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人を幸せにする人になろう

2016年9月23日と24日は大阪城

◆8月1日から3日のサウンディングの続きが、23・24日で行われました。山里丸の残りをやり、また上に上がって、本丸東側 の中の段の追及です。ハタと、測量器財が城陽市の整理室だ!、というので23日は16時前に抜けさせてもらい城陽に向かい、19時に帰宅する。帰ると、急なことで、和歌山へ行かないといけないというので、そのまま向かう。24日は紀美野町から大阪城へ向かいました。
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22日山口さんの会

◆21日は大学で仕事を片づける。現場からもちかえった器財類の片づけも終わりました(テントが 実は残っています・・・)。あれもこれもせなあかんのですけど、あんまりはかどらず。この日、前日行けなかった自分の実家の加古川に行く。子供らに先に18時頃着で向かってもらい、仕事をしているわれわれは20時半くらいか。23時には出て、国分へ戻る。
◆22日(朝、息子は東京にむかう)は、12時に京都・東寺の慶賀門集合。むかし住んでいたところから西へ歩いていったところです。五重塔のなかに入れていただき、現在修理中の築地土塀の作業現場などなど。バスに乗り込み、ビールが配られる。石清水八幡宮の一画、松花堂(昭和32年に指定を受けた国指定史跡「松花堂及びその跡」とともに、2014年に国指定名勝「松花堂及び書院庭園」となる)。宇治太閤堤跡。椿井大塚山古墳を横目に見て、高麗寺へ。そして城陽。芝が原古墳に行く余裕はなく、そのまま城陽飯店へ。
◆いや~楽しいひとときをありがとうございました。それとともに、山口さんはじめ、文化財保護の仕事をやってきた市町村の人たちの仕事ぶりを、生の声で教えていただきました。長くやってきたベテランの蓄積・智恵・その他、継承すべきものは多い。それとともに「なんとかしたい」という熱意がコトを動かしていく、実現させていく、ということも。ほんま、記念物は土地の話だけに、理屈は必要ながら、実際的・現実的な手だてが求められ、決めていく、進めていく、やること、が重要であるわけだ。

2016年9月19日(敬老の日)20日

◆この日は出勤し、久津川のファイル類を整理するだけで、ほぼ1日費やしてしまいました。この日、息子と娘が帰ってくるので、少し早めに帰り、国分駅前の飲み屋に行く。そのあとボーリングにも行きました。右足首や左膝の傷みはあるが、タマは投げることができた。いまは子供らが帰ってきたとき、年2回程度ですね。
◆カミさんがこないだ函館に学会で行ったときの話。中国人と修学旅行生はじめ、観光客があふれかえっているという。五稜郭はじめ、いろんな見所があり、ちょこちょこ資料館的なものはあるらしいし、市立の博物館は移転中?展示替え?、とにかく開いておらず、それによるのかもしれないが、観光を打ち出しすぎていて、その元ネタである、それぞれの場所がどういうところか、知ったりする仕掛けが乏しいんではないか、と。
◆20日(火曜日)は台風。子供らを連れ、1日、実家巡りとし、和歌山に行くも、台風が近づき、早々に辞し(顔を見せることが大事)、加古川に向かうも、高速道路が渋滞していて断念する。昼を食べ、一旦、国分に戻る。それから18時の難波宮研究会に行く。有意義な研究会でした。2つの主要議題について、だいたい方向性が出ました。

で彦根

◆それで仕方なしに彦根へ。彦根城にはむかし子ども2人を連れて行ったかすかな記憶があるが、あ まり記憶もない。しかしここにも人が押し寄せており、なんでや、みんな城好きか!、と。まあ続々と上がってきますわ。途中、昼飯を食おうとするも飲食店がない。史跡だから?。でも休むところも欲しいです。天守は入場制限というか、1回に入れる人数を区切っていて、ならんでおり、こうなると「やめとこ」、と。博物館は行きました。1987年に御殿を復元して博物館にしたものという。まあしかし、殿さんのもっていた甲冑やら刀やら陣羽織やら、書物やら書画や焼き物やら、まあ、どこでもそうである。面白くはない。お城のことも博物館では学べず、本丸の片隅にあったパネルを読んだくらい。
◆行き帰り、豪雨でした。

