人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
国府河津井と太田井
◆先週、大学院生と伯太の幹線水路をさかのぼる(写真
左は黒鳥集落内)。院演習の発表予定を決め、空く週を利用した、 本年度合同
調査の補足FW。
◆国府河津井の一の斗木を見る。三つ叉を改めて見る。で、伯太の幹線水路はやはり北上し、段丘沿いを東から来る。現在、新興住宅地ができて、太田井との接続についてはまだ確認が甘い。が、より高いところを、通ってくることはたぶん間違いないだろう。
◆坂本地域を灌漑する太田井は、府中を含む国府河津井の灌漑域(黄色)よりも、槇尾川沿いの上流部のために設定されるとともに、その高さを維持して伯太まで導き、国府河津井の灌漑域より北側をも潤している(黄緑色)、というのが現時点の仮説である。
◆国府河津井の一の斗木を見る。三つ叉を改めて見る。で、伯太の幹線水路はやはり北上し、段丘沿いを東から来る。現在、新興住宅地ができて、太田井との接続についてはまだ確認が甘い。が、より高いところを、通ってくることはたぶん間違いないだろう。
◆坂本地域を灌漑する太田井は、府中を含む国府河津井の灌漑域(黄色)よりも、槇尾川沿いの上流部のために設定されるとともに、その高さを維持して伯太まで導き、国府河津井の灌漑域より北側をも潤している(黄緑色)、というのが現時点の仮説である。
阿部義平さん
◆2年ほど前にお亡くなりになったことを知らなかった。69歳だったという。大先輩だが、ほとんど面識はないといっていい。一度どこかでご一緒した。宮崎だったようなかすかな記憶が・・・。なんでも飛行機や車は使わず、千葉から電車を乗り継ぎ、また現地まで歩く、そういう話をしておられたことを鮮明に記憶している。
◆学問的にも接点はあまりないが、古代の集落とか、蝦夷の問題とか、論文や青木の本で、書かれたものを少しだけはかじっている。十分知らないでの印象ではあれ、信頼できる手堅い研究を積み上げられた方だと思う。ひげと笑顔が印象的でした。なんとなく宮崎駿のイメージに近いですね。
◆学問的にも接点はあまりないが、古代の集落とか、蝦夷の問題とか、論文や青木の本で、書かれたものを少しだけはかじっている。十分知らないでの印象ではあれ、信頼できる手堅い研究を積み上げられた方だと思う。ひげと笑顔が印象的でした。なんとなく宮崎駿のイメージに近いですね。
集団的自衛権も
◆かつて検討した4類型に、新たに5つのケースについて、集団的自衛権の行使としてよいか、を議
論しているという記事。ちゃんと調べなあかんが、もう疲れた。
◆Nさんの論文を思い出す。「いかに他の状態でありえたか」。いまは1931年あたりに対比できるのかもしれない。軍部が満州事変を起こし、政府は拡大を止めようとしたが、歯止めがきかず、満州国建設に進み、世界から孤立し、やがて日中戦争へと突入する・・・。「いかに他の状態でありえたか」という言葉はもっと味わい深いものなのだが、例えば、上のように、分かれ目において、結局は押し流されそれを認める意志決定をし、あとは引き返せない。そういう累積が、広島・長崎、都市部の空襲による壊滅を結果した。
◆教育委員会制度をやめる、集団的自衛権を憲法改正をしないで解釈で合憲にする、解雇特区などの信じられないことを進める、放射能がだだ漏れでも制御できているとシラ~と平気でウソをつき、なんだっけ、日本の農業を守ると公約しながらTPPを押し切られてもしゃーないと、これまた平然と約束を破る。そうした意志決定の累積が、日本をどこに導くのだろうか。再び悲劇に終わったとき、例えば国債が暴落したとき、「他の状態でもありえた」のに、と後悔するのだろうか。
