人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
8月11日(山の日)久津川車塚
◆世間は休み。晴。自分。造り出し北斜面、道上・阿部(市大)、コンマ1・吉村・木下(立命)、相馬(近大)、田口(奈良大)。谷筋部、園原・土井・安藤(立命)、泉(奈良大)。来客、大阪府原田氏。
◆今日は人数おり、北斜面の黄色土と転石を、ざっくり・ひととおり剥いでくれました(写真1、15:58)。い
や~、たいへんな土量を稼いでくれ、西寄りでも列石がきれいにでてきました。いちばん斜面長の長いところで、ここがアラアラ、生きた葺石面まで露呈させることができたことは大きい。
◆谷筋部は、昨日まで囲いの両側に堆積土の山が残っていたが(写真2、10:46)、両側とも下がった。とくに後円部斜面側では、この堆積土の下から埴輪片が顔をのぞかせていたが、「囲い」までの間、密に埴輪片が連続する様相を露呈させることができた。囲いの角部、入口部、建物の支えと考えている斜め柱が新たに6本出て、計7本となる(一部は鰹木とも)。また棟の鰭飾りかと思われる破片もあり、家が、とも思うが、現時点では「囲い」破片かと思われるものが多い。「囲い」は大きそう。
◆本日、掘っていく中で、後円部側・造り出し北斜面側とも、縦の列石が、この埴輪集中部で斜面から平坦面に移行し、造り出し谷筋の途中に平場が設けられているらしいとの見込みとなる。後円部側・造り出し斜面側とも、縦列石以外には、斜面裾に石が横にきれいに通るという状況ではないが、全体として平場となっている。そしてよく見ると、谷筋に直交して列石があり、「囲い」を据える空間を画しているらしい、ということがわかってきた。こうした谷筋途中の「囲い」を据える平場は、心合寺山でも検出されているらしい。いまのところ谷筋上方側の直交方向のみで、後円部側で谷筋平行のならびかと思われる石がある段階で、「囲い」を据え置く空間が列石で方形に画されているかどうかはわからない。また、平場といっているものが、どういう範囲で、どういう形状で、どのように下位と区別されているのか、あるいはダラダラまた斜面に移行するのか、そのへん
は定かでない。が、およそ明日、判明するだろう。滝があって水車形埴輪があって、ウソですよ~。
◆「囲い」そのものも、埴輪片は倒れている状況で、裾部が立っていると認められるものはない。また石と埴輪もかみあっているようなところもある。据え置くには平坦にしつらえていると思われるが、現状は石があり、埴輪片が散乱している。石をどこまではずしたらいいのか(その前に図面がいる?)、もうすこし谷筋下方も掘り上がり、石と埴輪のからみ具合を把握して、平場や「囲い」の囲みや、原位置のものなどがわかってきた段階で、次の手を考える必要がある。埴輪片は造り出し北斜面側にはあまりなく、後円部斜面側に倒れたものと思われる。
◆本日の作業終了時点で写真を取っていませんが、15:59段階の谷筋部の写真を出しておきます(写真3)。本日・そして明日は、前半戦の山場かもしれません(後半はくびれ部の検出でしょう)。後円部側の葺石はかなり出してきており、本日、先にも書いたが、造り出し北斜面の葺石がほぼほぼ出てきて、谷筋まで両側の斜面がもっとも長いところが大きく進展した。全体の1/3くらい、あるいはそれを越えるところくらいまでは来たか。まだ手の着いていない西側の深掘り部は、ほぼ緩やかな底面で、幅も限定された範囲である。来週いっぱいで、おおよそゴールできるかも知れない。
◆今日は人数おり、北斜面の黄色土と転石を、ざっくり・ひととおり剥いでくれました(写真1、15:58)。い
◆谷筋部は、昨日まで囲いの両側に堆積土の山が残っていたが(写真2、10:46)、両側とも下がった。とくに後円部斜面側では、この堆積土の下から埴輪片が顔をのぞかせていたが、「囲い」までの間、密に埴輪片が連続する様相を露呈させることができた。囲いの角部、入口部、建物の支えと考えている斜め柱が新たに6本出て、計7本となる(一部は鰹木とも)。また棟の鰭飾りかと思われる破片もあり、家が、とも思うが、現時点では「囲い」破片かと思われるものが多い。「囲い」は大きそう。
