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人を幸せにする人になろう

2024年11月24日 塚森古墳

◆今年度、われわれのやった宿禰塚古墳と塚森古墳の測量調査の報告書が相生市で予算化され、院生らの分担を決め、このあいだ、第1回の読み合わせをやった。
◆このため、宿禰塚古墳については、図面合成や世界測地系への変換を再度チェックして微修正をしたり。が、塚森古墳の方は、そもそも国土座標に位置付ける測量が残っていたので、ついにやらざるをえず、24日に出撃することにした。塚森古墳は帆立貝で小方部が削平されているとみられるものだが、読み合わせをしていると、そのへん、まったく手がかりがないので記述のしようがない。で、国土座標への変換のための測量に行くのだから、ついでに帆立貝の小方部を確かめるボーリング調査を組み込むことにし、前日に相生に入り、朝から動くことにした。
◆朝、まずは宿禰塚古墳に立ち寄り、読み合わせ時にチェックが必要と考えられた点、テラス面の状況や葺石の有無についての確認に行く。
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2024年11月23日 大阪の歴史演習

◆今年度から科目担当ではなくなる。担当は近世史のSさん。なので授業としては、1回分の現地見学をもつのみ。
◆河内国分13時集合。玉手山に上がる時間的余裕はなく、国分の旧道を歩いて松岳山古墳に行き、対岸に移動して高井田横穴と高井田山古墳、最後は資料館というコース。今年は資料館に連絡し、横穴のガイドをお願いし、鍵を開けてもらい、横穴のなかに入ることができました。館長さんにたいへんお世話になりました。
◆古墳を見てもらうのが趣旨だが、資料館の企画展では大和川の付け替えの展示をやっており、みなさん、これについても興味深く見入っていた。15:30終了予定が16時過ぎとなり、解散する。
◆そのあと相生へ移動する。

杉本駅前にマンション

◆このあたり一帯は畑地だったが、昭和はじめに区画整理され、今日までにほぼ宅地化する。そのなかで、貸農園的に畑地が残っていた一画があったが、ついにここもマンションになった。これは学生用ワンルームでなく、分譲用のよう。

2024年11月18日早朝

◆カミサンが後期の月曜日は1限があるので、朝5:58分発の急行に乗っています。職場に着くのは6:55。いま13時。もう6時間は仕事をした。
◆帰るのが20時頃と早くなり、帰っても寝るだけなので、仕事をこなすには朝を早くすることですね。

2024年11月17日四校交流会@奈良女

◆午前、鶴橋ドトールで仕事をする。ちなみに天王寺デリカフェが10月31日に閉店になっていた。残念。
◆で、奈良に向かう。四校交流会のセッティングありがとうございました。ちょっと例年より人は少なめか。うちの院生1人は別のシンポに、研究生はまた別の研究会に出ていました。
◆懇親会は奈良女のラウンジ。料理やお酒を購入してくれており、それをならべました。府大I氏もかけつける。

2024年11月2日 ハイハイタウンのベトナム料理屋

◆歯医者に行っています。2本治療、もう1本やって終わりになる予定。鶴橋です。だいたい土曜日の19時受付。
◆この日、上本町に移動し、ハイハイタウンでベトナム料理屋に行きました。【追記】前にも書いてましたね。年寄りになると、すべて忘れていきます。

さらにさかのぼる丁瓢塚

◆さらにさかのぼる姫路市丁瓢塚関係。国土座標で測ったものを、報告する時に、墳丘主軸にあわせで配置したものと思う。方眼紙にトレぺを貼り付けている(左)。これがトレースの下図なのかな。捨てました。
◆で、もう1枚(右)は、『史林』の原稿。岡村さんがいろいろ指示してくれている。これは残した。

1989年3月権現山51測量図トレース

◆A3縦の大きなファイルが3冊ある。うち1冊には原図類が入れてあるので、これは保存。残る2冊を見ると、いくらか資料が入っているが、保存の必要のないものが多く、残すものは最初の1冊に綴じ込み、ファイル2冊は捨てることにした。
◆このファイル整理でできたもの。まず権現山51号墳の、トレぺでなく方眼紙の裏にトレースしたもの。1989年3月の発掘時、われわれはスタートは測量チーム。発掘はそれと並行して着手。測量が終わった段階で、宿舎でざっとトレースしたものなんだろう。これは不要なので捨てる。

正道官衙シンポ

◆案内をいただきましたので紹介します。

2024年11月6日 信太貝吹山

◆玉3のあと、午後は和泉市に向かう。
◆信太貝吹山も測量開始時は局地座標。2000年00年代はじめに業者が測量しており、その時の図と座標がまずは提供された。が、任意の局地座標。周囲の住宅地など広く図化されており、われわれの墳丘測量は、この時の座標でやることにした。道路沿いの鋲の局地座標データを使って、墳丘再測量用の基準点を振り込んだ。が、古い鋲ってやつが、ほんとに2000年00年代はじめの業者測量の時のものか不安が残る。おまけに、その後、貝吹山古墳を市が買い取って、その整備のための調査をやり、その施工図面が作成されており(座標なし)、その図の高さを見るとあわない・・・。われわれが墳丘測量に使った2000年00年代はじめの図における道路の高さと、けっこうなずれがある。困ったものだ。やはり局地座標は限りなくメンドウがついてまわりますね。
◆今年の4月にやった相生市の塚森古墳もそう。着手前から近くの基準点をさんざん聞いたのだが、結局は「ない」ということで局地座標となる。が、終わってから相生市の設置した基準点の成果簿が出てきた。いま、国土調査などで、市のしかるべき部局に問い合わせれば、道路沿いの基準点は出てくる。ということを最初にもっと強く言うべきでした(なので、これも再出撃が必要)。
◆この日の信太貝吹山の国土座標測量は、わりあいスムーズに終わる。和泉市設置の2点の基準点をもとに、再測量の際に墳丘に振り込む基準点とした、2000年00年代はじめの測量時のもの(と思われる)2点について、国土座標を測り込んだ。さあ、高さはどうしようか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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