人を幸せにする人になろう

10月20日高槻・茨木・吹田(8)吹田市博

◆吹田市博はあまり時間がなかったが、17:15までというのもありがたい。企画展の操車場・名神 の展示がなかなかよかった。よくまあ、こんだけのものを集めたと、てっ ちゃんの偉大さを思い知る。なんだっけか、国産大衆車の車のホンモノが据えてあった。
◆常設の展示も、いつも勉強になる。が、いつも閉館間際に来て十分な時間をかけて見れてないような気がする。今度は時間をかけて・・・。それと七尾瓦窯、岸部瓦窯の現地にも足をはこぶべきですね。

10月20日高槻・茨木・吹田(7)茨木市の文化財資料館

◆そのあと、太田茶臼山に立ち寄ったあと、銅鐸の鋳型を見に茨木市の資料館に行く。企画展で、 東奈良で鋳型が発見されて40年の企画展をやっていた。意気込んで2階に上がっ てガックリ。
◆完形の銅鐸の鋳型はなんとレプリカ。思わず、座っているおじさんに、なんでレプリカなんですかと抗議(申し訳ないけど)。重要文化財で痛む?。石やしね~。平常だって、ここの目玉になるだろうに。東奈良があってこそ、あそこに資料館が建てられたんだろうに。それが見れるからこそ、人が来るのだろう。まして40周年を記念する企画展で、ホンモノを並べてないとは、どういう考え方なんだろうか。まったく理解ができない。で、しゅるしゅると見る気が失せていく。
◆一方で、遺跡のパンフレット類を作ったのでしょう、そういうものが無料配布されていて、ありがたかった。是非とも、1階の常設展を、大きく変えないでいいので、背後のパネルとか、理解を助ける工夫をしてもらうことをお願いしておきたい。

10月20日高槻・茨木・吹田(6)三島の条里

◆今城塚の博物館にもどって、島上郡の条里のパネル。淀川に沿って山陽道が通され、条里が切ら れ、のち正方位条里にやりかえるのだ、と思っているが、どうなんでしょうね。

10月20日高槻・茨木・吹田(5)阿武山

◆博物館は、なにかとジロジロ見たが、省略。小雨だったが、せっかくなので今城塚現地も埴輪復 元のところまで行く。そのあと、新池、これも省略。
◆本日の自分のなかでのメインイベント、阿武山古墳に行く。住宅地の斜面を抜け、京大の研究所の敷地内に入り、登山者の便があるのか、建物脇のところにスペースが設けてあり車が置ける。そこから歩いてすぐである。古墳の土盛りがないのが特徴で、かつて発見された埋葬施設上には四角い囲みが作られ、大きな説明看板がある。
◆さて鎌足墓なんでしょうか。それでいいのでは、と最近は思っています。今城塚の博物館で出土須恵器を見ましたが、ちっちゃいです。

10月20日高槻・茨木・吹田(4)鎌足シンポ

◆チラシがあったので紹介しておく。まあ、お歴々の方々を集め、さぞや盛大に人が集まるであろ う。普及活動に余念がない。600名の大ホールだって。すごいね。

10月20日高槻・茨木・吹田(3)今城塚の博物館で

◆さっきの続き。整備された今城塚古墳および博物館と島上郡衙は近い。是非、郡衙に足を伸ばし てほしいもの。郡衙跡の脇にあった看板を見ると、史跡地としては既にけっこ う確保していることがわかる。
◆で博物館のパネルから。200m級の古墳を調査整備するのに、どのくらいのエネルギーがかかるのかがよくわかる。まだ報告書も作らないといけないし。しかし、博物館ができ、そこを拠点にする発信は既に活発に展開している。全国速報展もまもなくだ。

10月20日高槻・茨木・吹田(2)島上郡衙跡

◆恥ずかしながら初めてでした。一帯に、フェンスで囲まれた史跡地があり、粘り強く指定地の買い上げを続け、土地を確保する努力を続けている姿がよくわかる。なので、なかなかまとまった面的な整備ができないが、 そのなかで正庁部分の1/5大の整備をやってい る。駐車スペースなく、全体像もわかりにくいが、それはいたしかたない。50年先にはだいぶ変わっているだろう。

10月20日高槻・茨木・吹田(1)安満(あんみつ・・・嘘ですよ)遺跡

◆その前の10月20日には、院生らと高槻・茨木・吹田をまわる。雨も降っていたがなんとか。安 満宮山→古曽部芝谷付近(場所を見に行く)→安満遺跡。
◆前に京大農場内で、高槻市が発掘していた現場を見せてもらったことがある。それが安満遺跡に行った最初だが、今回は2回目。事務棟を抜けたところに説明看板があった。脇には、農場移転にともない高槻市が買い取り、どう整備するかの青写真も掲げられていた。

南塚の奥壁

◆近つで南塚の遺物を見ていて、その背後のパネルに目をやると(京大さん、すいません)、あれっと。南塚の石室の奥壁、 これへんですよね。概報をよく読めば書いてあるのかもしれません。市尾墓山と同じに見える。わかります?。羨道があるんじゃないですか。そこをあとで塞いでいるように見えるのですが。
◆既にわかっているなら、それでよし。市尾墓山は、石棺蓋搬入用に奥壁側にも羨道があることが確かめられている。これは生前造墓の根拠となりうるものです(河上さんの言うとおり)。南塚も同じではないだろうか・・・。そういう目でぜんぶ点検したらおもしろいだろう。卒論くらいにはなるネタではないか。

近つと弥生の秋の企画展に行く

◆博物館実習展の仕事で職場に行くつもりだったが、買い物に行きたいとの要請があり、コーナン →ユニクロ→靴屋となる。タカギで昼飯。こうなると日曜出勤とし、今日は職場に行かないこととする。で、いつ行けるかわからないので、まず近つ。
◆推古朝。東国の資料をまとめて見ることができる。それにしても、6世紀後半とか、7世紀初頭とか、7世紀前半とか(TK43、TK209、飛鳥Ⅰということ?)、どこまでどう年代比定が妥当なのか、よくわからない。関東の前方後円墳はぜんぶ7世紀初頭でいいのか、一方で7世紀初頭の方墳もあるということだが、妥当なんだろうか。個々の古墳の追葬状況、個々の須恵器はどれにともなうのか、ちゃんと理解しないと、なんとも・・・。
◆特展は大事。だけど常設展は変わり映えせず、差し替えなどもない。常設展の「古めかしさ」を、いつも以上に感じる。忙しすぎるんでしょうね。
◆次いで弥生に行く。吉備。マニアック。入ったときはあんまり人がいなかったが、段々増えてき た。専門家が多いよう。子供を連れたお母さんが1組。企画展が春と秋にあるとして、一方は研究を全面に出し、他方は一般向けを意識する、という使い分けがあってもいいな~、といったことを考えていた。
◆楯築の調査が大きくクローズアップされていた。4回生に上がる学部生を中心として掘ったんですね。大学院がまだなかったという。わからない遺構と格闘する最先端の調査ということはよく理解できるし、かかわった方々の熱意も伝わる一方、思うところもある。それと1979年4月入学組の写真。大阪市のTさんや香川のOさんや、神奈川のHさんなど・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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