人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
またまた6年ぶりにサッカー
◆25日、古巣で南北戦があるのだが北は人が少なく来ませんかとのお誘い。発掘でお世話になっ
ている院生から当日伝えられる。ええ~、で19時から?、と思いつつ、ほないこかと。膝がようやくマシになってきているのが不安材料だが。前に初瀬川を歩いたとき、展望台があって廃校になった高校があった(磯城高校だったそうです)が、その横に作られた奈良県?のサッカー場でした。ミッチーと田原本からタクシー。
◆短パンとかソックスとか靴とかは用意してくれておりました。始まるまでとにかくランニングし、屈伸をして、膝の準備をしていました。20分3本+延長20分(13人対13人だったか、全員入る)でした。2本目と4本目に出ました。最初はフォワードで、まあなんだか出したつもりがフィットしなかったがボールはデイフェンダーを抜けて通り、ゴールにつながりました。もひとつ、ふんわり高い玉が来たのを、ヘッドでゴール前に送り、これも点になりました。左寄りにいましたが、右サイドから攻め上がっていく時に、ゴール前に詰める動きを繰り返すのはきつく、息が上がる。後半、スローインの時に、自分は青なのに、朦朧としていてなんだか白が味方と思いこみ、相手にボールを入れてしまいました。あかんと思ったら、またサイドを割ったので、スローインを代わってくれと「交替」と言ったら、選手交代になってしまいました。後半途中で外に出る。
◆液体、液体!
◆4本目は左サイドバックで、足の速い向こうの右サイドを止めるぞ、と。最初に一発、絡んだときに、強引にボールを取りに行き交錯し互いにひっくり返る。まあ、ご挨拶。バックスでうろうろしているのは、まだできるかなと。でも、やはり早い動きについていけないというか、切り返そうと思っても、体がいうことをきかないのである。ま、しかし5-1で勝って悪い気はしません。
◆24号線まで送ってもらい、石見駅まで15分ほど歩き、南回りで返りました。写真はなし。歴史研究室のY君はなかなかですな。ひょろりとしてるんですけどね。メンツはまったく入れ替わっておりますが、北の前線にSさんとTさんがいるのを見ると、20年前と同じやん、と。
◆もちろん筋肉痛です。
◆短パンとかソックスとか靴とかは用意してくれておりました。始まるまでとにかくランニングし、屈伸をして、膝の準備をしていました。20分3本+延長20分(13人対13人だったか、全員入る)でした。2本目と4本目に出ました。最初はフォワードで、まあなんだか出したつもりがフィットしなかったがボールはデイフェンダーを抜けて通り、ゴールにつながりました。もひとつ、ふんわり高い玉が来たのを、ヘッドでゴール前に送り、これも点になりました。左寄りにいましたが、右サイドから攻め上がっていく時に、ゴール前に詰める動きを繰り返すのはきつく、息が上がる。後半、スローインの時に、自分は青なのに、朦朧としていてなんだか白が味方と思いこみ、相手にボールを入れてしまいました。あかんと思ったら、またサイドを割ったので、スローインを代わってくれと「交替」と言ったら、選手交代になってしまいました。後半途中で外に出る。
◆液体、液体!
