川(三重に入ると伊賀川)をさかのぼり、笠置を抜け、伊賀上野に入るルート、これ前から関心があった。なぜか。椿井大塚山古墳のことを考えていたからだ。桜井茶臼山が初瀬の谷を押さえるのと同様、椿井は伊賀からのルートを押さえてるんじゃないかと、考えてきた。しかし、その実際のルートを通ったことがなかったわけだ。
◆感想。峡谷がある、瀬がある。大和川でいうと亀の瀬、山が川に突き出し、川には岩がゴロゴロ、だけどそんなところは限られており、それいがいは川沿いに村が展開する。つまり峡谷が長々と続いていると、そして川も瀬ばっかりだと、なかなか古い時代に主要ルートにはならないかもしれないが、まあそうでもないと思った。陸路では十分行き来できるし(国道もあるし当たり前だろうが)、船でも、一部で直接行き来できず、乗り継がなければならないにしろ、限定的だ。やっぱり逆三角形の伊賀上野盆地の北辺の(断層だろう)ルートは、伊勢から南山城に抜ける重要ルートだ、ということを確認した。
◆それにしても、峡谷部分の花崗岩の岩場は美しかった。突然、そうした風景になり、あわててカメラを出していたら間に合わなかったので、写真はない(撮ったがうまく撮れてなかった)。で、またもや大阪城の石切丁場のことを思い出した。笠置から切り出したということもよくわかる。上野を領地としていた藤堂高虎が切り出したんだっけかな、忘れた。船に乗せて、木津川、淀川、そして大阪城へ直接、横付けしたんだろうな。

この記事にコメントする

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック

この記事にトラックバックする:

プラグイン

カレンダー

08 2024/09 10
S M T W T F S
2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13
16 17 18 19 20
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索