◆本日、掘っていく中で、後円部側・造り出し北斜面側とも、縦の列石が、この埴輪集中部で斜面から平坦面に移行し、造り出し谷筋の途中に平場が設けられているらしいとの見込みとなる。後円部側・造り出し斜面側とも、縦列石以外には、斜面裾に石が横にきれいに通るという状況ではないが、全体として平場となっている。そしてよく見ると、谷筋に直交して列石があり、「囲い」を据える空間を画しているらしい、ということがわかってきた。こうした谷筋途中の「囲い」を据える平場は、心合寺山でも検出されているらしい。いまのところ谷筋上方側の直交方向のみで、後円部側で谷筋平行のならびかと思われる石がある段階で、「囲い」を据え置く空間が列石で方形に画されているかどうかはわからない。また、平場といっているものが、どういう範囲で、どういう形状で、どのように下位と区別されているのか、あるいはダラダラまた斜面に移行するのか、そのへん
◆「囲い」そのものも、埴輪片は倒れている状況で、裾部が立っていると認められるものはない。また石と埴輪もかみあっているようなところもある。据え置くには平坦にしつらえていると思われるが、現状は石があり、埴輪片が散乱している。石をどこまではずしたらいいのか(その前に図面がいる?)、もうすこし谷筋下方も掘り上がり、石と埴輪のからみ具合を把握して、平場や「囲い」の囲みや、原位置のものなどがわかってきた段階で、次の手を考える必要がある。埴輪片は造り出し北斜面側にはあまりなく、後円部斜面側に倒れたものと思われる。
◆本日の作業終了時点で写真を取っていませんが、15:59段階の谷筋部の写真を出しておきます(写真3)。本日・そして明日は、前半戦の山場かもしれません(後半はくびれ部の検出でしょう)。後円部側の葺石はかなり出してきており、本日、先にも書いたが、造り出し北斜面の葺石がほぼほぼ出てきて、谷筋まで両側の斜面がもっとも長いところが大きく進展した。全体の1/3くらい、あるいはそれを越えるところくらいまでは来たか。まだ手の着いていない西側の深掘り部は、ほぼ緩やかな底面で、幅も限定された範囲である。来週いっぱいで、おおよそゴールできるかも知れない。
PR
だましだまし
◆まあ、なんとかやっております。葺石をやっつける見込みが甘く、今週あと2日と第3週で、なんとか墳端までたどりつければ、というところか。テント小が経年劣化で折れ、ぼろぼろになってはいるが、「だましだまし」使っている。洗濯機の水漏れもあるが、「だましだまし」使っている。早め早めに手をうち、やれることをやっていこう。
◆また大久保湯さんにお世話になっております。いま大人1人430円!。調査費に占める風呂代はかなりのものである。が、現場終了後、銭湯で学生等と汗を流すのも、これはこれで楽しいことである。わたしは通いにしており、風呂のあと、マツヤスーパーまで送っていき、「また明日」と。返ると19時半とか20時です。
◆月曜日は大久保湯さんは定休日で、梅の湯に行きます。今週の月曜日、学生が体重計に乗ると99.6㎏、服を着て、玄関口の古い体重計に乗ると、1まわりして0.1トンとなりました。
◆また大久保湯さんにお世話になっております。いま大人1人430円!。調査費に占める風呂代はかなりのものである。が、現場終了後、銭湯で学生等と汗を流すのも、これはこれで楽しいことである。わたしは通いにしており、風呂のあと、マツヤスーパーまで送っていき、「また明日」と。返ると19時半とか20時です。
◆月曜日は大久保湯さんは定休日で、梅の湯に行きます。今週の月曜日、学生が体重計に乗ると99.6㎏、服を着て、玄関口の古い体重計に乗ると、1まわりして0.1トンとなりました。
2016年8月10日(水)久津川車塚
◆晴れが続きます。城陽市担当者。自分、道上・阿部・伊藤(市大)、園原・安藤・木下(立命)、泉(奈良大)、相馬(近大)。朝イチで、道路をはさんで向かいのお宅の井戸から水を引かせてもらう(きのうの夕方に話がついていた)。
◆葺石斜面をある程度降りてくるが、谷部の進捗がやや遅れ
