人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
鳥取(11)鳥取市歴史博物館(やまびこ館)
◆知らなかったが鳥取市の博物館もできていることを県博で知り、雨の中、歩いていき、無事、た
どりつく。受付で聞くと2000年にできたらしい。ここはハナから資料の保存のため撮影禁止と明記してある。しゃーない。あんまり影響ないと思いますが。
◆1階が企画展で、それはパス。常設展は地下へ降りていく(300円)。階段から下をながめると、半分くらい青い。ありゃなんじゃ、と思って降りていくと、海の青で、青でないところには国土地理院の地図を陶板に焼き付けたタイルを貼り合わせたものになっていた。こういうの大好きである。
◆なかなか斬新な展示だった。最初は、近代以降の鳥取市の写真や、聞き取り調査のビデオテープ。市の概要紹介。また同緯度の世界の都市の紹介。流れている映像の手前の部分のヤツ
は、現在の中継画像?、未確認。でもねえ、同緯度ということで姉妹都市 になっているところもあるようだけど、だから、とも思う。同緯度という必然性があまり感じられない。でもまあ、けっこうなスペースであるわけだ。
◆一段落すると、歴史に入るが、銅鐸が一個あったが、あんまり考古資料はない。じっくり見始めたのは鳥取藩の展示のところから。吉川経家が籠城のあと、1人切腹して開城した話などを学ぶ。それと岡山池田と鳥取池田の話。
◆けっこう楽しめました。いろんなアイデアが込められ、それでいて歴史の展示が疎かになるわけでもなく、とくに江戸時代でいえば村の暮らしとか、普通の人々の生活に着目していこうという目線が加わっていることがパネルの文章などから読み取れる。考古の側として
は、量的にはわずかと言っていいので、もっとできるとは思うが、コンセプトが別のところにあるのだろう。ただ、鳥取城の整備のパネルは、長期・中期・短期だったか、そういう計画に沿って進めている現在進行中のものが紹介されているのはよかった。
◆1階が企画展で、それはパス。常設展は地下へ降りていく(300円)。階段から下をながめると、半分くらい青い。ありゃなんじゃ、と思って降りていくと、海の青で、青でないところには国土地理院の地図を陶板に焼き付けたタイルを貼り合わせたものになっていた。こういうの大好きである。
◆なかなか斬新な展示だった。最初は、近代以降の鳥取市の写真や、聞き取り調査のビデオテープ。市の概要紹介。また同緯度の世界の都市の紹介。流れている映像の手前の部分のヤツ
◆一段落すると、歴史に入るが、銅鐸が一個あったが、あんまり考古資料はない。じっくり見始めたのは鳥取藩の展示のところから。吉川経家が籠城のあと、1人切腹して開城した話などを学ぶ。それと岡山池田と鳥取池田の話。
◆けっこう楽しめました。いろんなアイデアが込められ、それでいて歴史の展示が疎かになるわけでもなく、とくに江戸時代でいえば村の暮らしとか、普通の人々の生活に着目していこうという目線が加わっていることがパネルの文章などから読み取れる。考古の側として
鳥取(11)鳥取県博(つづき)
◆国絵図がよかった。勉強になった。その実大の垂れ幕をつくり、民俗展示との仕切りともしてい
た。自然史の展示のところでも感じたが、印刷技術の発達で、ほとんどどんな素材にも印刷が可能となっていて、布やビニールに印刷して上から垂らすといったことが可能になっている。
◆江戸時代の米子のパネルを見た。米子って(もとの米子市、いまは淀江も米子市という)展示施設はあるんでしょうか。こないだ出雲に行く時も、調べてもらったがなかった。米子の歴史を学ぶのに、鳥取県博で少し勉強できる、というのでは寂しいではありませんか。
◆それと竹島の展示があった。あえてやっていますね。米子の商人に鬱陵島に渡海する許可が特別に出されたこととか、問題が発生した時点で、幕府に対し、鳥取藩が藩領でないと回答したこととか。米子の商人の漁労活動にかかわる資料が残されている関係で、こうした展示コーナーをひとつ設けたんだろう。その隣には、1819年の朝鮮の商船の漂着に対し、手厚くもてなし長崎まで送っていき、遭難者から鳥取藩への感謝状が贈られている、その展示も組み合わせてあった。