◆4本目は左サイドバックで、足の速い向こうの右サイドを止めるぞ、と。最初に一発、絡んだときに、強引にボールを取りに行き交錯し互いにひっくり返る。まあ、ご挨拶。バックスでうろうろしているのは、まだできるかなと。でも、やはり早い動きについていけないというか、切り返そうと思っても、体がいうことをきかないのである。ま、しかし5-1で勝って悪い気はしません。
◆24号線まで送ってもらい、石見駅まで15分ほど歩き、南回りで返りました。写真はなし。歴史研究室のY君はなかなかですな。ひょろりとしてるんですけどね。メンツはまったく入れ替わっておりますが、北の前線にSさんとTさんがいるのを見ると、20年前と同じやん、と。
◆もちろん筋肉痛です。
あ~あ
◆公費・科研とも、納品の検収を受け、またこっちのサインをし、文学部事務室はなくなったので別の建物の会計係に書類をもっていき、処理をお願いする。これでも15分はかかるんとちゃう。生協なんか、責任もって検収印をもらい、直、事務所にもっていってくれてたんだけど。まあ、研究費もないし、限られた頻度ではあるが。むろん人削りは、事務職員の方がきつく、教員にもやらせろ、というのはわからんでもないが、そもそもウン千万円とか億単位の研究費で、というか、だからこそ不正があるわけでしょ。8000円の物品費に、そこまでの煩瑣な事務処理をやらせる無駄。教員の時間を奪う、この国のアカデミズム。山中伸一ではないが、米国とはぜんぜんちゃうんでしょうね。
◆なんかの委員をやれと。書類が来る。前はそれをもっていったら、事務処理をやってもらえてた。今年度からは、起案?の書類を教員にやらせる。おかげでメンドウだしひとつ寝てますよ。すいませんK市さん。簡単な書類で、1回やったら委員名だけかえればいいんだろうけど、こんなことまでやらすか。給料下げてもらって、こういう事務処理から開放してもらった方がマシではないかな。
◆なんかの委員をやれと。書類が来る。前はそれをもっていったら、事務処理をやってもらえてた。今年度からは、起案?の書類を教員にやらせる。おかげでメンドウだしひとつ寝てますよ。すいませんK市さん。簡単な書類で、1回やったら委員名だけかえればいいんだろうけど、こんなことまでやらすか。給料下げてもらって、こういう事務処理から開放してもらった方がマシではないかな。
淡路の旅(9)ゴッサ垣内遺跡
◆で、ゴッサ垣内遺跡に。海岸から4キロほど内側?。高地性集落であり、弥生後期の鍜冶工
房が出てきて著名。すぐに史跡になり、整備が進められる。ガイダンス施設あり。瀬戸内海が見わたせる。北部九州の脅威は・・・。
◆職員さんが1名おられ、まずビデオ見ますかと。見る。最後、この集落がなくなり、邪馬台国ができる、というところで、思わず違う!、と。ヤマト国はもうあるで。
◆それはともかくも、鍜冶体験とか、いろいろとやっており、そのための竪穴風体験施設を兵庫県教委が作ったらしい。史跡地にいいんでしょうかね。けっこう広域で、傾斜の高い方まで整備が進行中だが、足をのばす余力なく、ガイダンス施設のある中心的な一画のみ。いろいろ思うところはあった。ひとつは、実物を展示する施設がないこと。話題になり、淡路市も力を入れているわけだが、これまた市役所でも何かの文化施設でも、展示すればいいのにと思う。それと史跡整備され、けっこう話題になった遺跡だし、それなりに見学者は訪れると思うが、維持していくのはたいへんかなと。まあ、このくらいにしときます。
◆遺跡としてはいろいろ考えなあかんのでしょうね。それ以前の集落はやはり下なんでしょうし、なんで山に上がるのかとか、もうすこし広い範囲での集落動向のなかで考える必要がある。塩津山丘陵と比べてどうなんか、といったことも考えていた。
◆職員さんが1名おられ、まずビデオ見ますかと。見る。最後、この集落がなくなり、邪馬台国ができる、というところで、思わず違う!、と。ヤマト国はもうあるで。
◆それはともかくも、鍜冶体験とか、いろいろとやっており、そのための竪穴風体験施設を兵庫県教委が作ったらしい。史跡地にいいんでしょうかね。けっこう広域で、傾斜の高い方まで整備が進行中だが、足をのばす余力なく、ガイダンス施設のある中心的な一画のみ。いろいろ思うところはあった。ひとつは、実物を展示する施設がないこと。話題になり、淡路市も力を入れているわけだが、これまた市役所でも何かの文化施設でも、展示すればいいのにと思う。それと史跡整備され、けっこう話題になった遺跡だし、それなりに見学者は訪れると思うが、維持していくのはたいへんかなと。まあ、このくらいにしときます。