2016年9月18日、長浜・彦根

◆松山に遊びに行こうとしていたのですが、19日はカミさんが授業があり、18日だけ何処かへ行こ うと。宇陀松山の伝建案もあったのですが、長浜へ。
◆お城は廃城後の跡地に模擬天守を建てたもので、博物館となっている。もっと長浜全体の歴史を学べるのかと思ったが、まあ城の博物館である。なんでお城の駐車場(臨時駐車場というのか第2駐車場だったが)がいっぱいなんだろうと首をかしげる。お城というか博物館を訪れる人も多い、というところに妙な違和感を・・・。そのあと駅舎の保存施設に行き、これもおもしろかった。長浜が北陸や湖北などからの物資を大津へ輸送するターミナル駅であり、舟運との結節点であったこと、やがて東海道線とつながるが、湖北から敦賀、また敦賀から福井へ、鉄道をつなぐことが難関であったことなど、学ぶことが多い。
◆そのあと、いよいよ町へと向かうと、ほぼすべての駐車場が満車で、内部は1回横切っただけだが、とにかく人があふれている。ラーメン屋には長蛇の列。なんじゃこれは・・・。びっくりです。以下、ウィキ。

 黒壁スクエアは、滋賀県長浜市旧市街にある、伝統的建造物群を生かした観光スポット。黒漆喰の和風建築である「黒壁1號館」から「30號館」までの総称であるが、一般に北国街道と大手門通り(美濃谷汲街道)の交差点である「札の辻」(江戸時代に高札が立った場所であることに由来)を中心とする区域として紹介されることが多い。
 江戸時代から明治時代の和風建造物の連続性が高い情緒ある町並みとその古建築を活用した美術館、ギャラリー、ガラス工房等の文化施設、レストラン、カフェ等が集積するエリアで、また日本最大のガラス芸術の展示エリアとして知られ、年間約300万人の観光客が訪れる湖北随一の観光スポットである。
 旧市街地の中心である「札の辻」に建つ「黒壁銀行」の愛称で親しまれてきた旧第百三十銀行(1899年竣工)の取り壊しの危機に際し、旧市街の古建築の保存と再生のための博物館都市構想を掲げた第三セクター(長浜市と地元民間企業8社が出資)「黒壁」が1988年に設立された。  「黒壁」設立の主目的である旧第百三十銀行の保存と再生は同建築が1989年に黒壁一號館「黒壁ガラス館」としてオープンすることにより達成された。 さらに「黒壁」はこの一號館の周囲の古建築を、次々と美術館、ガラスショップ、工房、ギャラリー、カフェ、レストランへと再生してその数10館、「黒壁まちづくり」に参画する館を合わせると計30の古建築の再生に携わった。1991年に新快速が長浜駅まで延伸したこともあって観光客が増え続け、その活況はエリア内の他の古建築の再生・活用へと波及していった。
 400年の伝統に支えられた寂れた商店街と古い住宅街が、今や湖北最大の観光スポットへと変貌を遂げている。町おこしの成功例として有名で、日本各地から視察が絶えない。