◆江戸時代の米子のパネルを見た。米子って(もとの米子市、いまは淀江も米子市という)展示施設はあるんでしょうか。こないだ出雲に行く時も、調べてもらったがなかった。米子の歴史を学ぶのに、鳥取県博で少し勉強できる、というのでは寂しいではありませんか。
◆それと竹島の展示があった。あえてやっていますね。米子の商人に鬱陵島に渡海する許可が特別に出されたこととか、問題が発生した時点で、幕府に対し、鳥取藩が藩領でないと回答したこととか。米子の商人の漁労活動にかかわる資料が残されている関係で、こうした展示コーナーをひとつ設けたんだろう。その隣には、1819年の朝鮮の商船の漂着に対し、手厚くもてなし長崎まで送っていき、遭難者から鳥取藩への感謝状が贈られている、その展示も組み合わせてあった。
鳥取(10)鳥取市にむかう
◆鳥取市に向かう(スーパーまつかぜ12:51倉吉発-13:18鳥取)。県博に行こうという計画。前に一度来ているが記憶はほとんどない。鳥取駅に着き、タ
クシーで県博へ。鳥取城のなか。
◆江戸の絵画の奇跡、だったか、そんな特別展をやっているが、常設展だけのチケットを買う(180円)。受付の人は親切だったが、写真撮ってもいいんですか、と聞くと、基本はアカンみたいな話。が展示室入り口などに、そのへんは明記がなかったように思う。いまフラッシュを焚かなければフリーになっているところが増えてきているが、まだその辺は・・・
◆それと例のニッセイ?補助のB5ガイドブックはあるのだが、館としての常設展示図録はないようだ。自然半分、歴史・民俗半分というところ。自然のところは岩手県博と同じような印象を受け る。
◆歴史の部屋。青谷上寺地の展示もあり、展示も変えてはきているんだろうが、全 体に面積は少なめなんだろう。個人的興味では、西桂見の土器、徳楽の土器、普段寺山の2面の三角縁神獣鏡ほかの資料、馬の山4号、古郡家1号墳の資料、双龍環頭など楽しめました。
◆江戸の絵画の奇跡、だったか、そんな特別展をやっているが、常設展だけのチケットを買う(180円)。受付の人は親切だったが、写真撮ってもいいんですか、と聞くと、基本はアカンみたいな話。が展示室入り口などに、そのへんは明記がなかったように思う。いまフラッシュを焚かなければフリーになっているところが増えてきているが、まだその辺は・・・
◆それと例のニッセイ?補助のB5ガイドブックはあるのだが、館としての常設展示図録はないようだ。自然半分、歴史・民俗半分というところ。自然のところは岩手県博と同じような印象を受け る。
◆歴史の部屋。青谷上寺地の展示もあり、展示も変えてはきているんだろうが、全 体に面積は少なめなんだろう。個人的興味では、西桂見の土器、徳楽の土器、普段寺山の2面の三角縁神獣鏡ほかの資料、馬の山4号、古郡家1号墳の資料、双龍環頭など楽しめました。
鳥取(9)倉吉博物館
◆倉吉は、文化庁時代にも、フニオカとか、何回か見せてもらった記憶がある。博物館をめざす。
ここでの時間を確保している。カーナビがないが、イメージはあるので、適当に行って間違わずにたどり着く。雨がけっこう降ってきた。市役所裏の駐車場に車を置き、博物館に向かう。博物館と歴史民俗資料館が一体で隣り合っている。
◆受付に行くと、いま「県展」で、つまり県の美術展覧会のために、歴史民俗資料館の常設展も取っ払って、ぜんぶ作品がならべられているのだとか。帰ります、といって出る。谷畑の土製人形などを見に来たのに・・・。
◆倉吉はいいところ。雨の中、観光客も多い。天気がよければ、博物館を見ることがなくなったら、帰り、12:51の列車まで、1時間あまり、倉吉の町を散策するのだが、あいにくの雨でそういう
