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造り出しの機能

◆今回、造り出し北半部に墓坑がもうひとつ出てくるかと予想している。前年度の埋葬施設は東西幅のほぼ中央軸にあり、造り出し北半が予想より長くなり、既に北辺も検出され長方形になることは確定し、もうひとつ確実に入りうる。方形埴輪列の入口もほぼセンターにある。
◆たとえ北半部に墓坑がなくとも、南半部を埋葬部に利用し、北半部を別の機能にあてるという計画性を読み取ることができる。が、北半部にも墓坑が来れば、ここに2つの埋葬を配置する計画性がよりはっきりするだろう。とはいえ、そもそも論で言えば、墓坑なのか武器埋納坑かは確定していない。9月はじめに天理大学にレーダーをやってもらうことになっており、地山と埋土の差は歴然なので、底面も含め坑の立方形状が把握できるだろう。
◆武器埋納坑の事例を調べ、その位置を確認する必要があるが、墳頂部、鞍部である場合が多い。造り出しに武器埋能坑があった事例はほぼ聞かないように思う。それと、靱形破片が出ていて、これなどは埋葬施設上の埴輪にふさわしいとも話をしている。史跡だし掘れないだろうが、一定の判断材料を調えておく必要がある。
◆まあそれで埋葬施設が縦にならんだとしよう。これはこれで、車塚は誉田御廟山型で、御廟山はほぼ正方形の造り出しだが、車塚は長方形で2区画分あり、継ぎ足しもなさそうだし、当初から2つの埋葬施設を配置するために、こうした長方形の形状に計画し削り出したと考えられる。まずはここまで。
◆その先、造り出しの機能として埋葬に用いることもあるという話なのか、主たる機能といえるかどうかが問題になってくる。これまでの、くびれ部に取り付く造り出しで、面的に調査され埋葬施設が検出されているのがどれくらいあるのか。ほとんど聞きませんよね。それって、数少ない面的調査が実施された事例において、果たして「掘り込みはない」ということが確定しているのかどうかチェックする必要がある。たぶん、あんまり割っていないだろう。とくに上面の礫面がよく残っているなら、やれないわけです。おそらく報告書をチェックしても、ないことを確認している例はあまりないのではないか。
◆造り出しのメインの機能はオプション埋葬部ではないか、という仮説を立てることもできるわけです。漠然とだが、そうではないかと思いつつある。室宮山は前方部側面の張り出しに埋葬があったな~。堺の大塚山ではどうだったんだろう。例えば、宝塚1とか、行者とか、レーダーをかけることはできる。なので、この仮説を現時点でシロクロつけるわけにはいかず、現状の調査事例を集めつつ、将来的に探査をやっていくことで、一定の判断ができるであろう。
◆が、造り出しとは、後円部墳頂/前方部頂前端のほかに、墳丘内の埋葬場所として生み出された可能性を考えてみたい。土壇状で方形に円筒埴輪をまわし、家形などを置き、食物供献すると・・・、それって儀礼を行う場を新たに設けたと考えずとも、墳丘に附帯する埋葬場として考案されたという可能性はありうるだろう。まあしかし、けっこうな埴輪を用意して飾り、槽形導水施設をもつ特別な建物を柵で囲んだものを、くびれ部に置くなどの定型もあり、外から見ることのできる場所だからこそ飾り立てるというのは理解できる。そうすると、墳頂部の埋葬より順位的には下がるであろう近親者の埋葬にそれだけのことをするかという疑念もあり、やはり何らかの演出的セレモニーの場と見ておく方が理解しやすいのかもしれないが。
◆まあ、なかなか確実なことはいえない。が、車塚西造り出しについて、もともとは造り出しという通説でいう儀礼の場であったところに、近親者の誰かを埋葬する必要が生じ、造り出しを埋葬の場として例外的に転用したとは考えにくいように思う。そのへんの現地レベルの事実をまずはちゃんと把握することである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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