人を幸せにする人になろう

2017年8月19日、丹波・柏原

◆金曜日18:10頃に現場を離れ、山陽道で加古川へ。紀州・黒江で買った黒牛をもっていく。竹の伐 採で、両方の手の指がむくんだ感じ。
◆翌日は、丹波・栢原へでかける(昔は柏でなく栢と書いたという)。木の根橋というのが シンボルのようで、その一画に観光案内所がある。そこから町をぶ~らぶ~ら。織田信長の弟が3万6千石で入り、断絶。そのあと信長次男の宇陀の大和松山藩の織田家が、お家騒動を経て、栢原に2万石で移ったらしい。長屋門と幕末の御殿が残る。この陣屋跡は国史跡。目の前に資料館があり見学する。日中、猛暑で、陣屋跡の見学は見送り、食事に行く。
◆そのあと、石生の水分かれに。これ兵庫県人としては、加古川と由良川の分水嶺が平野にあるという、有名な話なのだが、実際に行ったことがなかった。考古学的にも、瀬戸内と日本海側を山越えなしに行き来でき、文化的にも重要ルートとされる。
◆漠然とした知識では、平坦な平野で、この水路が加古川へ、この水路が日本海へ、と思っていたが、そうではなかった。東側の山塊の扇状地が平野に張りだし、春日七日市に近い西の南北丘陵の先端に取り付く地形になっていて、扇状地中央ラインが南北の分水嶺になっている、というものだった。
◆谷を入ったところが公園整備され資料館もある。水場があり、小さい子供らが、セッティングされた水場で気持ちよくはしゃいでいる。人工物を作らずとも、夏、谷川で遊べばいいのに。孫が遊びに来たら、こんなところに連れてこないようにしよう。
◆資料館はちゃんとしていて、人もいて、解説してくれる。結局のところ、この扇状地を貫く河川があり(流路は人為的かな)、その分流の水口がこの谷部にあるので公園としたのだろう。水利的には意味はあるわけだが、分水嶺としては、石生の平地部の方が本筋だろう。公園は遊び場とし、平地の空き家などを利用して資料館とする方が意味があるように感じる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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