人を幸せにする人になろう

西美濃の旅(2)

◆大垣市の歴史民俗資料館のあと、昼飯を食べ、養老町に向かう。図書館2階の資料館を開けてもらうも、たいした展示はなかった。そのあと象鼻山へ。本日2ヶ目の前方後方墳。登り口から10分ほど山登りをする。院生が報告書を借りてきて持参していた。久しぶりの象鼻山だった。その後も確認調査が続けられ、山頂部はきれいな古墳公園になっている。とくに1号墳の東北側の樹木は伐採され、平野部が見渡せるようにしてある。が、あの鏡や琴柱形石製品は、どこに行ったら見れるのだろうか。金庫に入っているのかも知れませんね。
◆垂井町へ。まず美濃一宮の南宮大社。この一体は、郡家があった場所らしく、壬申の乱のオオアマの陣だったという。そこからまっすぐ北上すれば美濃国府なのだが、展示施設に向かう。タルイピアセンターとかいう名前だったか。図書館脇の展示施設。いや実にちゃんとした施設で、企画展も繰り返し、冊子が蓄積されている。企画展は垂井駅をやってました。図録を2冊購入。そして国府跡へ。御旅神社という名前だが元は総社。そこが国衙正庁である。発掘調査をしている時、一度、見せてもらったことがある。
◆次は不破関資料館(100円)。関ヶ原町の歴史民俗資料館に行ってもいいのだが、先を急ぐ。不破関って、あんなんなんですね。それと名神を越えた北の丘陵上に築地塀跡の高まりが残っているようだ。野磨駅家みたいですね。そこから旧道に出て、そこいらを散策。正庁地点に行くが、畑地。岐阜県が確認調査を実施し、だいたいの範囲は確認したと。普通なら国史跡というところだが、家が貼り付いており、同意が難しかったのかも知れませんね。未確認ですが。
◆ラスト、だいぶ飛びますが、神郷亀塚に行く。途中8号線は込んでいたが、18:00頃には到着。野球をやっていた少年たちに聞くと、ちゃんと知らなかったけど、1人が道案内の表示がある、あれちゃうか、と教えてくれる。こうして神社裏の畑のなかの亀塚古墳に迷いながらも到着。この日、3つめの前方後方墳でした。
◆このへんが五個荘町だったのですね。八日市インターから名神に乗り、学生らを大阪駅で降ろしたのは19:45頃でした。
[追記]写真がありません。昨日、カメラをもって出たのですが、へんなことになり、家に帰り着くと、立体駐車場の自分のハコのところにころがっていました。よくまあ取られなかったものだ。また、自分の車でカメラを轢かなかったものだ。


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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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