人を幸せにする人になろう

MT85

◆MT85も、決着つけてほしい。オレは設定した方がわかりやすいと思うので、TK10とTK43の間の型式として置くべきだと思う。
◆TK10、蓋杯の径が最大になる。これたぶん530年代・540年代頃なんでしょう。イメージは、継体没後、継体を支えて復活してきた首長たちが死んでいった時代。安閑・宣化は排除され、欽明となるが、世の中には継体を支えたヤツラはいっぱい残っていて、前方後円墳を造っている。そこへ1人また1人、死んでは埋葬されていく時期のイメージ。6世紀中頃にはようやく欽明色が現れ、550年代・560年代の欽明後半期は新しいステージになると。須恵器に戻ろう。TK209はもう既に蓋杯の径はかなり小さくなっている。TK43はその中間のイメージということになるが、実態はその間の変化は大きく、高蔵43号窯資料は後半期なんだろう。なので、田辺昭三はその前にMT85を置こうとしたのだと。これまったくよく理解できると思うのだ。
◆おそらくそうでないと、TK43型式は550年から590年くらいの40年近くにもなり、MT15やTK10の年代幅に対して不均衡に長くなる。実際の須恵器の口径の変化、縮小の程度は大きく、それを2分しておくことは、実態把握に必要ではないだろうか。
◆まったく素人ながらそう思う。で、須恵器屋は、どんな議論をしているのか知らんが(佐藤さんは認めない)、決着付けてくれ。さらにいうと、6世紀後半から7世紀前半の須恵器を理念的に並べてくれ!とくに7世紀にはいると、金属器指向の容器を導入し、様式転換を図り、その間、杯Hと併存しながら新器種が出てくるわけでしょ。生産地と消費地とか、都と田舎とか、どうでもいい、飛鳥なら飛鳥、畿内中心部で、旧器種がこう変化していき、新器種はこう登場してきて、ここで交替する、というわかりやすい図面を1枚だけ作ってくれるだけでいい。飛鳥Ⅰが長いなら2分してくれ。細かな議論よりも理念的でいい、所詮、資料の把握はそんなもの、須恵器をちゃんとならべてくれ。頼む。古代の土器研究会は、合宿をして、この1枚を作成すべし。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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