◆Nさんの論文を思い出す。「いかに他の状態でありえたか」。いまは1931年あたりに対比できるのかもしれない。軍部が満州事変を起こし、政府は拡大を止めようとしたが、歯止めがきかず、満州国建設に進み、世界から孤立し、やがて日中戦争へと突入する・・・。「いかに他の状態でありえたか」という言葉はもっと味わい深いものなのだが、例えば、上のように、分かれ目において、結局は押し流されそれを認める意志決定をし、あとは引き返せない。そういう累積が、広島・長崎、都市部の空襲による壊滅を結果した。
◆教育委員会制度をやめる、集団的自衛権を憲法改正をしないで解釈で合憲にする、解雇特区などの信じられないことを進める、放射能がだだ漏れでも制御できているとシラ~と平気でウソをつき、なんだっけ、日本の農業を守ると公約しながらTPPを押し切られてもしゃーないと、これまた平然と約束を破る。そうした意志決定の累積が、日本をどこに導くのだろうか。再び悲劇に終わったとき、例えば国債が暴落したとき、「他の状態でもありえた」のに、と後悔するのだろうか。
学科長の選出方法
◆こないだから市大で提案され意見を求められているのと、まったく同じ問題が今日の夕刊?にあった。山口大学の例が紹介されていた。まったく同じ。各研究科が選んだ候補者を承認する現在のあり方から、複数の候補を挙げて、学長が面接とかして決め、理事長が指名するという、新たな制度を導入しようとしている。
◆なぜそうすることがメリットがあるのだろう。説明はない。山口大学の記事でも、経験者がスピーディ感がないと。いろんなことに対応せねばならず、こういう方向で仕組みを変えるとか、方向性を出したとして、教授会を動かし実現させるには時間がかかるのだとか。
◆大学の自治というありきたりの言葉があり、あんまり好きではない。中身としては、われわれも、仲間の中で、それまで全学や研究科内のいろんな役職などにつき、教授会で報告している方々の姿や発言を聞き、この人だったら任せられるということで研究科長が決められてきた。これまでの経験でも、それなりに皆さん、人をちゃんと見ている。投票の際、やっぱりしかるべき人が選ばれており、候補にはなっても、ちょっとと思う人はやはり最終的には落ちていく。そういう選択が、今、まっとうになされている。大学の自治ということを金科玉条として、横から口を出されることをとにかく阻止する、というつもりはない。なんとなく言葉が陳腐だし、組織は保守化するものでもあるし・・・。が、以上のように、いまの研究科長の選出はちゃんと機能しているのである。変える必要が見あたらない。
◆それを、なんでも複数候補を立てて、学長がどれにしようかな、と選ぶと。それでなにがよくなる?。大学も法人化し、今度は、理事長と学長も分離されるという。(理事長っちゅうのもね、なんか大手民間の社長経験者ならいいんですか。そういう外部のご意見番はあっていいし、耳を傾けるべきだが、それが上に立つというのはちがうだろう。)
◆で、理事長とか学長とかという方々は、要するに全学的によかれと思うことを舵取りする、また各研究科のパワーアップを図るのが仕事だろう。がしかし、企業ではない。右向け右では動かない。彼らの仕事は、いかに研究環境を整備し、教員・職員が気持ちよく力を発揮させる、そういう方向に導くことだ。それ面白いね、研究費付けるから、どんどんやって、とか。研究という営みは、結局は、教員個々のやる気を引き出すことしかない。締め付けても、給料分だけ仕事をすればいい、一生懸命やっても査定され文句を言われるだけだ、とやる気を削いだら、もとも子もないですよ。まあ、そうは言っても、院生もおり学部生もおり、そんなことには関係なくやりますけど。