◆遺跡としてはいろいろ考えなあかんのでしょうね。それ以前の集落はやはり下なんでしょうし、なんで山に上がるのかとか、もうすこし広い範囲での集落動向のなかで考える必要がある。塩津山丘陵と比べてどうなんか、といったことも考えていた。
淡路の旅(8)イザナギ神社
◆志筑から西海岸の郡家へ。志筑廃寺というのがあるんですけど、何もないみたい。遊園地?の「おのころ」という施設は、人が入っているんですかね。それとシーガイアならぬ、シーアイガ。これ安乎(あいが)だから、らしい。で、淡路一の宮のイザナギ神社へ立ち寄るも、つまらん。
◆まず繁昌している。でおそらく、明治以降、日本神話が重視され、この神社は手厚く保護されたんでしょう。菊の紋章がちりばめられている。またそれを誇りにし。まずこれがいや。そして拝殿に行くと、幟が両側にあり、「憲法改正を実現しよう」とある。これ、憲法違反ではないのか。ポスターに櫻井よしこが出てくるし。あほらしく、引き返す。カメラを車に置いてきたため、この問題の幟は示せません。
◆郡家。津名郡衙は、ここなんですかね。江井浦に立ちより、お線香の香をかぐ。
◆まず繁昌している。でおそらく、明治以降、日本神話が重視され、この神社は手厚く保護されたんでしょう。菊の紋章がちりばめられている。またそれを誇りにし。まずこれがいや。そして拝殿に行くと、幟が両側にあり、「憲法改正を実現しよう」とある。これ、憲法違反ではないのか。ポスターに櫻井よしこが出てくるし。あほらしく、引き返す。カメラを車に置いてきたため、この問題の幟は示せません。
◆郡家。津名郡衙は、ここなんですかね。江井浦に立ちより、お線香の香をかぐ。
淡路の旅(7)お登勢
◆洲本城に車で上がりましたが、城攻めはせず、淡路文化資料館に。写真撮影禁止でした。ここは25年振りです。古いビデオを見る。これはこれで面白かったが、展示が古く、更新しようとする意志もあまり感じられませんでした。モノはならんでいるのですが、歴史をたどるという説明に乏しい。洲本市立ではあるが、淡路を代表する博物館なので、淡路全体を扱ってもいいはずです。また遠賀川もあったし、三角縁神獣鏡もあるし、古墳も多い。製塩土器があり、国分寺があり、お城がある、と。市史だってある。そういう概略を示して欲しいもの。
◆で稲田騒動というものを学ぶ。面白いですね。阿波藩の筆頭家老稲田家が淡路の城代にな
り、由良城から洲本を再び城下町とする。大名格の稲田家と蜂須賀本家との路線の違いが幕末に顕在化し、いじめられた稲田側が独立の動きを見せ、それを弾圧したのが事件。明治政府も対処に苦慮し、蜂須賀家を取りつぶせば全国に影響するとそれをせず、関係者の切腹となる。稲田家も蝦夷地の開拓を命じられ、北海道に。そこに、お登勢という女性があり、小説になり、テレビドラマになったという。また、この騒動がなければ、淡路島は徳島県だったと。これもまた面白い話です。
◆で稲田騒動というものを学ぶ。面白いですね。阿波藩の筆頭家老稲田家が淡路の城代にな
淡路の旅(6)由良要塞
◆洲本の文化資料館はあとまわしにして、由良要塞に向かう。これも、こっちの趣味で。(途中、ホテルニュー淡路群がある。ここですか。)
成ヶ島という砂州でつながる「橋立」があり、幕末に台場が置かれるが、明治になっても紀淡海峡の最重要関門として要塞が設置される(明治39年完成)。海を渡ることはできないので、島の方へは足をのばせないが、生石(おいし)砲台へ。これ山の上なんだけど、登り口に案内はない。最初、登り口あたりでうろうろ。そしたら要塞を困難を排して撤去して、といった戦後の説明碑文がある。ここでちゃんと山の上の
案内と概要説明をしないと、スルーしてしまう人もいるのではないか。
◆で、山への道を上がっていくと、駐車場があり、ちゃんとした説明がある。これ国立公園内らしく、環境省の建てたものである。やはり友が島へ行かんといけません。
◆で、山への道を上がっていくと、駐車場があり、ちゃんとした説明がある。これ国立公園内らしく、環境省の建てたものである。やはり友が島へ行かんといけません。
淡路の旅(5)御食国
◆三原から洲本に。昼が近づき、タマネギ料理の店はあるのかと問えば、タイムアフタータ
イムというのがあるというので向かう。イオンが見えてきて、あの向こうだと。でレンガ建物群が見えてくる。こりゃなんじゃ、いいではないか、というので駐車場に入れ、昼食に。手前のレンガ建物の名前は御食国。その奧がタイムアフタータイム。読めますか。茅野ちゃんの卒論を読んでいたので、たちどころにミケツ国と読める。行ってみると、ちょうど昼時で、空き待ちでやめ、最初の予定の通りタイムアフタータイムへ。出るとき、おっさんらの集団が入っていく。
