人を幸せにする人になろう

金曜日の準備もOK

◆いや~できたできた。基本的に湯梨浜町でやったもの。それを整え、いくつか付加し、まあこれ でよかろう。あとはしゃべりとパフォーマンス。
◆さ、野口王墓の原稿を書こう。

明日から

◆明日から考古の春合宿を入れていて、帰ってきての金曜日に弥生博でしゃべらないといけないので、これから準備をしようと思う。《纒向と箸墓》という連続講座。箸墓の話はほとんどしないつもり。纒向石塚の話をするつもり。ちょっとしんどいし、今日は早めに切り上げたいところ。
◆午前中、大阪市の会議、豊臣石垣公開施設のやつで、市役所に赴く。ちょっと先走ったかもしれないが、議論することはよいことだ。議論し、落ち着くところに落ち着けばよい。施設との関係もあるのだが、遺構の興味として、中の段の石垣が判明しないか期待している。

24日は卒業式で

◆月曜日、大歴の委員会だが、欠席せざるをえず、しばらく前から事前にいろいろメーリングリス トを通じて伝えてはいた。が、いちおう報告事項のプリントを作成し、メールで企画委員に送り、印刷してもっていってもらう手はず。このほか入学金の支払いとか、長男も東京で下宿を変わるため、不動産屋から、所得証明とか保険証の写しを送れといわれているヤツを片付けたりとか、そんなんで日が暮れていく。
◆夕方、早めに出てパスポートを受け取り、難波に向かう。ちょっとわかりにくい場所だったが、なんとか時間には間に合う。まったく昼も食っていないので、このまま呑むとマズイので、途中、軽くパンとコーヒー。おかげで、歴史学の卒業パーティでは、白ワインをグビグビ飲んでいたが、さほど酔わず。が、けっこうしんどいので、今回は2次会はパス。市大に来てから、ず~と2次会までつきあってきて、昨年も結局は我孫子のカラオケ屋で朝を迎えたが、50歳にもなり、遠慮しておくことにする。50になって、ようやく歴史学の日本史・世界史教員の年齢順でほぼ真ん中になる。3年前くらいまでは(途中O大に移籍したN氏がいた時期をのぞき)いちばん下だったのですが、急速に世代交代が進んでいる。
[写真]勝手に一枚上げます。女性は怖いですね。化ける・・・。あんた誰?

レキハクの研究報告がようやく出た

◆この原稿、2012年9月に提出し、査読後、2013年2月末に補稿したものを提出した。ようやっとで すね。これも批判続出かも。いよいよ、いまの古墳の共同研究も、何を書くか考えないといけない。が、ふらふらしています。さて、どうすんべ。

それから土塔へ

◆土塔。これも前々から行きたかったが、行けていなかったもの。公園がくっついていて、なかな かいいところだ。上に上がれないようになっているのだが、やっぱり上がりたいものだ。
◆そこから家に戻り、和歌山へ。それから娘を大和高田で下ろし、帰宅。当麻寺の店は閉店後であった。カンベエを見るも、鹿児島で買ってきた焼酎をけっこう呑み、トンイの途中で沈没する。
◆話は変わりますが、黒田カンベエの妻の光(テルでなく、ほんとはミツらしいですね)の、中谷美紀はよいですね。それが加古川の志方城主の娘というから、とても親近感も沸く。志方城って、あの志方の城山なんですかね。焼米がいっぱい出てきたとか、志方生まれのオヤジに聞かされ、連れて行かれたものである。「し、し、志方の城山に、シラメが四匹、尻あわせて死んどった」。オヤジから聞かされいまだに覚えているが・・・。これはなんでしょうか。

3月23日は

◆仕事に行くつもりだったが、休む。2月11日以来か。藤井寺市図書館に行く。展示コーナーがある ことは知っていて、前から行きたかったところ。狼塚の埴輪の実物もここ に展示されている。が、ここのメインは修羅の小さい方と、修羅発見を機会に作られたパノラマ。これが、和紙で作られた人形を配した、よくできた模型なのである。なかなか楽しいですよ。

50歳となりました

◆3月22日、土曜日。何をしていたかというと、野口王墓の記事を書いてました。原稿を書くという よりは、図面をいじっていました。八角墳4基は、いずれも25㎝尺の歩=尋できれいに数字が出ます。しかもやはり、7世紀前半は偶数値、7世紀後半は奇数値できます。
◆それから牽牛子塚古墳の報告書にある野口王墓の写真から、図面に模式図を書き起こしておりました。そんなんで19時になり、帰りました。横で大学院生T君がHPの作業をずっとやってくれていました。

実は今日は

◆40代最後の日なんです。明日からは50代としてくくられてしまいます。薬師丸ひろ子の歌のフレーズでいくと、「50年も生きてきたのにね」というところ。今日は伏見城の後始末で、だいたい日が暮れました。

娘は北大に

◆前期の第1志望がダメだったのは残念だが、ともかくも後期で無事、合格した。昨日、伏見城から 帰ってくる時に連絡が入る。理学部の生物です。去年も合格したのに蹴って浪人したわけだが、それはもう言うまい。こないだ北海道に行ったのもその用で、2次後期の試験の前ながら、親側の時間がまったくないので、先んじて下宿を決めてきたのでした。
◆29日には3人で札幌に行き、いろいろ整えてやり、翌日、本人を残して帰る予定。息子の時は、親2人ともスペインで、1人で東京に行かせて申し訳なかったが、今度は、いちおうスタート時点にいてやることができる。カミさんが就職できたからこそ、2人下宿させてやることができる。
◆まあしかし、いまはピーチがあり早めに取れば交通費もあまりかさばらないが、こないだ、そして29日と、前もってというわけにもいかず、やっぱりお金はかかります。
[写真]北海道大学理学部

3カ年の伏見城現状調査終わる

◆18日から20日まで、最終年度の調査をやりました。空中レーザー測量陰影図をもち、2カ年の全域 踏査をもとに、再点検、略図等の作成など、できることをやりました。残 念ながら、最終日はかなりの雨で、ほんとなら中止するべき降雨だったが強行。石の矢穴について、まとまったデータを取る。ひととおり課題としていたことは15:30には終了し、打ち上げる。
◆今回は、M1のYさん、来年度考古の院生になるSさん、中世史のSさんやIさんにも声をかけ、石の清掃、撮影、略図描きなどに、頑張ってもらいました。Tさんと私、M1のM 君は伏見泊まりだが、2日とも呑み会とあいなり、初日6人、2日目は5人で、楽しく呑む。2晩とも10時~11時には呑んだくれて寝、朝4時・5時からごそごそしつつ、また寝てました。丸1日歩くとやはり疲れているのでしょう、これくらいで丁度です。
◆最終日はあいにくの雨ではあったが、終了とともに、やりきったという心地よい満足感。むろん報告書を出す仕事があるが(1年)、それはそれ。ひとまず現地調査が、宮内庁さんの全面的な協力のもとに実現し、当初考えていた以上の成果も得て終了できることに感謝したい。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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