人を幸せにする人になろう

2021年5月9日、高安山

◆山歩き。高井田の住宅背後から。前にも歩いたが、その時より、ひとつ東の丘陵だった(単純につながっているだろうとの見込み)。柏原市が散策道にしているようだが(入口にだけ看板)、維持管理されていない。たぶん、ほとんど人が上らないのでしょう。かなり上がったところで、ふいにぽっかりと横口式石槨に出会う。感激!。前に調べて3つあるもののひとつ。飛鳥の観音塚など6基に続き、レ-ザー計測を考えたのだが・・・。
◆この丘陵の頂部はブドウ畑なのだが、その一画や、その先高安山までの間で、ところどころに大規模なソーラーパネルのならぶ発電施設がある。これがエコなんでしょうか。
◆この丘陵から主尾根である西側に行くには、あいだに谷が入っており、そこにある横尾の集落に下りていく。そこから再び尾根筋に取り付く。前はここを通った。
◆高尾山に初めて上る。巨石が山頂にある。西側の見晴らしがとてもよい。弥生後期の土器や銅鐸は落ちていませんでした。
◆信貴変電所、そこから先はひたすら墓地。高安山はさらに遠い。
◆なんとかケーブル駅に到達し、その奥に進むと、高安山気象 レーダーがあり、その脇に高安山ピークが。が、気象レーダーに行く車道が切り開かれて、その脇の高安山トップを見逃してしまいそうになる。標高487m。この道路、自然破壊であり、高安城の破壊ではないだろうか。
◆そこから有料道路を横切り、倉庫跡に初めて行く。そこから朝護孫子寺まで下りていく(信貴山城に登る元気はない)。

2021年5月10日、授業の準備もせず川合のトレース

◆川合のトレースをしてしまいました。等高線はいちおう完成。裾や肩の傾斜変換線や、標高単点など、仕上げはまだ。等高線に限っても、気になるところがなくはないが、つなごうと思えばつなげられる。また、それで大局的には問題はない。どうするかは、また考えよう。
◆周囲の測量図のデータもイラレでもらっている。がキャドからのもので、もともとレーザーの細かいギザギザがある。こういうのも、こちらで修正し、なめらかな等高線に描きなおす必要がある。地形点は、測量会社なので、細かくレイヤーが分けられ描き込んである。取捨選択し、線の太さを調整したり。とにかく元データがあるのが、ありがたい。

2021年5月8日(土)、川合大塚山

◆参加。自分、木下、山崎、吉田、金井。木村、山田。
◆みな頑張りました。残念ながら、すべては片付きませんでしたが、前方部の宿題はすべてやっつけました。数日かければ、トレースは完了するだろうが、そうもいかない。が、ぼちぼちやります。

応神君

◆こないだ近江八幡で、神功皇后と応神君を抱く武内宿祢の組み合わせ人形を、いくつか見た。こ ういう世界とは無縁だが、このセット、人形屋さんの世界では、よく知られたものなのでしょう。
◆5月人形の1種なのでしょうか。いつから生まれるんでしょうね。たぶん江戸時代のいわゆる国学の発達のなかで、登場してくるんでしょう。

2021年5月7日(金曜日)、『市大日本史』

◆市大日本史が大詰めに近づいて来た。
◆明日、川合にもう1日出撃することに。この準備もあるな~。
◆狐井も整いそうである。

2021年5月5日、大歴考古部会

◆唐古鍵と池上曽根の準備報告を聞く。冒頭に説明があったのかもしれないが、6月大会で何をめざすのか、何を見直したいのか、ねらいと課題を明確にしておく必要があるだろう。
◆拠点集落といわれるものが、内部に複数の基礎単位があるにせよ、それを囲む環濠(土塁の話は出なかったが)ができ、それが全周しないにせよ(それが明らかであるわけでもない)、外からは、ひとつの大型集落と見える景観を生み出していたに違いない。内部の単位があれ、集住し共通の利害に対処することが、他集団に対し、自立や優位性を得る手段と意識されていたに違いない。やがては、基礎単位の居住域を別にしながらも、ひとつの集団として、まとまりを維持し強化する力が働き、空間利用の変化も生じてくるだろう。その進展は個々の拠点集落で異なるかもしれないが、当然に他の拠点集落のあり方も意識され、シンボル的な構築物や祭祀もハデになっていくに違いない。
◆メソポタミア都市国家も、都市の神を祭る神殿を発達させていく。そういう統合意識は、弥生の拠点集落でも生まれているだろう。池上曽根の大型建物や井戸は、まさにそういうものですよね。そして、加美墓のような集団墓から独立した大型の王族墓も、わかっていないだけで、畿内の拠点集落ではそれぞれ備わっているだろう。
◆そして藤田さんの説く唐古の特筆すべき点は、やはり説得性がある。唐古はそんなにたいしたことのない集落とは思えない。銅鐸鋳造ひとつとってみても、中期末・後期初頭の工房しかわかっていないにせよ、そこで見つかっている鋳型からうかがえる生産規模は、畿内のなかで傑出したものであるだろう。