気が起こらなかった。結局、ファミレスに入り、腹ごしらえをして、昨日もらったいろんなものをながめていた。蒜山高天原説とか・・・。真庭市にも行かんといけませんね。
◆受付に行くと、いま「県展」で、つまり県の美術展覧会のために、歴史民俗資料館の常設展も取っ払って、ぜんぶ作品がならべられているのだとか。帰ります、といって出る。谷畑の土製人形などを見に来たのに・・・。
◆倉吉はいいところ。雨の中、観光客も多い。天気がよければ、博物館を見ることがなくなったら、帰り、12:51の列車まで、1時間あまり、倉吉の町を散策するのだが、あいにくの雨でそういう
鳥取(8)湯梨浜町羽合歴史民俗資料館
◆湯梨浜町というのは3町が合併したもの(下)。ちなみに青谷町も鳥取市になっているとのこと。で、旧羽合町の歴史民俗資料館に行く。
ウィキ。湯梨浜町(ゆりはまちょう)は、鳥取県の中央に位置する日本海に面した町。 鳥取県東伯郡の羽合町、泊村、東郷町が2004年10月1日に合併して誕生した。東郷湖湖畔にある羽合温泉、東郷温泉が有名。「羽合」は「はわい」と読むため「日本のハワイ」といわれることもある。二十世紀梨の産地でもある。町名は、町の特色である「温泉(湯)」「二十世紀梨」「砂
浜」から。高齢者を中心に全国的に人気のあるグラウンド・ゴルフは、湯梨浜町(旧泊村)が発祥地。
◆1988年の研究室旅行でたぶん来た。長瀬高浜で出たものを展示する資料館。そこに馬の山4号墳の埴輪棺や出土遺物などもある。
◆レンタカーにカーナビがなかったので、適当に運転していたらたどり着けず。温泉街に観光案内所があり、おネエさんが電話をしてくれる。常時空けておらず、休日 なら、町役場の裏口の守衛さんに言って開けてもらうんだとか。へんてこりんな2階建ての建物。
◆ここの展示も、長瀬高浜の調査が盛り上がり、その展示施設として作られたが、そのまま変わらないのでしょう。邪馬台国サミットで、湯梨浜町長と名刺を交換した。
東郷荘の有名な下地中文の絵図を複製して全戸配布したと言っていた。合併して、ほぼ東郷池のまわりの全域がひとつの単位になったので、できれば資料館もいいものを作ってほしいですね。先の中世の東郷荘とか、近世文書とか、地域の歴史全体を扱うものがあってよい。
【追記】定角の銅鏃が2点あった。
ウィキ。湯梨浜町(ゆりはまちょう)は、鳥取県の中央に位置する日本海に面した町。 鳥取県東伯郡の羽合町、泊村、東郷町が2004年10月1日に合併して誕生した。東郷湖湖畔にある羽合温泉、東郷温泉が有名。「羽合」は「はわい」と読むため「日本のハワイ」といわれることもある。二十世紀梨の産地でもある。町名は、町の特色である「温泉(湯)」「二十世紀梨」「砂
◆1988年の研究室旅行でたぶん来た。長瀬高浜で出たものを展示する資料館。そこに馬の山4号墳の埴輪棺や出土遺物などもある。
◆レンタカーにカーナビがなかったので、適当に運転していたらたどり着けず。温泉街に観光案内所があり、おネエさんが電話をしてくれる。常時空けておらず、休日 なら、町役場の裏口の守衛さんに言って開けてもらうんだとか。へんてこりんな2階建ての建物。
◆ここの展示も、長瀬高浜の調査が盛り上がり、その展示施設として作られたが、そのまま変わらないのでしょう。邪馬台国サミットで、湯梨浜町長と名刺を交換した。
【追記】定角の銅鏃が2点あった。
鳥取(6)馬の山4号墳
◆行きたかった4号墳にはじめて行く。感激である。約100
m
の前方後円墳。後円部側から登り、 前方部へと下る。写真(上左)は昔の写真で、側面がきれいに眺められる姿であるが、いまは果樹園としても畑としても放 棄され、まあ草ボウボウで、なんの手入れもされていない。上右が展望台から撮影した4号墳の位置する丘陵先端側。日本海に面している。橋津の港の原型は、古墳時代にもあったんでようか。
◆前方部が削られているのは、幕末の台場のためなんですって。とくに前方部前面は削り込まれて急傾斜となっている。メスリ山型ではないかと考えているが、そんな古くないのでしょうか。立地からすると、陵山がふさわしいのかもしれません。そういえば、
