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人を幸せにする人になろう

森友を忘れてはなるまい

◆なにか終わってしまったみたいで。明日、あさって、この人も出てくるんかな。
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やっぱり行かなあかん

◆未処理積み上げ堆積物を崩していると、速報展の図録が出てきた。ありがたや。送っていただい ているのですね。いつも、陵墓懇談会の時にひっかけて行こうとするも、行けたタメシがない。江戸博ができたばかりの時に、研究所の展示委員をやっていて、業務で見てこいというので初めて行ったが、博物館科目を担当するようになり、改めて江戸博を見に行きたいと思ってはや何年・・・。ついつい、仕事が脳裏に浮かぶと、結局は懇談会に行って帰ってくることだけになってしまう。行くと決めたら行く。
◆旅行も同じですね。臼田も、愛媛も、ペルーも。生きているうちに、できるだけ体を動かし、経験を積み、自分を豊かにできるか、だな。
◆表紙は倉木崎海底遺跡。1997年くらいか、出張で行かせてもらいました。奄美に行き、ケイハンを食べました。

大学周辺まちあるき

◆住吉歴史案内人の会のみなさんが企画してくれています。コースにはないが、杉本村を歩くべき です。

古市・百舌鳥古墳群の世界遺産推薦

◆あんまり調子もよくなく、あれもこれもテキパキというのは無理。ひとつ、ふたつと。
◆だいぶ片付いては来たが。まあ、のんびりと行こう。
◆今月末には古市・百舌鳥古墳群の世界遺産推薦が決まるらしいですね。以下、思文閣の本に書いた末尾の原稿です。校正で表現を変えたところもあると思うが、本が見つかりません。

 現治定にはこうした疑義が多く、特定の被葬者を冠する名称を避け、現地名等による古墳名を採用すべきことを森浩一は提起した。こうして「大仙古墳」の名称が定着してきた。それが世界遺産への推薦にむけて覆され、「仁徳天皇陵古墳」という名称が復活した。もちろん反対である。「いま宮内庁が仁徳天皇陵としている古墳」という意味で用いると説明されても、納得するわけにはいかない。もちろん世界遺産に反対するわけではなく、それにふさわしい文化遺産であると考えている。
 世界遺産に推薦するとなると、仁徳天皇陵として管理する宮内庁の合意が必要であり、やむをえないとの立場も理解できる。しかし、世界遺産とする価値付け、その真実性の根幹は、考古学研究にもとづく内容の整理や意義づけである。それは被葬者の固有名がなくとも変わらないはずである。しかし、構成資産名に「仁徳天皇陵古墳」とすることで、積み上げてきた努力は誤ったものに なる。学術的な価値付けをふまえ、現行管理者との調整というのが順序であろう。構成資産の名称について、学界側の考え方と宮内庁側の主張は容易に解決しないであろう。しかし、もっと熟慮と、徹底した議論を重ね、歩み寄れる合意形成を探る努力を切望する。

◆さてと。最低、「大仙古墳(現・仁徳天皇陵)」としないとアカンと思います。それを実現するにはどうすればよいか。まっとうな研究者であれば、アクションを起こさなければなりません。

大学史ネタばかりですが

◆木曜日の打ち合わせの時に、博物館実習室に保管していた、70年前のキャンパス展、三木茂とメ タセコイア展、山根徳太郎難波宮発見展、大阪市立大学と戦争展、のパネルを大学史にもっていく。
◆むこうでもいろんな資料を発掘してくれていて、模型があると。どれどれと見ると、なんじゃこれは?、でもこれ使えます。バブル期に構想された将来像の模型だそうです。文系総合棟は30階建て?、もっと?、超高層化プランだったようです。
【追記】2017年7月27日(木)に行くと、仮置きで展示されていました。
◆まあ、そんなんで、それなりの覚悟を決めてやらないとできないので、週1回くらいは展示にあてていくこととした。ドツボにはまりつつあります。現・大学史資料室長は、「いつでも室長職、替わりますから」と。「いや、絶対しません」と言ってますが。
◆7月26日は人骨の打ち合わせです。

