人を幸せにする人になろう

渋谷

◆実寸です。主系列が墳頂の仕上がりを踏襲するのに対し、渋谷は長い。これは桜井茶臼山以来の副系列の仕上がりの継承なんでしょう。

陵山と向山

◆苦しいのでしょうね。なんか緑が自動的にCMYKの色でなくなりますね。
◆3段2段(4段3段)の墳丘がなくなる。それが断絶を意味するのかもしれないし、3段に仕様変更して続くのかもしれない。いまの考え方は右図の通り後者である。

佐紀陵山

◆結局のところ、佐紀陵山はどのように成立したのか、これが問題。
◆右図は墳丘長あわせ。宝来山と陵山は近似する時期だと思うが、陵山が宝来山の類型墳とはいえないだろう。前方部墳頂の細さがやはり気になる。宝来山は行燈山を受け継いだ前方部墳頂の長さや開きがある。墳丘長における前方部相対長も長い。
◆またこれらは墳丘長であわせたものだが、実寸となると、宝来山は170歩で、陵山は150歩(この図は145歩)である。前方部墳頂のイメージもさらに差が顕著となる。そして墳丘長150歩は副系列で継承されていく。
◆で、陵山の墳丘はどこから来たかとなると、渋谷かと考えたわけだ。これは苦しいのでしょうね。それはわかっている。向山と陵山をつながず、渋谷はそこで終わり。陵山が新たにできる、のかもしれない。考古学研究の段階ではそうのように考え、陵山は五社神から分岐する、そう考えていたわけだ。しかし現時点ではそうはいかない。

仲津山

◆次は仲津山です。実寸同士。修論時は周濠輪郭も含めてやっていたはず。

宝来山―五社神の系列関係

◆次は五社神。やはり前方部墳頂のスケール観は似通っている。前方部上段をさらに高めているので、幅は狭まっているが。そこへもっていくための前方部の形状も、ほぼ重なっていることも読み取れる。修論の時にやってたな~、と思い出す。
◆再び地盤の高低差の大きい地点への立地で、なかなかに難しい問題もある。後円部径を20歩、前方部前端を20歩、それぞれ拡大したと考えたことがある。170歩を210歩にしたのだと考えている。
◆それはともかく、これもまた、主系列墳の墳頂の仕上げ方を受け継いでいるのではないか。

2026年1月23日 1日会議で疲れた

◆なかなかに2月前半まではキビシイ。1月後半からの1ヶ月は、外の用はなにも入れない方がいいですね。26年やってきて、まだ学んでいない。明日、帝塚山古墳の案内がある。2月に近つの講演がある。なかなか厳しい。
◆気分転換に倭国王墓をいじろう。行燈山―宝来山の系列関係は、墳頂部の仕上がりが最大の根拠である。図は実寸同士。後円部の前方部に面するヘリから、前方部頂平坦面までの実寸はほぼ共通することがわかる。この行燈山復元案は、墳丘規模としては修正が必要のようだが、それはまた。
◆後円部の高さは、行燈山に対し宝来山は低くなっているのだろう(縦断図比較が必須ですね)。立地の変更で台地上に築造することになり、後円部を低く、径を縮小し、前方部をそれにみあうまで持ち上げる。そうやって宝来山古墳はできるのだろう。
◆ともかく、墳頂をいかに仕上げるかは舞台装置として重要。それがほぼ同寸、開きも含めてほぼ重なることは重要では。宝来山を作る時、この墳頂を台地(平地)上の築造で実現するために、下部が設計されたと考えられるだろう。

2026年1月20日(火)

◆1限は定期試験。そのあと文学研究科特設サイトの打ち合わせ。
◆定期試験で、学生が答案を書いている間、倭国王墓の系列論を考えていた。オオヤマト段階の2系列はやはり否定は難しいのでしょう、そこそこ認められているようだ(それが何を意味するかについては発言はないが)。そこから佐紀への接続をめぐって、いろいろと違う意見が出てきている。
◆そうかもしれないが、こちらも連続性をさらに追及していく必要がある。根拠は十分でなく、きわめてアバウトな議論しかできていないので。まずは、主系列の継承関係をもっとちゃんと論じる必要があります。そして中期の副系列の出発点は、陵山と津堂城山が墳丘長150歩・後円部直径90歩という同じ枠組みだ、ということだったなと、修論時(36年前)のことを思い出していた。いずれにせよ、若い衆が、最新の研究を進めてくれていることが心強い。
【画像】福住のまちなみ。

2026年1月19日鈴鹿

◆富士山1号墳の調査指導。1130河内国分発。朝から出かけるまでの時間があるが、仕事はせず、さぼっちまった。八木から近鉄特急に乗った後は、論文を読み始める。
◆この日は三重県教委からも2名参加。現場では墳頂部の調査を見せてもらい、あれやこれやと。
◆1650白子発の特急で戻る。写真はその時の日の入りの写真。帰りも、また帰宅後も論文を読み続けてた。

2026年1月16日(金)大阪歴文研

◆月1定例の研究会。今回はIさんに渡辺党の話をしていただく。よくわかった。今回も、前日の木曜の晩、職場に泊まり、打ち合わせ資料を作成した。
◆この日はそのあと、日本史・世界史コースの卒論試問の分担決め。
【画像】福住で。梅のつぼみが準備中でした。

箕面市資料館

◆篠山の丹波杜氏資料館に行くも、シーズン外で閉まっている(確か前来た時も)。帰りがてら、寄るところを考え、箕面市の資料館へ。しばらく前に、阪急箕面線のつきあたりの旧市街にあるという資料館をさがしてウロウロしたが行きつけなかった。
◆いま御堂筋線の先の、北大阪急行が延伸し、箕面の新市街地ができあがっている。その一画に、資料館は移動し、2024年4月に開館した。銅鐸が迎えてくれる。江戸までの歴史展示はひとつの展示室。そう多くのものはならんでいない。その次の部屋からは、近代以降の箕面の歴史。修験、富くじ、箕面駅のループ。コーヒー店、カルピス、など。
◆家に帰ると、自宅である集合住宅の入り口に高市早苗のポスターが。毎日、これが目に入るのはね~。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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