人を幸せにする人になろう

前期難波の割り付け

◆ちょこっとやってみました。こんなんではないでしょうか。高麗尺35.6㎝の 10歩メッシュ。

2015年3月14日、難波宮研

◆最後の研究会。うちの古代史の教員による文献史側の報告、難波宮・京の割り付け、難波宮の石敷についての3本。岩波講座で、国評五十戸は孝徳朝と認められているらしい。また読んでみます。孝徳朝の中央官制はとにもかくにも手探りながら、旧来の役割を官として位置付けるものであったとしても、広大な朝廷に百官を配列する、なんてことは初めてのことであり、その画期性は7世紀前半が判明してきたとしても、おそらく変わらないだろう。難波宮の宮・京の割り付けは、こちら側の関心と合致するもので、こっちもやってみたい。
◆そのあと改新シンポⅢの打ち合わせ、来年度の研究会の話をして、打ち上げへ。

唐尺はなんぼ

◆前期難波が1尺29.2㎝という。中国唐のモノサシも出ているんだろうが、それと近いのでは?。そのあと唐尺が29.6とか7になるのは、高麗尺との1:1.2対応をさせた、と理解しています。が藤原の建物も短いと言われているらしいですね。また考えてみます。

さて安倍談話は

◆北岡伸一が、侵略したと言って欲しいといったとか、新聞に載っていました。この意味は大きいでしょうね。が、安倍君がそういうかどうかは別、自民党的には、絶対、言わないのだろう。自衛だと。

2015年3月13日、車塚

◆午後から撮影、午前、調査区まわりをはじめ全景写真撮影モードとなる。写真撮影とはどういう 重みがあるのか、まわりをどこまでキレイにするものなのか、まあ初めての人には認識がないわけだが、こっちも口うるさく指示し、自分でもやっている姿を見せ、理解してもらうほかはない。手間をかければかけるほど美しくなること、一方で、そこは計画があり、いつまでに仕上げなければならないという〆切があり、そのなかで目立つところ、ダメなところからつぶしていく必 要がある。調査区脇の竹の切りくず、釘、礫、根っこ、どこから撮影する のかも知り、手前側は入念に。
◆が、天気はPカン。夜から雨で午後は次第に雲が来ると期待したが、そうもいかない。ヤグラを組み構えるも、さてというところだが撮るしかない。乾いたところに水を撒き、色を出し、撮影を始めたのは15時頃か。4箇所据え変えて撮影。城陽市の担当者による。
◆足場を片づけ、シートをかけ、終了したのは17:30か。今日1日で、学生・院生らは、撮影にむけての清掃の中身、足場立て、撮影風景等、ひと通りの経験をしたわけだ。とはいえ、今回は全景だけ。夏は埴輪まわりなど掃除の手間もさらにいるし、全景後、部分写真も撮っていく、もっと丸1日仕事(以上かもしれないが)になる。何事も経験。今日は、うちメンバーがほぼ参加していて(院生3、4回生2、3回生1はいなかったが)、みなが同一目的にむかって作業をした意味はきっと大きい。大阪大谷のNさんとともに、記念写真も撮りました。

2015年3月12日、車塚

◆大学入試、後期、試験監督、12:30終了。10:00~12:30の試験期間中、車塚のことをずうっと考えていた。来週の作業、終わり方、夏どうするか、なども。そのひとつは、やはり「あれはあれなんだろう」な、ということ。終了後、車塚へ向かう。第2京阪でほぼ1時間くらいで着くが、高速代がなんぼかかるのやら。日誌は当日に書くべし、もはや本日、13日と区別がわからなくなっているところも。
◆写真撮影にむけて全体清掃。とはいえ、掘りも、いますこしだめ押しあり。畔沿い断ち割り部。南区畔沿い(掘り上げたきり寝かしていたところ)、南区埴輪列外側の肩部の整え、など。あとは全体清掃。洪水層の任意で止めている面も、実に美しい。
◆で、「あれはあれなんだろう」という話。撹乱坑の黄色粘質土の埴輪流入状況の写真を撮ったのは、11日だったっけか。終了後、畔沿いに一定幅で下に下げ、壁が垂直に落ちていくところから、もしかして、と思うようになっていたが、12日、20㎝程度だった掘削をさらに下げても同じ状況に加え、中央畔すぐ南の礫がほとんど残っていない帯状地帯の清掃をやっていると、掘形が出てきたわけです。確かに中世とかどっかで造出上面が掘り込まれ穴があいていて、そこに洪水層が堆積 しており、それを任意面で止めた中央部には黄色粘質土が残り埴輪が含まれるわけだが、撹乱を西から掘り上げ、畑地面から斜めに下り(これ撹乱ライン)、その追跡によって直線の壁が出てきたところで、気付くべきでした。要するに撹乱を掘り上げることにより、下の掘形がそこで見えた、ということです。撹乱と考えてきて、下部で何かしらん矩形になったぞ、と思っていたが、撹乱をうけていない中央畔の南で、造出上面から掘り込まれた掘形が検出され、ひと続きとして完結した。造出上面から穿たれた長方形の掘形があるというのが結論。その先はもう言いません。ガ~ン。この未熟者めが。まあ、掘り間違ったわけでなく(掘形埋土をいくぶん掘っていることにはなるが)、順当に最終的な結論に到達したということにしておいてください。
◆ほぼ、造出中央に位置する。規模からして、攪乱としての掘り込みはあったと考えているが(今のところ)、もともと陥没抗ができてたんでしょうね。