大学史の通史

◆大学史資料室の入り口右側の長い壁を、通史のパネル展示としようと考えています。年表はいち おう下に配置しつつも、目線のところには、とりあげるべきもろもろ、学園紛争もそうだろうし、そういうのを散りばめていくイメージ。プラス上の方にはキャンパスの写真を置いていくという案。
◆年史類で、取り上げるべきことがらの候補を上げていくのが次の課題。できれば実習生を担当に割り振って夏休みに少し調べてもらい、10月にスタートダッシュをかけたいとは思うが・・・。ちなみに、ハードカバーの『百年史』、125年の『写真集』があるのだが、近年では、もっとコンパクトにした冊子(とはいえ180頁ある)が作成され、これ入学者全員に配布しているのです。既に2回の改訂がなされ、写真は最新のもの。こんなことやってるところもほとんどないわな(学生が読まないにしても)。なので、これで、ざっと洗い出し、ということになる。鞄に入れて持ち歩きますか。

放散虫ラジオラリア

◆理学部の八尾先生が著名で、全国に弟子がいる。が、いまの理学部は継承していない。先生の専門によって入れ替わっていく世界。で、資料コレクションがあるが、あとの人間にとっては邪魔。これが大学の資料の現実。受け皿としての博物館があればいいが、そうでないところでは外の博物館等に一括寄贈されてしまう。三木茂の植物標本もそうである。
◆しかし八尾先生の仕事は、学生等も博物館の展示で考えており、それやったら模型が提供できる ので、ならべようと。目に見えないくらいちっちゃいのだが、それをCTスキャンでデータを取り、拡大して3Dプリンターで模型を作るのである。その第1人者が実はカミさんなのである。既にいっぱいあるのだが、「作ったるで」と快諾してくれた。
◆大峰などの山にはこの放散虫の固まりであるチャート層があり、本になっている。前に、八尾先生の弟子である『石の考古学』の著者からいただいたもの。で、それを取りだしてきてパラパラと。一般向けに書いた本であるが、なかなか地質の話は難しい。図も難しい。咀嚼し、誰でもわかるようにするのも難しいですね。

2017年7月21日、教授会、懇親会

◆10時からJムークの打ち合わせ、11時から教室会議、1330から教授会。けっこう盛り上がり、黙っ ておれず、2回発言してしまいました。いよいよ平成31年からの教職課程認定の関係で、セメスター15回にするのか、時間をのばすのか、といった議論でした。発言の趣旨は、これまでも2年間、あーでもないこーでもない、とある委員会で議論してきて教授会にも報告されていた、というのとはレベルが違って、いよいよどうするかだ。なので、最後は幹部の判断としても、研究科としてちゃんと議論して意見表明していかなあかん、という至極あたりまえのことを言ったまで。
◆で、そのあと恒例の懇親会。庶務委員として、1ヶ月前に予約を入れたくらいで、あとは会費を入り口で取り、飲み食いするだけ。ですけど、この日は、日中の議論が盛り上がったもんで、 そのことに関してあれやこれや議論ができ、なかなか楽しかった。その成果物が、右(アジアのMさん案)。

2017年7月20日、大学史展示打ち合わせ

◆翌日、2日酔いで出勤し、大学史の展示計画の打ち合わせ。平面図に加えて、各壁面のスケッチを 描き始める。で13時から打ち合わせ、2時間ほど。修正が加わった点など、直していかないといけない。こういうのもね、ボランティアやからね。専属じゃないんで・・・。
◆ランタンリルンの本を借りてきて読みました。 7227m。大阪市大隊が初登頂。1961年、雪崩で3人が死亡。1964年、ルートを変えるも失敗。この間、ネパール政府による登山禁止。1978年に成功、というものです。これでパネルを1枚作ろうと。まあ、それだけですけど。

2017年7月19日Tさん来たる

◆この日、呑み会が重なり合同とする。約20名。ひとつは「大阪の歴史演習」履修生との前期打ち 上げ、+ペルーのTさんの一時帰国おかえりなさい会。
◆もひとつ、本日をもちまして前期の授業がすべて終了しました。ということで、気持ちよく呑み会に突入。
◆19時、天王寺アポロビルに始まり、あまり覚えていないが2次会、あびこに戻っての3次会、とあいなりました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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