人を幸せにする人になろう

鹿児島―古墳の旅(11)大楠

◆国の天然記念物、一説では樹齢1300年という。古墳の上にあり、史跡であり天然記念物でもある という。どっかで聞いたような話だ。ちょっと老齢化しているようで、前は古墳に 上がって木のまわりに立ち入れたのだが、根を踏んだりしないように見学用の柵をめぐらす工事中であった。
◆菜の花

鹿児島―古墳の旅(10)肝付町歴史民俗資料館

◆塚崎古墳群の出土遺物などを見る。いま史跡の委員会が立ち上がっていて、国庫補助で、古墳を 残した集団の居住域など、台地上の確認調査を実施中とのこと。そもそも 悉皆的に古墳群すべてが史跡になっているのだが、現状の墳丘の高まりでしかなく、それを面的に範囲を拡大しているとのこと。既に第1段階を終え、さらに台地上の関連遺跡を探索している。その確認調査の現場も見せてもらった。
◆ちなみに、大阪あたりから、志布志湾沿いの古墳見学のツアーが企画されているらしく、好評で、どこの旅行社か知らないが、継続しているとのこと。あとでも触れるが、先に挙げた大崎町/東串良町/肝付町、いずれも古墳で盛り上がっている。また、草刈りなど、地元のみなさんの尽力で、いずこも実にさっぱりとし、墳形をよく観察することができた。

鹿児島―古墳の旅(9)

◆はじめて。最南端の前方後円墳なんだとか。前方後円墳が5基。台地の東縁寄りと、西側の39号墳 あたりの2群に分かれる。前期から中期前半あたり?。壺形埴輪や土器が知られ る。前方後円墳そのものの年代はいまひとつ不明瞭のようだが、東縁がオオヤマト段階、39号墳が佐紀段階でええんちゃうか、と思った。O大N氏は段築をじろじろ観察していて、11号墳では、間の緩斜面部が中段に相当し、3段でいいのではと答えると、同じ見解とのこと。
◆39号墳は、パッと見て、まず造り出しがありそうだ。測量図で前方部も太く、確かに五社神に対比するのは適切かなと。前期末でいいのではと感じる。陵山を含めて比較してみる必要がある。

鹿児島―古墳の旅(8)

◆肝付町で昼。志布志湾沿いでは、北から志布志市/大崎町/東串良町/肝属町となている。昼 食場所は人でいっぱいで、2回に分かれる。1回目だったので、そのメン バーは食べ終わると席を空け、すぐ横の肝属川の土手に上がる。
◆「のどかやね~」、と。みな、仕事は忘れ、この2日間は、古墳を見て楽しみましょうと。つくしがいっぱい。
[肝付町]1万6000人

鹿児島―古墳の旅(7)玉山神社

リクエストがあり玉山神社へ。壬申倭乱で朝鮮半島から連れてこられた陶工が、薩摩半島側でい までも鹿児島焼を焼いているののだが、そのうちの一部30戸を大隅のこの地に移住させたのだそうで、1606年に祭神を檀君とするこの神社が建てられたという。小中華思想みたいなもので、薩摩藩は、朝鮮民族をも領域内に置いている、という誇示のための政策という。
◆明治になって祭神をスサノオに変更させたという。東郷茂徳外相はこの地の出身とのことで、それ以前は和姓ではなかったとか。

鹿児島―古墳の旅(6)桜島

◆レンタカー2台、フェリーで桜島にわたり、展望台に。溶岩ごろごろ、地ベタには火山灰。噴煙は おとなしかったが、展望台を離れて大隅半島側にわたる頃に、もくもくと 元気になる。

鹿児島―古墳の旅(4)

◆終了後、ホテルにチェックインし、19:00から天文館で懇親会。昼間の貝輪の話の続きやら、成川 式土器の話やら。鹿児島市の職員も参加し盛り上がる。生ビールのあとは焼酎。終了後、2次会に行ったのは6人くらい・・・。もう、朦朧としていたかも。
◆翌日、8:45に鹿児島中央駅前の、若き薩摩藩の群像、の銅像前に集合。わからんやつは考古学やめろ、とはK大H氏の弁。まあ、わかります。

鹿児島―古墳の旅(3)

◆そこから理学部の教室に引き返し、鹿児島大の発掘資料の見学会が始まる。
◆そして14時から研究会。貝製腕輪の話と、大隅の古墳の話。腕輪の話を聞いていて、どこまで畿内などの前期古墳に貝製腕輪が入っているのか、それはわからんが、密閉性の高いものから出ていることからすると、やはり残存していないが存在していたものを一定程度想定すべきであろう。が、すぐに緑色の石に置き換えられ、そっちが主流になる。実際に腕輪として使用することも一定程度あったのだろう。男はクワガタ石で、女は車輪石などの使い分けも維持されている(どこまで着装しているのかな)。が、すぐに量産化され、実用品とはいえなくなり、そしてパタリと終わる。前期古墳の副葬品目に腕輪が加わったことは確かながら、その後の貝製腕輪などが、九州を中心とし、信州などの東日本にはありながら、近畿地方ではほとんど出ていないことからすると、ブレスレット文化は、石製腕飾が廃れるとともに続かなかったのだろう。そして腕輪文化の伝統が根強かった九州をはじめ(が分布域も問題)、残っていく地域もある、そんな風に感じる。
◆このまま書き続けてもいいのだが、明日もあるので、この辺で。しばらくは伏見城のことで頭がいっぱいになるので、続きは終末にでも・・・。

鹿児島―古墳の旅(2)

◆大学の裏側から入り、研究会会場の理学部に向かう。人はまだ少なめ。博物館見学に出る。1928 年建築の登録文化財だそうだ。2階建て、上は地質、1階が考古やら実験器 具や農学校時代の資料など。うちも博物館作りたいもの。大学史資料室の人とはそういう話をしているが、ちょっとしっかりした企画書を一度作る必要がある。
◆成川式土器をじろじろと見る。あと布留的な赤く磨かれた土器。布留式でも、甕よりも精製機種の方が広がりがあるというのはE君の修論の時に学ぶ。倭王権の影響圏もいろんな位相があるが、今回、変形はしてても小丸があり赤く塗った精製機種を見ていると、どこまで直なのか間接かはともかく、かなりの波及を感じる。

鹿児島―古墳の旅(1)

◆土日の巡検、14日金曜日は夜入ればいいと思いこんでいて、ずっと前にピーチを取っていたのだ が、午後、研究会があるではないか。そのまま夜入りにしようかと思ったが、伊丹の見学会のチラシの発送をなんとか前日やり終え、朝からでかける。
◆4席の指定席は快適で、仕事ははかどるとのカミさんの弁だが、指定を取っている余裕もなく、新大阪に着いて見れば満席だし、自由席で行く。4時間、伏見城の縄張り図をず~と書いていた(終わらず)。鹿児島中央に降り立つ。なにやら銅像が。市電に乗り鹿児島大学へ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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