◆というのはいま学習したわけだが、当日、これはどうなってこうなったん?、研究せなあかんと思った。しかしまずちゃんと訪ねマチをまわることですね。

最後のひと仕事と打ち上げ

◆昨日来、最後に残った仕事として、埋葬施設のところの最後まで残してきた畦のなかにある陥没 抗内の埴輪の取り上げがある。現地説明会のこの日、説明はしつつも、埴輪の掘り出し作業も進め、それも見せることに。とはいえ、なかなか進捗しなかったので、自分を含め3人で作業を本格化する。
◆15時後、アイスを食べ(既にサクレなし)、シートかけをやり、記念撮影も済ませる。埴輪の掘り上げ作業を継続し、16時には写真撮影+フォトスキャン用の撮影。コンビニで写真を打ち出し、ナンバーを振りながら取り上げていく。上下はあるが、2面にするほどでもなく、また大きい破片の下からまた大きい破片ということもなく、下層埴輪も写真コピーにいくらか追加で記入し、掘り上げた。これが17:08。これにて、すべての作業を完了した。 埋葬施設のシートをかけ、テントの片づけ、個人の荷物 を出し、一方では、途中から宿舎の掃除を進め、現場組も宿舎に合流。ゴミの山があるが、まあそれは明日、運び出すこととしまとめてもらい、個人の荷物を固め、城陽飯店に向かう。
◆城陽飯店18時には10分ほど遅れたか。今日の昼間の現説には来れなかった参加者も合流し、打ち上げが始まった。
◆いやほんとに、今回は3か所の調査区でそれぞれ目的とした成果を得て、また当初から目指した9月半ば終了を実現し、すべてを終えて打ち上げができ、達成感のもと、みな楽しくやってました。奈良大・近大の学生が加わり、3回生が主力となり、4回生(昨年の主力)も卒論を縫ってサポートしてくれ、全体としていいチームとなって、現場運営もスムーズに進み、この日を迎えること ができた。感謝したい。解散し多くは寺田駅に向かう。
◆めでたく大団円となりました。

2016年9月17日(土曜日)久津川車塚現地説明会

◆前日の16日は教授会で自分は不在。朝、出版社との打ち合わせ、会議後もある打ち合わせ。現地 説明会の資料は道上氏が仕上げてくれている。埋葬施設の図面も終わったであろう。現説の準備はと、あれやこれやと思うが、現場サイドでやってくれている。
◆翌日の説明会。曇ってはいるが、なんとか天気はもちそうである。参加(城陽市関係のぞく)。自分。道上・山口・阿部・伊藤(市大)。三浦・宇佐美・コンマ1・土井・吉村・安藤・木下(立命)。相馬(近代)。参加者は450弱くらいか。朝、学生らはミッチーの陣頭指揮で打ち合わせをやっている。ちゃんとしている・・・。
◆城陽市担当者による全体説明のほか、本調査区、埋葬施設、テラスに分かれ説明に立つ。別途、 遺物のところにも。

2016年9月15日(木曜日)久津川車塚

◆参加。城陽市担当者。自分。長友。道上(市大)。コンマ1・宇佐美・安藤・木下(立命)。泉・ 田口(奈良大)。相馬(近代)。埼玉大の中村大介氏にドローンによる空撮。
◆朝、天王寺でレンターカーを借り現場へ。ドローン空撮のための清掃をやり、撮影に入る。シーラカンスと命名。
◆墳端平面図画板3枚セット。工藤さん指示でゲンセツ用準備。整理室に行き、埴輪の再点検に2人を送り出す。冷蔵庫捨て。埋葬施設の壁面線引き。テラストレンチのフォトスキャン用補足写真。コーナンなどで、色テープや紐を買い込み、遺構表示の作業を始める。列石には色シール。
◆宿舎撤収のため片付け。荷物を積み込み、5人が2台に分乗し、道路渋滞を回避するため、16:30に現場を出発。136部屋に機材を搬入する。天王寺で解散。自分はそのあと梅田に向かう。

そのあとは集中講義に来ていただいている先生との懇親会

◆専修大学のY氏。18時、昭和町。17時前には現場も一段落し、久津川駅に向かう。18:20 頃だったか、あんまり遅刻もせず(19時と伝えてあった)合流。楽しく飲みました。
◆明日は器財の引き上げのため、天王寺のレンタカー屋でバンを借りて城陽に向かう予定。帰り、大和路線高井田駅から歩きました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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