ているので、園原を起用し、一気に戦線を下げにかかる。とはいえ斜面上方での、目地出しの甘いところをホジホジする部隊も必要で、なかなか一線になって下がる体制にならない。排土も上と下に分かれると、チリトリで上は上でさばくようにはするものの、やはりかぶってくる。そこで、コーナンに走り、集塵機を購入、第2Qに導入する。こりゃいいわ。
◆そこで昼休みに、もう1台買いに走る。在庫なく、頼み込んで展示品を売ってもらう。あわせて石の目地を出すのに、適当な金属製二又の草抜き道具を買い込む。午後は、集塵機2台体制で進める。造り出し北辺の、囲形埴輪い沿いの黄色土の高まりを一気に削ると、累々と葺石面が現れる。園原も谷部をすっきりと仕上げる。谷部の列石が見事にならんでおります(写真上)。また同様に、囲形埴輪の反対側、後円部側にも黄色土の高まりがあり、谷部上方から削り落とす。谷部をはさんで両翼に人が展開しつつ、谷部に人を集め、戦線がそろうようにもっていく。
◆後円部側の黄色土を除去していくと、埴輪片が累々と出土し始める。センター谷部でも降りてくると、傾斜がさらに緩やかになり平坦に近くなり、その平坦部に囲形埴輪が据えてあるように思われる(コンパネのところ)。後円部側の新たに姿を見せる埴輪片も板状で、囲いとか家になるのかもしれないが、まだよくわからない。谷部に囲いがあり、間に黄色土の山があり、囲いと反対側の後円部斜面側の黄色土下位から新たな埴輪片が出ており、少々距離がある。囲いの部位から後円部側に倒れ込んだものかもしれないが、まだわかりません(明日になれば、およそわかるだろう)。
◆というわけで、センター谷部では、囲形埴輪の位置にほぼ近づくところまで降りてきた。目地をほじほじし、大変な手間であるが、石が累々と積み重ねられ、ぎっちりと残っている姿が露呈されてきている(写真上)。
◆昨日以来だが、続々と縦の列石が検出されている。列石は人頭大ほどで、間の葺石は拳大である。
◆葺石斜面をある程度降りてくるが、谷部の進捗がやや遅れ
◆そこで昼休みに、もう1台買いに走る。在庫なく、頼み込んで展示品を売ってもらう。あわせて石の目地を出すのに、適当な金属製二又の草抜き道具を買い込む。午後は、集塵機2台体制で進める。造り出し北辺の、囲形埴輪い沿いの黄色土の高まりを一気に削ると、累々と葺石面が現れる。園原も谷部をすっきりと仕上げる。谷部の列石が見事にならんでおります(写真上)。また同様に、囲形埴輪の反対側、後円部側にも黄色土の高まりがあり、谷部上方から削り落とす。谷部をはさんで両翼に人が展開しつつ、谷部に人を集め、戦線がそろうようにもっていく。
◆後円部側の黄色土を除去していくと、埴輪片が累々と出土し始める。センター谷部でも降りてくると、傾斜がさらに緩やかになり平坦に近くなり、その平坦部に囲形埴輪が据えてあるように思われる(コンパネのところ)。後円部側の新たに姿を見せる埴輪片も板状で、囲いとか家になるのかもしれないが、まだよくわからない。谷部に囲いがあり、間に黄色土の山があり、囲いと反対側の後円部斜面側の黄色土下位から新たな埴輪片が出ており、少々距離がある。囲いの部位から後円部側に倒れ込んだものかもしれないが、まだわかりません(明日になれば、およそわかるだろう)。
◆というわけで、センター谷部では、囲形埴輪の位置にほぼ近づくところまで降りてきた。目地をほじほじし、大変な手間であるが、石が累々と積み重ねられ、ぎっちりと残っている姿が露呈されてきている(写真上)。
◆昨日以来だが、続々と縦の列石が検出されている。列石は人頭大ほどで、間の葺石は拳大である。
2016年8月9日(火曜日)久津川車塚
◆晴れ 城陽市担当者、工藤さん。自分、道上・阿部・伊藤(市大)、園原・武嗣(100)・安藤・木下・日下(立命)、泉・田口(奈良大)、相馬(近大)
◆写真がない(イオスキス、SDなくてもシャッター降りるのね)。全員、葺石。昨日、テント小が破損するも、だましだまし何とかおっ立てる(突っ張り棒)。後円部側は、ある高さまで、ひととおりの石出し、ほぼ完了。撹乱穴も掘り上げ、その周囲の葺石の石出しを進める。撹乱穴の北側の石どもは、一旦は残すが、最終的には、ずった程度でなく動いた残存と認定し、ほぼ撤去した。造り出し北面の石出しも進む。