メスリと陵山の墳形はほとんどよく似ているので、判定
は難しい?。埴輪は?。改めて考えてみましょう。
◆前方部の斜面にはけっこう板石が散在している。それと削れているとこ ろを見ると、黒ボクの地山の上に赤い盛土をしている。埴輪がけっこう転がっているだろうと踏んで、前方部前面の斜面を見上げると、大きい破片が3つほど目に付いた。下右が、前方部頂から後円部を見たところだが、なにがなんだかわかりませんね。下左が、前方部全面の崖面。
◆前方部が削られているのは、幕末の台場のためなんですって。とくに前方部前面は削り込まれて急傾斜となっている。メスリ山型ではないかと考えているが、そんな古くないのでしょうか。立地からすると、陵山がふさわしいのかもしれません。そういえば、
◆前方部の斜面にはけっこう板石が散在している。それと削れているとこ ろを見ると、黒ボクの地山の上に赤い盛土をしている。埴輪がけっこう転がっているだろうと踏んで、前方部前面の斜面を見上げると、大きい破片が3つほど目に付いた。下右が、前方部頂から後円部を見たところだが、なにがなんだかわかりませんね。下左が、前方部全面の崖面。
鳥取(5)馬の山
◆馬の山は、秀吉と吉川元春が対峙したところらしい。馬の山に元春が陣を置いたとか。結局、相
互に合戦を避け、互いに軍を引いたんだとか。
◆南のハワイ温泉側か ら入る。普通は、西側の橋津から登るようである。裏側から入ったよ うなもの。丘陵の高いところにハワイ風土記館というのがあり、入ってみた。
◆4階か5階になっていて、一番上は展望台だが、あいにくの雨であまり見通しはよくない。馬の山古墳群(橋津古墳群)の展示、秀吉と吉川の話、天文写真、民俗資料など、ごちゃごちゃとある。
◆入っていくと事務室で音がしたので、誰か詰めているらしい。しばらく前にできて、くたびれて、いまはほとんど誰も来ないのだろう。表に鳥取出身の国会議員だかの碑がでかでかと立ってい
る。こんなもんに金かけるより、展示に金をかけるべきですね。ホンモノをならべる施設にはできないだろうが、馬の山とか橋津の町のガイダンス施設として再生させることはできると思うんだが。
◆南のハワイ温泉側か ら入る。普通は、西側の橋津から登るようである。裏側から入ったよ うなもの。丘陵の高いところにハワイ風土記館というのがあり、入ってみた。
◆4階か5階になっていて、一番上は展望台だが、あいにくの雨であまり見通しはよくない。馬の山古墳群(橋津古墳群)の展示、秀吉と吉川の話、天文写真、民俗資料など、ごちゃごちゃとある。
◆入っていくと事務室で音がしたので、誰か詰めているらしい。しばらく前にできて、くたびれて、いまはほとんど誰も来ないのだろう。表に鳥取出身の国会議員だかの碑がでかでかと立ってい
鳥取(4)倉吉でレンタカーを借り
◆朝、がっちりマンデーで大阪駅前ビルの地下の店を取りあ
げているのを見ながら、ぼちぼちと着 替えて歯を磨く。8時頃となり、そのまま朝食もとらずに宿を出て、松崎 駅に向かう(8:26発)。その先のコンビニでお茶とたばこを買って駅に。
◆どこでもそうだろうが、車社会の地方で、鉄道利用者の基本は高校生。単線なので、待ち合わせがあり、倉吉までもう一駅だが、20分くらいには入ってきて発車まで停車している。
◆倉吉駅に着き(8:32)、ほとんど出払っているなかで1台だけあると言われたニコニコレンタカーを探すが見あたらない。電話したら、エネオスのガソリンスタンドでやっているんだとか、で引き返す。天気は良くない。
◆山陰線で来たところをまた湯梨浜に戻り、馬の山4号墳をめざす。途中、宮内狐塚の看板を見つけた。倭文神社は時間がなくスルーしたが、立ち寄るべきでした。
◆どこでもそうだろうが、車社会の地方で、鉄道利用者の基本は高校生。単線なので、待ち合わせがあり、倉吉までもう一駅だが、20分くらいには入ってきて発車まで停車している。