2021年5月4日、近江八幡

◆白雲館(観光案内所)→かわらミュージアム→八幡堀→昼ごはん(喜兵衛、鯉のあらい、ほか)→伝 建のまちなみを歩く→旧西川家住宅→歴史民俗資料館→郷土資料館→旧伴家住宅。
ヴォ―リスは近江八幡を本拠地としていたんですね。洋館街には行きませんでした。まち歩きマップ、よくできてます。伝建は、街路の中でも、町屋のよく残るコの字形の範囲が選定されている。近江八幡が、廃城により城下町ではなくなっても、在郷町として栄えたことがよくわかる、かなり大きい市街地である。
◆近江八幡は2回目。前に歴史学の見学会で来たことがある。その時の展示のあった建物のイメージをもっていたが、まったく違ってました。
麻のシャツを買い、柏餅を買い、近江牛コロッケを買う。山の上の城跡をめざそうとロープウェイ乗り場に行くが、待っている人が多くやめにする。日牟礼八幡宮に行き、しめさばを買い、日野菜を買う。
◆見どころたくさんで、もっとまち歩きができるが、ここまでとし、長命寺へ行く(いちばん下の写真)。
◆そのあと西の湖を見て、安土城に向かう。入山700円。ずいぶん前に学生と来たときは引き返したが、本日は久しぶりに天守まで上がる。特別史跡だが民地で、700円を取っているわけだが、たくさんの人が入ってくれていました。海外にも行けないし、近江八幡もそうだったが、近場の観光地に多くの人が訪れている印象。そのあと瓢箪山古墳。残念な古墳です。
◆夕刻、草津宿に立ち寄り、晩御飯を食べて帰ってきました。

2021年5月2日、横浜迎賓館

◆で翌日が結婚式本番。野毛坂を上り、式場である横浜迎賓館にたどりつく。大安吉日で、けっこうな数の結婚式が行われた1日の ようでした。まあ、楽しい経験でした。
◆15:30終了。新郎新婦はもろもろ後始末をして出てきた。引き上げる。この写真は17時前。みなさん帰っていき、われわれ家族が最後でした。送迎バスで桜木町まで行き、解散。改札に入る前に帰りの車中でのアルコールを買い込み、新横浜から帰ってきました。

2021年5月1日から2日

◆開港資料館を出る頃、雨がけっこう降ってきた。娘が近くまで来ていて雨宿り中との連絡が入り、傘を買って迎えに行く。そこから飲みに行くことにする(まだ16時前)。最初はいちばんの近場でいくつか探すが、すべてノンアルしか提供できない、と。野毛やったら飲めるんとちゃうかと繰り出すも、同じでした。うろうろした挙句、ホテルの入っているビルの飲み屋に入る。刺身や馬刺しを前にするも、ノンアルビールで味気なく、早々に引き上げて、部屋飲みとする。
◆早くに酔い、寝て、朝3時に目が覚め、それからずっと起きていました。4時45分頃、日が昇って くる。5時30に散歩に出かける。ホテルから海の方を見ると、新港の島に至る道が海のなかについていて、ジョギングする人などがいる。いまそれと並走するロープウェイができているのだが、4月22日に運行を始めたばかりという。朝の散歩で、その新港に至る道を歩いて行くと、これが途中の3つの鉄橋を含め、明治44年のものなんだそうです。へ~え。道幅の半分はレール敷きで、レールを残して、いまは木製デッキをレール上面の高さまで敷いている。
◆で赤レンガ2棟。平成初めまで現役だったのだとか。だから残っているんでしょうね。この写真の左に写っているのが、豪華客船「飛鳥Ⅱ」です。感染者が1人出て運行を取りやめたんですね。
◆あとから、第2号ドックに行くべきだったと思う。ちゃんと調べていなかったので、場所がわかってませんでした。ランドマークタワーの真横なんですね。
◆横浜が、たいへんな観光地だということを改めて知る。コト文化財とか歴史といった観点でも、残されている建築物、ドック、いろんな博物館や資料館、見どころがたくさんあります。そして、山下公園や外人墓地、中華街などなど、まあ人が集まる魅力あるものが、コンパクトに集中してあるわけだ。

横浜開港資料館

◆敷地に入ってみると、前に来た時のことが思い出せた。展示も面白く、企画展もよかった。この資料館、もうひとまわり大きい 博物館になってもいいのにな、と思った。横浜市史の編纂があって、その収集資料をもとに1981に開館したとのこと。財団運営というのは政令市ではそうなるのだろう。よくわかっているわけではありませんが、なんとなく民間に近い位置づけなのかと感じてしまう。たくさんの資料をもつ、その保管と活用は行政の仕事じゃない、ぜんぶ任せる、みたいな。横浜市の場合、埋文はそういう印象です(本調査は行政のやる仕事じゃないと)。
◆そのへん、必要に応じて自治体が設立した財団法人が、自治体の本来やる仕事をやってるんだという意識のところとの違いがある。財団は、公に近いものとみるか、民間に近いものとみるか、ということ。埋文でいえば、1980年代の都道府県・政令市の行政のなかで、財団を作った時の位置づけ、それで20年・30年やってきたことで、外郭団体の位置づけの偏差が生まれるのだろう。順番としては、埋文に始り、文化事業におよぶのかな、同時なんだろうか。関東じゃ、なんとか事業団です。博物館は比較的直営としてきた文化が長く続いてきた方なのだろう。
◆大阪市の博物館が「地独」になったのは、筋は通ってますね。国が、本来は国立でやるべきことで民間に任せられないもの、独立行政法人を作ったと、大阪市の博物館もそうであると。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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