◆なかなか足並みもそろわなかったが、石出しの甘い上部に人を貼り付け、上から一定範囲は石出し完了とし、あとは下っていく筋道をなんとかつけようとした1日であった。
◆午前中、調査区の測量をした。深掘り、約4m(3m94cm)、石の天場から西側調査区下
端まで、水平距離で17.5m。1日1m下がって17日かかる・・・。見取り図はこれで描ける(写真)。
◆あと、水の確保の話が着く。で、終了後、大学に行き、ホースリールを積み込んだ。明日はプールをふくらますところから始めよう。
◆写真がない(イオスキス、SDなくてもシャッター降りるのね)。全員、葺石。昨日、テント小が破損するも、だましだまし何とかおっ立てる(突っ張り棒)。後円部側は、ある高さまで、ひととおりの石出し、ほぼ完了。撹乱穴も掘り上げ、その周囲の葺石の石出しを進める。撹乱穴の北側の石どもは、一旦は残すが、最終的には、ずった程度でなく動いた残存と認定し、ほぼ撤去した。造り出し北面の石出しも進む。
◆なかなか足並みもそろわなかったが、石出しの甘い上部に人を貼り付け、上から一定範囲は石出し完了とし、あとは下っていく筋道をなんとかつけようとした1日であった。
◆午前中、調査区の測量をした。深掘り、約4m(3m94cm)、石の天場から西側調査区下
◆あと、水の確保の話が着く。で、終了後、大学に行き、ホースリールを積み込んだ。明日はプールをふくらますところから始めよう。
夏休み
◆そんなんで、大歴の8月号発送の仕事と、大学の公務2つ、以外はもうしません。夏休み。現場に集中する。メールも見たくない。急な用があれば携帯に電話してください。
2016年8月8日久津川車塚
◆朝、7:30に出ようとするとアクシデント。出発遅れ、9:15着となる。晴れ。城陽市担当
者、自分、道上・阿部・伊藤(市大)、大澤・園原・武嗣・安藤・木下・日下(立命)、泉(奈良大)、相馬(近大)。
◆朝、4人は造り出し隅部に貼り付いている(いつまでだったか)。8人は葺き石、どこかからは12人全員で葺石。とはいえ、人口密度の高い葺石に対し、われわれ4人(自分・大澤・園原・相馬)は後円部斜面の葺石の落下した下段斜面に貼り付き、残存面まで墳丘面の検出を落下していない葺石までのところを、へいこらとやっていた。造り出し角のチームが合流した際、どうも後円部斜面に大穴の撹乱が入っており、その掘り上げを安藤に任せる。
◆本日から、市大の2つのテントを作業場に貼り、またこれは先週来だが、発電機を回し
て作業用扇風機で風を送る(写真2)。そんなんで、暑いのは暑いが、先週に比べお茶の消費も少なく、格段に作業環境がよかったのか、1日が早く過ぎた感覚がある。
◆造り出し稜線は、先週の検討で、いますこし面がかなり削れるのでは、つまり地山出しが甘いんではないか、というところを落とし、ひととおり仕上げてくれた(写真1)。
◆葺石は、昨年は未確認であった谷部の大石が姿を現した(写真3)。これは浮いていると判断した拳大より大きい石をはずした下から出てきたものだが、並んできたのはよいが、谷部折れ線をはずれたところの礫のならびと同様の石が谷部列石の上にのってくるところもある。これは、おそらくはずせないだろうと。つまりは、谷筋の大石の列石ぜんぶかどうか
はわからないが、それが露出しているのでなく、その上に、造り出し北面および後円部斜面の葺石と同じような比較的小さな石を面的に葺いて、列石を隠すように仕上げていた可能性が高いだろう。石をはずすのは、土を基本に、埴輪がかむとか、まわりよりも浮いているとか、各人の判断とはいえるが、基本的にゆるやかな斜面である谷部の葺き石は、多少はずっていても、あまり動いておらず、はずすのは慎重にした方がいいだろう。いろんな局面で、上に浮いたような石も出てきているが、基本は石をはずさず露呈させ、全体状況がわかった段階で判断する、ということを徹底する必要がある。たとえば、囲形埴輪の部位だってそうである。列石を追いかけたのは、まずかった可能性