◆倉吉駅に着き(8:32)、ほとんど出払っているなかで1台だけあると言われたニコニコレンタカーを探すが見あたらない。電話したら、エネオスのガソリンスタンドでやっているんだとか、で引き返す。天気は良くない。
◆山陰線で来たところをまた湯梨浜に戻り、馬の山4号墳をめざす。途中、宮内狐塚の看板を見つけた。倭文神社は時間がなくスルーしたが、立ち寄るべきでした。
鳥取(3)懇親会
◆東郷池の脇にある国民宿舎水明荘が宿泊場所(前に家族旅行で山陰を山口までまわった時に立ち
寄ったことを思い出す)。18時に入り17時から懇親会。参加者約20名。
◆隣の人は境港 市の職員なのだが、関西外大のSさんと同級生でしたと。向かいの人は、あんた大阪市大でっか、と。で、聞いてみると、大阪市大昭和31年入学、35年卒業 で、難波宮の発掘に参加していたという。1956年で18歳ということは、1938年生まれだから昭和13年。もうちょっとお年を召しているように見えた が。山根徳太郎とか直木孝次郎とか藤原光輝さんの話で盛り上がる。
◆後半は、東京の邪馬台国の会(安本氏の会)など、いろんな会の方と名刺交換。本も3冊もらった。邪馬台国って日本人を引きつけるのですね。全国組織の特別顧問になれという話が事前に来ていたが、断っていた。が、懇親会の席でじゃあやりますと返事。いろんな仕事をしてきた人が、古代史に興味をもち、集まり団体をつくり、勉強し、集会を企画し、自ら本も出す、そういうパワーはすごいものだ。
◆1冊読んでみると、寺澤さんが大和は大したことないと言っている、そこを鵜呑みにしないでほしいものだが、まあそんな調子。当日の発表の冒頭にも、弥生後期の畿内のことを、みんな馬鹿にしている、過小評価しすぎ、とアピールした通り。影響力ある人の発言が世間でまかり通るというではあるが、近畿地方で弥生後期をやっている人がそれに対抗するビジョンを打ち出せていない方が問題なんだろう。
◆とはいえ、みなさん、まじめに取り組んで勉強している。学問的にはちゃう!と高いところにいて距離を置く、というのはどうなのかと思い直した。関わらないというのでなく、求められれば喜んで、という姿勢でいこうか(でもYさんとは関わりたくないですね)。
◆隣の人は境港 市の職員なのだが、関西外大のSさんと同級生でしたと。向かいの人は、あんた大阪市大でっか、と。で、聞いてみると、大阪市大昭和31年入学、35年卒業 で、難波宮の発掘に参加していたという。1956年で18歳ということは、1938年生まれだから昭和13年。もうちょっとお年を召しているように見えた が。山根徳太郎とか直木孝次郎とか藤原光輝さんの話で盛り上がる。
◆後半は、東京の邪馬台国の会(安本氏の会)など、いろんな会の方と名刺交換。本も3冊もらった。邪馬台国って日本人を引きつけるのですね。全国組織の特別顧問になれという話が事前に来ていたが、断っていた。が、懇親会の席でじゃあやりますと返事。いろんな仕事をしてきた人が、古代史に興味をもち、集まり団体をつくり、勉強し、集会を企画し、自ら本も出す、そういうパワーはすごいものだ。
◆1冊読んでみると、寺澤さんが大和は大したことないと言っている、そこを鵜呑みにしないでほしいものだが、まあそんな調子。当日の発表の冒頭にも、弥生後期の畿内のことを、みんな馬鹿にしている、過小評価しすぎ、とアピールした通り。影響力ある人の発言が世間でまかり通るというではあるが、近畿地方で弥生後期をやっている人がそれに対抗するビジョンを打ち出せていない方が問題なんだろう。
◆とはいえ、みなさん、まじめに取り組んで勉強している。学問的にはちゃう!と高いところにいて距離を置く、というのはどうなのかと思い直した。関わらないというのでなく、求められれば喜んで、という姿勢でいこうか(でもYさんとは関わりたくないですね)。
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。