◆元にもどって、理事長とか学長が、大所高所からこうすべきとか、こうした方がいいとか、そういうことが仕事なのだから、提案し、実行に移そうとする。その時に、自分の意見を通しやすい人選をして、それこそ職務命令で動かそうとしても、反発をくらうだけですよ。結局は機能しませんよ、ということ。彼らがすべきは、部局長会とか、よく知らんけど、全学の会議において、いかに各研究科を説得しそういう方向を実現させることに努力するということだろう。彼らのいうことがもっともで、こうしたいという方向性が合理的ならば賛成しますよ。アホじゃないんだから。たとえば、危機感を訴えるという時も、どこまで本気かということが伝われば、人間、動かされるもんですよ。そう言うことが大事なのであって、複数候補を立てて学長が選ぶという制度改革が、どれだけの効果があるのか、きわめて疑問なのである。
◆なぜそうすることがメリットがあるのだろう。説明はない。山口大学の記事でも、経験者がスピーディ感がないと。いろんなことに対応せねばならず、こういう方向で仕組みを変えるとか、方向性を出したとして、教授会を動かし実現させるには時間がかかるのだとか。
◆大学の自治というありきたりの言葉があり、あんまり好きではない。中身としては、われわれも、仲間の中で、それまで全学や研究科内のいろんな役職などにつき、教授会で報告している方々の姿や発言を聞き、この人だったら任せられるということで研究科長が決められてきた。これまでの経験でも、それなりに皆さん、人をちゃんと見ている。投票の際、やっぱりしかるべき人が選ばれており、候補にはなっても、ちょっとと思う人はやはり最終的には落ちていく。そういう選択が、今、まっとうになされている。大学の自治ということを金科玉条として、横から口を出されることをとにかく阻止する、というつもりはない。なんとなく言葉が陳腐だし、組織は保守化するものでもあるし・・・。が、以上のように、いまの研究科長の選出はちゃんと機能しているのである。変える必要が見あたらない。
◆それを、なんでも複数候補を立てて、学長がどれにしようかな、と選ぶと。それでなにがよくなる?。大学も法人化し、今度は、理事長と学長も分離されるという。(理事長っちゅうのもね、なんか大手民間の社長経験者ならいいんですか。そういう外部のご意見番はあっていいし、耳を傾けるべきだが、それが上に立つというのはちがうだろう。)
◆で、理事長とか学長とかという方々は、要するに全学的によかれと思うことを舵取りする、また各研究科のパワーアップを図るのが仕事だろう。がしかし、企業ではない。右向け右では動かない。彼らの仕事は、いかに研究環境を整備し、教員・職員が気持ちよく力を発揮させる、そういう方向に導くことだ。それ面白いね、研究費付けるから、どんどんやって、とか。研究という営みは、結局は、教員個々のやる気を引き出すことしかない。締め付けても、給料分だけ仕事をすればいい、一生懸命やっても査定され文句を言われるだけだ、とやる気を削いだら、もとも子もないですよ。まあ、そうは言っても、院生もおり学部生もおり、そんなことには関係なくやりますけど。
◆元にもどって、理事長とか学長が、大所高所からこうすべきとか、こうした方がいいとか、そういうことが仕事なのだから、提案し、実行に移そうとする。その時に、自分の意見を通しやすい人選をして、それこそ職務命令で動かそうとしても、反発をくらうだけですよ。結局は機能しませんよ、ということ。彼らがすべきは、部局長会とか、よく知らんけど、全学の会議において、いかに各研究科を説得しそういう方向を実現させることに努力するということだろう。彼らのいうことがもっともで、こうしたいという方向性が合理的ならば賛成しますよ。アホじゃないんだから。たとえば、危機感を訴えるという時も、どこまで本気かということが伝われば、人間、動かされるもんですよ。そう言うことが大事なのであって、複数候補を立てて学長が選ぶという制度改革が、どれだけの効果があるのか、きわめて疑問なのである。
教育委員会という制度はなくなる?