もある。埴輪を据え、礫を際まで敷き詰める、といったことは当然ありうるわけだ。
◆後円部側の葺石だが、上のように、基本的に石を残しつつ目地をほじり、石を出していくが、最終盤で、石のない土のところで地山まで下げていると、下から石がでてきた(写真4)。それより斜面上方、またレベル的にも高い、検出してきた葺石たちは、ではすべてはずせるか、というと、なかなかそうもいかない。ある程度、まとまった形で下にずって乗り上げている形かも知れない。取った方がいいという判断は、あせらないでおこう。下の石を出し、下がり、また上がりするなかで、決めていけばよろし。
◆もひとつ。「前方部はあるの」という重要な指摘も。短くも「前方部」というべきかどうかは?だが、要するに造り出しと後円部の間の直線的接続部のこと。造り出しの入り隅があって、ただちに折れて後円部の円弧がくるわけではない(のかもしれない)。
◆朝、4人は造り出し隅部に貼り付いている(いつまでだったか)。8人は葺き石、どこかからは12人全員で葺石。とはいえ、人口密度の高い葺石に対し、われわれ4人(自分・大澤・園原・相馬)は後円部斜面の葺石の落下した下段斜面に貼り付き、残存面まで墳丘面の検出を落下していない葺石までのところを、へいこらとやっていた。造り出し角のチームが合流した際、どうも後円部斜面に大穴の撹乱が入っており、その掘り上げを安藤に任せる。
◆本日から、市大の2つのテントを作業場に貼り、またこれは先週来だが、発電機を回し
◆造り出し稜線は、先週の検討で、いますこし面がかなり削れるのでは、つまり地山出しが甘いんではないか、というところを落とし、ひととおり仕上げてくれた(写真1)。
◆葺石は、昨年は未確認であった谷部の大石が姿を現した(写真3)。これは浮いていると判断した拳大より大きい石をはずした下から出てきたものだが、並んできたのはよいが、谷部折れ線をはずれたところの礫のならびと同様の石が谷部列石の上にのってくるところもある。これは、おそらくはずせないだろうと。つまりは、谷筋の大石の列石ぜんぶかどうか
◆後円部側の葺石だが、上のように、基本的に石を残しつつ目地をほじり、石を出していくが、最終盤で、石のない土のところで地山まで下げていると、下から石がでてきた(写真4)。それより斜面上方、またレベル的にも高い、検出してきた葺石たちは、ではすべてはずせるか、というと、なかなかそうもいかない。ある程度、まとまった形で下にずって乗り上げている形かも知れない。取った方がいいという判断は、あせらないでおこう。下の石を出し、下がり、また上がりするなかで、決めていけばよろし。
◆もひとつ。「前方部はあるの」という重要な指摘も。短くも「前方部」というべきかどうかは?だが、要するに造り出しと後円部の間の直線的接続部のこと。造り出しの入り隅があって、ただちに折れて後円部の円弧がくるわけではない(のかもしれない)。
2016年8月7日陵墓シンポ
◆そんなんで、2日目の7日は陵墓シンポでOCに参加できないもので、1日目の日本史コース
の説明会4回のうちの2回をやらされた。仕事なのでやりますけど、わたし、向いてません。
◆終了後、大学院入試の打ち合わせ、大学院生の成績関係の話し合い、こんなんで19時30くらいまではかかったか。いや、ほんとに、われわれ、・・・、いや、やめときます。
◆そこからシンポのパワポ作り。ほんまに徹夜になりました。パワポができたのが翌朝9時。そこから紙資料の作成にかかり、1時間。10時過ぎから130部の印刷にかかり、11時には杉本町を出て神戸に向かう。
◆シンポそのものの話は、あんまり書く気力もなく・・・。80人ほどが参加し、これは思ったより来ていただいたといえる数字で、それはよかったです。まあ、よくこなしました・・・。
◆終了後、大学院入試の打ち合わせ、大学院生の成績関係の話し合い、こんなんで19時30くらいまではかかったか。いや、ほんとに、われわれ、・・・、いや、やめときます。
◆そこからシンポのパワポ作り。ほんまに徹夜になりました。パワポができたのが翌朝9時。そこから紙資料の作成にかかり、1時間。10時過ぎから130部の印刷にかかり、11時には杉本町を出て神戸に向かう。
