人を幸せにする人になろう

紫香楽宮・近江八幡に行ってきました

◆2009年06月27日(土曜日)恒例の歴史学見学会。今回は栄原09b3dda9.jpg先生の案内による紫香楽宮ほか0f263eb7.jpg滋賀県。バスをチャーターし、参加は約50名となった。
◆まず、いまは甲賀市となったシガラキ、わたしは初めて。まず南の甲賀寺、大仏を建てたのがどこかが問題になっているらしい。展示館で、鍛冶屋敷遺跡などのパネルのほか、特別にスーパースター「アサカヤマ歌木簡」の実物をもってきていただき、見学することができた。朱雀路の検出された第2名神をながめ、宮町遺跡へ。すっかり田植えが終わった水田、北側の高い側からのぞむ。ラベンダーの植えられた99fbf7ed.jpg調査事務所でb5169daa.jpgDVDを見る。てっとりばやく内容を知るには映像が一番ですね。
◆そのあとは市大名物の城攻め、佐久良城。それから近江八幡にむかう。
◆まず煉瓦工場。全国で4つしか残っていないホフマン窯だが、朽ち果てつつある。この煉瓦も用いられているヴォーリスの洋風建築は、重伝建の町並みとともに大事にされているが、滋賀県も近江八幡市も煉瓦窯には冷たいと所有者さん。なんとかしたいと思って残しているが、個人では限界があろう。八幡堀に面し、近江八幡観光のe6ad078b.jpgひとつの材料となりうるもので、実際、ガイドマップにも掲載されているが、現在はまったくの放置である。
◆近江八幡の町をまわったのも初めてだ。大学時代、雪野寺跡の調査をやっていたころ、降り立つことは何度かあった。駅前に平和堂がある。しかしそれは近江八幡の町のはずれ。今回訪れて、町並み巡りをする観光客の多さに驚いた。近江八幡といえば、文化財保護法に新設された重要文化的景観第1号となった水郷というのもある。今回は、そっちに足をのばす時間的余裕はなかったが。そんなんで、ますます観光スポットとしての地位を確立してきているのだろう。たしかに落ち着いたいいところだ。
◆不満をひとつ。郷土資料館と歴史民俗資料館に行ったが、展示がいまいちだ。眼目は町並みや近江商人の商家などかも知れない。しかし、近世の八幡城および城下町の形成にしても、十分な解説はないし、まして考古資料などもわずかしかスペースはない。一方で、別途、博博物館があるなら別だが、そうした展示施設はなさそうである。重文などの建物はもちろん建築そのものを見せるとして、歴史民俗資料館など、展示スペースは限られているのだろうが、せっかく、これだけの人が訪ねてくれるのだ、きちんと近江八幡の歴史を示す展示をお願いしたい。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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