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近世河内の新田開発と会所

◆ここのところ、『ヒストリア』216号の特集、近世の新田会所の編集作業に追われ、、ならびに0584ab45.jpg冒頭の趣旨説明文を書くため、参考文献を読んでいた。それから、いい図面を作ろうと思っている。以下、参考までに、昨日(8/1)書き上げた原稿の一部を掲出する。
(4)平野屋新田会所の保存問題とこれから
冒頭で述べておくべきだが、平野屋新田会所の保存問題と本特集号の経緯について記録しておく。
平野屋新田会所の概要と保存問題の経緯については、本誌第212号におい0c969b7a.jpgて、佐久間貴士さんにまとめたいただいた。改めて紹介しておくと、地元住民の保存推進会が結成され、一九九九年に保存と公有化の要望を提出し、大東市議会において全会一致でその請願が採択されながら、長らく居住してきた高松家の負債のため、裁判所に差し押さえられていた。佐久間さんらは「平野屋新田会所を考える会」を二〇〇五年に立ち上げ、市民講座を重ね、市に公有化を働きかけてきた。
しかし、二〇〇七年一月に、裁判所の競売にかけられ、五億二〇〇〇万円で落札した不動産会社の手に渡った。すぐに文化庁にも働きかけ、既に国の文化財指定を受けている鴻池新田会所に遜色ないもので、建物は重要文化財指定、敷地全体を史跡に指定する価値があるとの見方が示され、当時の文部科学大臣も保存が望ましいと国会答弁をおこなっている。
大東市教育委員会では、史跡指定されることを前提に、所有者である業者と買収についての交渉を続けるが、両者の金額には乖離がありまとまらなかった。二〇〇七年に続けられた交渉は実を結ばず、業者は年末には解体を通告し、二〇〇八年に入り、最終的には大東市は六億円に「考える会」の集めた市民の寄付五〇〇〇万円の上積みも提示したが、解体工事は一月一七日から実施され、重要文化財となるはずであった建物は取り壊された。
所有者である不動産会社は、土地を転売しようとしていたようであるが、現在の住宅不況のなかで買い手はつかず、現在、身動きのとれない塩付けの状態となっている。この土地がただちに住宅地に転じる様子はなく、業者も大東市に売却する道を選ぶかもしれない。しかしである。こうした転売できずに困っている状態であるとの情報は、記憶は不確かだが、解体から半年後には聞いたように思う。こうした話を聞き及ぶにつけても、業者がいま少し早く転売が難しいという認識をもっていたら、いましばらく解体を先延ばしにして、買収交渉も妥結していたかもしれないと、この半年というタイミングのずれで、貴重な文化財が失われたことを無念に思う。
建物がなくなり更地となって、江戸時代以来形成されてきた樹木を含めた屋敷地の景観は失われた。文化庁も指定に難色を示しているという。大東市が示してきた買収価格は、史跡になり買い上げの補助金がえられる見込みでの金額であったが、指定が困難となると、話は大きく変わってくる。保存にむけて地元から集まった寄付金も多額にのぼるが、こうした盛り上がりも、現状では宙に浮き、保存の筋書きが描けなくなっている。
大東市は大きな市ではない。市域のうち、旧深野池だった面積、すなわち近世の新田開発地の面積は少なくない。大東市の歴史において深野新田の開発は大きな意味をもっており、田地がすっかり住宅地に転じた現在、それを伝えるのは、深野会所も既になく、平野屋新田会所をおいてほかにない。今後、保存に向けての動きがどうなるか予断を許さない状況であるが、新田開発によりこの地に移り住み、この地で暮らしてきた人々はなお生活しており、鎮守である座摩神社の祭礼も続いており、近世以来の地域社会がまだ息づいている。その中核にあった会所の敷地をなんとか取り戻し、現代の会所を再び作り上げ、会所文書を公開し、深野池の干拓による開発の歴史を伝える博物館となることを希望する。

◆この保存問題については、わたしとしては後手にまわった。文化庁も指定するらしいとの情報をえて、これは大丈夫と安心していた。これが2007年前半期であるのだろう。その後、まったく情報を入手できておらず、年末の解体予告記事におおあわてした。
◆なので、具体の経過は詳しく取材していないので無責任な発言はできないが、ここでもまた、保存のチャンスをいくつか逃し、また打つ手が遅かった、などいくつかの要因が複合したのであろう。市が真剣に用地を取得しようとするのが、たぶん遅すぎたのである。1990年代後半に決着できていれば。鴻池、安中を見ていると、残念でならない。それは2008年1月に解体を見守った教育委員会の職員がいちばん痛感したことであろうが、ここでもまた、マスタープランの不在を嘆くしかない。文化財が残っていくのは、幸運や偶然によるのであって、行政としては、重要なものについて、いかに手を打っていくかにかかっている。それ以前に、自分たちのところには、何があるか、そのなかでも残さなければならないのはどれか、そうしたリスト作りをしておかなければならない。これが岸和田古城跡の保存問題から学んだことだった。

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雲楽
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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