休ませてはくれん

◆そんなんで、調査後、大学に戻り、やれ大学史ニュースの校正だの、全史協の校正だの、今度やる大阪城本丸の測量の申請書を出せだの、市大ミュージアムにむけての打ち合わせ日程調整だの、文学部棟301の考古学研究展示室の棚類が入ったので、どこに置くのかだの、まあいろいろとあるもんで。22時になろうとしています。エフォートって何?。
◆そういや、平成27年度の市大の行動計画案について意見があればということで、目を通すと、大阪市博物館協会との連携の項目があり、これがまた不十分。意見があれば13日までだと。土曜日の午後にひとつ研究会が入っているが、日曜日は空いているし、そのへんで一息つきましょう。あかん、三田の現地見学検討会の案内を発送せな。

ということで

◆毎日毎日、隠しごとなく、調査成果を公表しております。今回は、ジャブ的発掘で試験的。造出の裾部を出す調査は夏に行う。なので、現地説明会はしません。夏にまとめてやりますので。
◆院生の1人が、今日、大学に戻り、調査の状況を道行く人に知らせるべく掲示物を作っている。まったく配慮してこなかったし、終盤戦とはいえ、意志を尊重したい。やってくれと。明日、城陽市と相談しないといけないが、史跡の境界フェンスなので、掲示に問題はないだろう。遅ればせながらでも、やるならやったほうがいい。そして夏以降については、当初よりパブリックアーキオロジーの実践として、ちゃんと考えよう。
◆明日は後期入試の試験監督・・・。午前中とはいえ・・・。金曜日に全景写真を撮ってしまうことにし、明日丸1日と、金曜日の午前までは全域の清掃に入る。試験監督後、現場に向かいます。すいません、高槻市には行けそうもありません。

もひとつ

◆で、北区の攪乱の畦沿いの遺構内掘削結果であるが、黄色粘質土は数㎝、その下は、黄褐色砂質 なのだが、そこから、これまででもっとも大きいような家形?埴輪辺や、蓋形の立ち飾りかと思われる両面線刻の埴輪もあり、掘り込みは30㎝程度のようだが、ほぼ直に掘り込まれている。昨日の指導委員会で、墓坑ちゃうかとも言われたが、たしかに検出状況だけを見ると、そう見える。
◆が、造出上面が何らかの理由で掘り込まれ、窪んでいるところに17世紀の洪水層が堆積したものと考えている。本日の断ち割りでも、埴輪が含まれる。ある時期の表土層も認められない。比較的近接した時期ではないかと。
◆が、掘り込みが矩形であること、直に掘り込まれていることは、単純な掘り込みでなく遺構なんだろう。ほぼ底近くまで掘ってきており、ペロリンと掘り上がるようなら、今季のうちに掘削してしまおうとも考えていたが、これは無理。何かはわかならいが、ちゃんと遺構として、例えば南北畦を、だいぶ下がってはいるが残し、慎重に掘る必要があるので、夏に送ることにする
◆墓坑が完全に否定できるものでもない。盗掘された窪みであれば。
◆それと、断ち割りの下層の土の判断。(A)洪水の下層なのか、つまり洪水で埴輪が流れ込んでいるわけだが、その下層と上層にすぎないのか、(B)洪水層以前の堆積で、例えば畑の開墾により出てくる埴輪を捨てたものと、洪水による流れ込みとに分かれるのか。
◆で、昨日の写真であるが、その矩形の掘り込みの写真を掲げておく。写真の左側です。ちなみに、南辺(向こう側)は上がってきつつあるが、上口は畦の中らしい。それと東辺(左側)も今の調査区のなかで埋土から上がりつつあり、遠くはない。長方形になる見込み。さらにちなみに、埴輪列は右側壁沿い。畑でやられ、ヌケもあり、また残っていても1周しないものが多いが、攪乱されながらも、微妙に動いてはいるんだろうが、おおよその位置をとどめるものと理解できる。やや調査区に対し斜めになっており、手前右側では、壁に食い込んでいく。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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