◆中教審で教育委員会の制度改革についてまとめられ、年明けに法律改正案が提出されるという(そう簡単ではないかもしれない)。原案としては2案の候補があり、教育委員会を執行機関としない案、執行機関の形態を残すが、大まかな方針とかそういうことを考えてもらう役割に留める案。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が全面的に変わりそう。社会教育法とか博物館法とか、そういうものもすべて改正が必要となろう。戦後の独立行政委員会導入の試みはあえなく撤廃されるのだろう。こないだ、博物館概論で、いまこういうことが議論されていると話した。博物館の所管の話をしたところで、大きく変わりそうである。
◆いま機能していないと指摘されている内容は、制度の問題でなく運用の問題。教育委員会事務局があくまで主体で、形ばかりの名誉職である教育委員が、めざされたような機能を果たすはずがない。問題があるとして、それを是正する方策を考えるとき、一般行政から教育行政を切り離すことの原則を維持するならば、教育委員をどのように人選するのかとか、実質的な権限をどこまで与えるかという問題のはず。が、そうではなく、教育行政も地方公共団体の長の下に置くという基本的方向である。
◆戦前の過ちを繰り返さないために採られた教育の独立という基本原理が、これで否定される。あほな文部科学大臣が育鵬社の教科書を採択せよと命じたら、そうなるかもしれないものになる(極論だが)。権力とはこういうもの。自分の意向にしたがう専門家を集めて議論させ、政策のとりまとめを行い、それにしたがって法律改正をさせる。いじめ問題の隠蔽などのことが改革が必要な理由に挙げられているが、それは教育委員会制度の問題なのだろうか。お役所の論理でしょう。為政者側の根本的問題認識は、教職員組合というウザイやつらを押さえ込むことなんだろう。国鉄民営化と同じ。が、国鉄と教育は違う。
【追記】ちなみに、いまの事務次官は、1996年に東京勤務になった時の上司、記念物課長だった人物です。そうか、官僚トップになったんやね~。まあ、わかる。
◆いま機能していないと指摘されている内容は、制度の問題でなく運用の問題。教育委員会事務局があくまで主体で、形ばかりの名誉職である教育委員が、めざされたような機能を果たすはずがない。問題があるとして、それを是正する方策を考えるとき、一般行政から教育行政を切り離すことの原則を維持するならば、教育委員をどのように人選するのかとか、実質的な権限をどこまで与えるかという問題のはず。が、そうではなく、教育行政も地方公共団体の長の下に置くという基本的方向である。
◆戦前の過ちを繰り返さないために採られた教育の独立という基本原理が、これで否定される。あほな文部科学大臣が育鵬社の教科書を採択せよと命じたら、そうなるかもしれないものになる(極論だが)。権力とはこういうもの。自分の意向にしたがう専門家を集めて議論させ、政策のとりまとめを行い、それにしたがって法律改正をさせる。いじめ問題の隠蔽などのことが改革が必要な理由に挙げられているが、それは教育委員会制度の問題なのだろうか。お役所の論理でしょう。為政者側の根本的問題認識は、教職員組合というウザイやつらを押さえ込むことなんだろう。国鉄民営化と同じ。が、国鉄と教育は違う。
【追記】ちなみに、いまの事務次官は、1996年に東京勤務になった時の上司、記念物課長だった人物です。そうか、官僚トップになったんやね~。まあ、わかる。
なんだっけ日本の産業革命遺産?
◆古市・百舌鳥ではなく、審議会は長崎教会群を選び、が、政府主導で産業革命遺産の推薦が決
まった。これについて、いろいろと議論があるが、詳しくリサーチする気もない。
◆例えば、いま推薦している富岡製糸場はどうなんですか。単体で行けそうなものは単体、そうでないものは群でなんとか、という感じ。一緒にしはったら、とは言われないんでしょうか。また、本気で日本の産業革命関連遺産をまとめるとすると、どういうものになるのだろうか。いまの資産が、望ましい組み合わせなのか?。なんとかなるものの寄せ集めと、一緒に組み込まれたいというものの集合体、と写る。
◆それから、なんぼ現役でも、いまは登録制度もあるわけで、本来なら、企業なりが、自分のところの持ち物だけど、しかし歴史的価値もあり、文化財という側面を認めるべきですよね。資産の中には、そもそもふさわしくないものもあるのでしょうが、建設が古いものは文化財になりうる。そういう理解、制約を一定受けるのもやむをえないというか、そういう価値を認めてこそ、だと思うのだが。そんなことをすっぽかして、世界遺産になったらハクが付く、というのではダメなのではないか。日本の文化財に指定されるのはイヤだけど、世界遺産なら歓迎、ということではないのか。あるいは、世界的普遍性の前に、日本では認められてない、それでいいのか。価値あるものだから残していかなあかん、という考えが所有者がちゃんともってこそだろう。