◆シンポそのものの話は、あんまり書く気力もなく・・・。80人ほどが参加し、これは思ったより来ていただいたといえる数字で、それはよかったです。まあ、よくこなしました・・・。
2016年8月6日オープンキャンパス
◆朝9:00に行き、日本史のディスプレイはどうなっているかなと、1号館を見に行くと、ちゃんとできあがっている。みなさん、ありがとうございました。
◆まあしかし、電車で阪和線に乗ると、親子連れが多い。友達と2人とかでいる高校生を見ると、これが健全な姿だと思う。男親、女親、いろいろだが、子離れ、親離れできていないやつは、こんでよい。親も仮に聞いてみたいと思っても、頼むから一緒に来るな。こっそりと聞け。そんなやつは、アドミッションポリシーからしても、いりません。自立した高校生よ、来たれ。
◆そもそも、こんな最悪のもっともカンカンデリの時にすることはない。入学者のアンケートで、OCに来た人の比率は低い。これから秋に向けて真剣に大学選びをするという夏、という理由は合理的のようで、実態からすると、別にこの時期でなくったっていいわけです。あんまり関係ない。1年生とか2年生が高校の課題で来るのが多い。もちろんターゲットの3年生も来る。が、そういう人たちに、うちの文学部は、という説明は、春でも秋でも別に構わない。というか、現実はあまり関係ないわけです。
◆学園祭のある11月にOCをやるのが、いいんでは?。それくらいで。あんまりマジにやる必要はないんだわ。結局、「受かるかも」というところを受けにくるわけで。
◆まあしかし、電車で阪和線に乗ると、親子連れが多い。友達と2人とかでいる高校生を見ると、これが健全な姿だと思う。男親、女親、いろいろだが、子離れ、親離れできていないやつは、こんでよい。親も仮に聞いてみたいと思っても、頼むから一緒に来るな。こっそりと聞け。そんなやつは、アドミッションポリシーからしても、いりません。自立した高校生よ、来たれ。
◆そもそも、こんな最悪のもっともカンカンデリの時にすることはない。入学者のアンケートで、OCに来た人の比率は低い。これから秋に向けて真剣に大学選びをするという夏、という理由は合理的のようで、実態からすると、別にこの時期でなくったっていいわけです。あんまり関係ない。1年生とか2年生が高校の課題で来るのが多い。もちろんターゲットの3年生も来る。が、そういう人たちに、うちの文学部は、という説明は、春でも秋でも別に構わない。というか、現実はあまり関係ないわけです。
◆学園祭のある11月にOCをやるのが、いいんでは?。それくらいで。あんまりマジにやる必要はないんだわ。結局、「受かるかも」というところを受けにくるわけで。
2016年8月5日(金)久津川車塚
◆帰りの24号線は込んでました。よし牛で晩飯。帰り着いたのは20時頃か。とにかく、土曜 の晩は徹夜だと思っていたので、ひたすら寝ました。無理に寝たわけでもなく、むろん現場で疲れ・・・
◆さてと。思い出しだし日誌を書くものではないが、月曜日8日に書いております。晴れ。参加者は、城陽市担当者、自分、道上、阿部、安藤・木下、泉・田口、だったっけか。
◆重機は本日まで。回送までの1時間、調査区西端部分について、ひたすら残る黄色を除去し、濠内堆積土までめくる、という作業に従事する。重機のバケットを下ろしてもらい、そこに排土を入れていく。残土はけっこうな厚みがあり、スコをもたせ掘削した。ほぼそこまでの目的を達し、グライ化し、また鉄分が吸着した独特の土までめくる。このへんは完全な濠内なんだろう。石は入っているが転落石だろう(写真1=10:44)。よく掘ったもんだべ。
◆そのあとは土嚢作り。既調査区である造り出し北辺部の、今回もう一度開けているところは、土嚢で埋め戻したキリもあって、2段落ちのようになっている。そこをきっちりと、今回の調査区として画するために、土嚢を100数十みなで作り、土嚢壁を積んで画した(シートをかけてしまったので写真を取り損ないました)。