◆一方、タイムアフタータイムは、同じようにレンガ建物を取り込みつつ、新しい建物を くっつけているらしい。レトロ調とはうってかわりモダン。で入ってみると、客層も女性ばかり。いろんなランチをそれぞれたのんだが、なかなかよい。
◆店を出て、周囲のレンガ建物群をざっと見に行く。説明版があり、カネボウの工場とのこと。1900年に既にあった紡績工場をカネボウが買収し、ここを一大生産地にして、1986年に
撤退するまで、洲本はカネボウの城下町だった、ということらしい。たくさんのレンガ建築を残しているように感じたが、最盛期の工場敷地およびそこに建っていたものからするとごく一部ということなのだろう。企業が撤退した洲本は大打撃だったであろうが、その跡地をどのように利用していくか、ということもまた、1986年以来の市の大きな課題であったに違いない。図書館もレンガ建物を転用しており、いまはこれらの一画は、飲食や文化ゾーンとなり、洲本のひとつの魅力として機能している。
◆一方、タイムアフタータイムは、同じようにレンガ建物を取り込みつつ、新しい建物を くっつけているらしい。レトロ調とはうってかわりモダン。で入ってみると、客層も女性ばかり。いろんなランチをそれぞれたのんだが、なかなかよい。
◆店を出て、周囲のレンガ建物群をざっと見に行く。説明版があり、カネボウの工場とのこと。1900年に既にあった紡績工場をカネボウが買収し、ここを一大生産地にして、1986年に
淡路の旅(4)淡路国分寺
◆国衙という地名があるらしいが、これ、あとから気付く。国分寺に行く。いつぞや確認調
査をやっていた。立派に整備されているのかな~と期待して行くが、法灯を継ぐ現国分寺があり、そこに塔跡があるというだけ。金堂などの主要伽藍がわかっているのかどうなのか。とにかく、お寺さんの由緒の説明看板はあるが、文化財側での説明看板はなにもない。まわりは耕地で、寺域等の範囲確認ができたとしても、史跡にする同意がえられないのかな~、などと考えていた。実際のところはよくわかりません。
◆いずれにしても、淡路が津名郡と三原郡の2郡で、平野部でいえば三原なんだけれども、国分寺もこの通りだし、国衙推定地に行ってないがまあ同じ状況かと思われ、淡路人形浄瑠璃の資料館はあっても歴史展示の施設はない。今度の銅鐸だって、入れ子のものは奈文研にいったらしいが、それ以外はここ南あわじ市にあるらしいが、見ることはできないわけである。市庁舎のホールでいいから、速報展示などすればいいと思うのだが。三原はちょっと拍子抜けです。
◆いずれにしても、淡路が津名郡と三原郡の2郡で、平野部でいえば三原なんだけれども、国分寺もこの通りだし、国衙推定地に行ってないがまあ同じ状況かと思われ、淡路人形浄瑠璃の資料館はあっても歴史展示の施設はない。今度の銅鐸だって、入れ子のものは奈文研にいったらしいが、それ以外はここ南あわじ市にあるらしいが、見ることはできないわけである。市庁舎のホールでいいから、速報展示などすればいいと思うのだが。三原はちょっと拍子抜けです。
淡路の旅(3)淡路二の宮大和大黒魂神社
◆北上して五色浜を見に行ったあと(趣味です)、銅剣が出た古津路を通り、神社へ。江戸 時代に蜂須賀がパトロンになっていたが、明治以降、すこし寂しく
なったよう。その手前に、おのころ島神社というのがあり、アホみたいに大きな鳥居を立て、こっちの方が繁昌している。が、古代史研究にとっては無価値。
◆途中、タマネギを収穫した小屋の写真を撮る。淡路のタマネギは、普通、冬場のところ、4月から6月にかけて収穫するようで、最終盤のよう。一方で、田植えが終わったばかりの田んぼ、いままさに田植えをしているところも目立つ。6月21日、遅いよな~、と話をしていると。そうか!、6月までタマネギ畑で、収穫を終えて、淡路じゃ、いまから田んぼなんだと。
◆途中、タマネギを収穫した小屋の写真を撮る。淡路のタマネギは、普通、冬場のところ、4月から6月にかけて収穫するようで、最終盤のよう。一方で、田植えが終わったばかりの田んぼ、いままさに田植えをしているところも目立つ。6月21日、遅いよな~、と話をしていると。そうか!、6月までタマネギ畑で、収穫を終えて、淡路じゃ、いまから田んぼなんだと。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。