◆だから、世界遺産登録が見送られたら、ある時に壊してしまう、といったことさえ起こりうる資産もあるのではないのか、と思ってしまう。
◆例えば、いま推薦している富岡製糸場はどうなんですか。単体で行けそうなものは単体、そうでないものは群でなんとか、という感じ。一緒にしはったら、とは言われないんでしょうか。また、本気で日本の産業革命関連遺産をまとめるとすると、どういうものになるのだろうか。いまの資産が、望ましい組み合わせなのか?。なんとかなるものの寄せ集めと、一緒に組み込まれたいというものの集合体、と写る。
◆それから、なんぼ現役でも、いまは登録制度もあるわけで、本来なら、企業なりが、自分のところの持ち物だけど、しかし歴史的価値もあり、文化財という側面を認めるべきですよね。資産の中には、そもそもふさわしくないものもあるのでしょうが、建設が古いものは文化財になりうる。そういう理解、制約を一定受けるのもやむをえないというか、そういう価値を認めてこそ、だと思うのだが。そんなことをすっぽかして、世界遺産になったらハクが付く、というのではダメなのではないか。日本の文化財に指定されるのはイヤだけど、世界遺産なら歓迎、ということではないのか。あるいは、世界的普遍性の前に、日本では認められてない、それでいいのか。価値あるものだから残していかなあかん、という考えが所有者がちゃんともってこそだろう。
◆だから、世界遺産登録が見送られたら、ある時に壊してしまう、といったことさえ起こりうる資産もあるのではないのか、と思ってしまう。
一戸~九戸
以下、ウィキ
古代には、この近辺に爾薩体と呼ばれるエミシの部族集団が居住していたが、811年に征夷将軍文屋綿麻呂が爾薩体と弊伊征服したと『日本後紀』に記述されている。
かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、糠部郡、鹿角郡、比内郡、津軽平賀郡、津軽田舎郡、津軽山辺郡、津軽鼻和郡、外浜、西浜が建郡された。 戸の名前は、糠部郡に敷かれていた「四門九戸(しもんくのへ)」の制に由来する。 四門九戸の制とは、糠部郡を東西南北の四つの門と、一から九までの「戸」(あるいは部)に分けるものであり、糠部郡内の主な地域を一戸〜九戸に分画して余った四方の辺地を東門、西門、南門、北門と呼んだと思われる。 「戸」とは「牧場」の意であるとも言われる。
◆だそうである。
古代には、この近辺に爾薩体と呼ばれるエミシの部族集団が居住していたが、811年に征夷将軍文屋綿麻呂が爾薩体と弊伊征服したと『日本後紀』に記述されている。
かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、糠部郡、鹿角郡、比内郡、津軽平賀郡、津軽田舎郡、津軽山辺郡、津軽鼻和郡、外浜、西浜が建郡された。 戸の名前は、糠部郡に敷かれていた「四門九戸(しもんくのへ)」の制に由来する。 四門九戸の制とは、糠部郡を東西南北の四つの門と、一から九までの「戸」(あるいは部)に分けるものであり、糠部郡内の主な地域を一戸〜九戸に分画して余った四方の辺地を東門、西門、南門、北門と呼んだと思われる。 「戸」とは「牧場」の意であるとも言われる。
◆だそうである。
八戸研究会(30)旅の終わり
◆盛岡発1530の新幹線で仙台へ。仙台空港から伊丹へ。うとうとしていたが、着陸前、下を見る
と夜景がきれい。だいたい柏原上空を飛ぶ、なのでどこだろうと見ていたら、どうやら奈良盆地。見ると、現在の横大路、上つ道・中つ道、が見えるではないか。むろん道路とそこを通る車の光りの列です。でも、ほんとうにそうなのだ。暗いが明神山系がぼんやりわかる。ハルカスだ、大阪城だ、ということでランディング。
◆カミサンと待ち合わせている間、上本町の青山で、このブログの記事を書いておりました。いや~密度濃い出張でした。西堀栄三郎に言わせれば「人間は経験するために生きている」のだとか。なかなか八戸や盛岡に足をのばす機会はない。これからも、行ったことがない、見たことがない場所、遺跡、博物館を、死ぬまで、めいいっぱい見たいものである。
◆カミサンと待ち合わせている間、上本町の青山で、このブログの記事を書いておりました。いや~密度濃い出張でした。西堀栄三郎に言わせれば「人間は経験するために生きている」のだとか。なかなか八戸や盛岡に足をのばす機会はない。これからも、行ったことがない、見たことがない場所、遺跡、博物館を、死ぬまで、めいいっぱい見たいものである。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。