◆そして、今回の深堀部の法面、これ深さなんぼあんるんでしょうかね。約4mくらい か。去年よりきっと深いですよ(そうかスタッフで計ろうか)。そこにシートをかけて、全景写真までめくることのないよう、シートをきっちりと張る(写真2)。こうしてみると、掘り上げないといけない石は、水平距離で25mくらいあるのかもしれない(追記。そんなにはありません。17.5mでした)。いや~長い長い。こいつらをやっつける手間は相当なもんです。
◆午後、全員で、造り出し西斜面にかかる。昨年度は、調査区周囲に犬走りをめぐらし、
調査区端まで、斜面を削り出さなかった。そこのところの幅60㎝とか70㎝ほどであるが、昨年、肩からある程度のとろこまで出していた斜面をぜんぶ出し切る作業にかかる(写真3)。
◆最後の1時間もないくらいか、造り出し西斜面が片がつき、北斜面もやってもらっていたが、造り出し稜線沿いの部分のダメ押しを道上・安藤に任せ、残りはみな、谷部最上部から葺石にとりかかる(写真4)。こっちは木下がリードしてくれる。まあ、石をほじほじするのはむちゃくちゃ手間!。この日の最後、1時間くらいやっただけかと記憶するが、下方の長さを見るとボーゼンとする。下に行く着くには、どのくらいかかるのだろうか、と。
◆16時頃、西日がカッと照りつけ、日中以上に照りがきつく、つらい。熱中症には気をつけましょう。ということで、本日は、重機が大小2台ともいなくなり、人力による掘削が本格化した第1週の最終日でした。ちゃんちゃん。
◆さてと。思い出しだし日誌を書くものではないが、月曜日8日に書いております。晴れ。参加者は、城陽市担当者、自分、道上、阿部、安藤・木下、泉・田口、だったっけか。
◆重機は本日まで。回送までの1時間、調査区西端部分について、ひたすら残る黄色を除去し、濠内堆積土までめくる、という作業に従事する。重機のバケットを下ろしてもらい、そこに排土を入れていく。残土はけっこうな厚みがあり、スコをもたせ掘削した。ほぼそこまでの目的を達し、グライ化し、また鉄分が吸着した独特の土までめくる。このへんは完全な濠内なんだろう。石は入っているが転落石だろう(写真1=10:44)。よく掘ったもんだべ。
◆そのあとは土嚢作り。既調査区である造り出し北辺部の、今回もう一度開けているところは、土嚢で埋め戻したキリもあって、2段落ちのようになっている。そこをきっちりと、今回の調査区として画するために、土嚢を100数十みなで作り、土嚢壁を積んで画した(シートをかけてしまったので写真を取り損ないました)。
◆そして、今回の深堀部の法面、これ深さなんぼあんるんでしょうかね。約4mくらい か。去年よりきっと深いですよ(そうかスタッフで計ろうか)。そこにシートをかけて、全景写真までめくることのないよう、シートをきっちりと張る(写真2)。こうしてみると、掘り上げないといけない石は、水平距離で25mくらいあるのかもしれない(追記。そんなにはありません。17.5mでした)。いや~長い長い。こいつらをやっつける手間は相当なもんです。
◆午後、全員で、造り出し西斜面にかかる。昨年度は、調査区周囲に犬走りをめぐらし、
◆最後の1時間もないくらいか、造り出し西斜面が片がつき、北斜面もやってもらっていたが、造り出し稜線沿いの部分のダメ押しを道上・安藤に任せ、残りはみな、谷部最上部から葺石にとりかかる(写真4)。こっちは木下がリードしてくれる。まあ、石をほじほじするのはむちゃくちゃ手間!。この日の最後、1時間くらいやっただけかと記憶するが、下方の長さを見るとボーゼンとする。下に行く着くには、どのくらいかかるのだろうか、と。
◆16時頃、西日がカッと照りつけ、日中以上に照りがきつく、つらい。熱中症には気をつけましょう。ということで、本日は、重機が大小2台ともいなくなり、人力による掘削が本格化した第1週の最終日でした。ちゃんちゃん。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(06/22)
(06/22)
(06/22)
(06/22)
(06/22)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。