人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
久津川車塚9月28日(月)
◆自分、原田、道上、佐藤、土井、大澤、園原、吉村、作業員さん3人 城陽市担当者
◆先週末は、写真は土器のところのみ。今日は全景。午前、調査区内の清掃、作業員さんも、シート・土嚢を片付けなどののち、合流。午後、2時頃からか、ヤグラを立て始め、西側および北側からの撮影を終える。天気は雲ひとつない秋晴れ、コントラストが強く、深掘り部ではシャドウもきつい。調査区もカリカリに乾いている。でも、まあいたしかたなし。16時、影がきつく撮影は翌日とし、残り図面を取る。
◆明日、光の加減次第だが、午後から残りの撮影予定。南から全景を撮り、そのあと葺石、埴輪列、埋葬施設等の部分写真に入っていく。3D計測は朝から稼働。なんとか午前中でいいところまで終えられないだろうか。水曜日はラジコンヘリの空撮が午前11時まで。そこからはフルスロットルで図面に・・・。木・金は天気はよくないみたいだ・・・
◆先週末は、写真は土器のところのみ。今日は全景。午前、調査区内の清掃、作業員さんも、シート・土嚢を片付けなどののち、合流。午後、2時頃からか、ヤグラを立て始め、西側および北側からの撮影を終える。天気は雲ひとつない秋晴れ、コントラストが強く、深掘り部ではシャドウもきつい。調査区もカリカリに乾いている。でも、まあいたしかたなし。16時、影がきつく撮影は翌日とし、残り図面を取る。
◆明日、光の加減次第だが、午後から残りの撮影予定。南から全景を撮り、そのあと葺石、埴輪列、埋葬施設等の部分写真に入っていく。3D計測は朝から稼働。なんとか午前中でいいところまで終えられないだろうか。水曜日はラジコンヘリの空撮が午前11時まで。そこからはフルスロットルで図面に・・・。木・金は天気はよくないみたいだ・・・
9月25日から27日、和泉市北田・中の歴史的総合調査
◆翌日、集合時間が早くなっていることを知らずに出かける。とはいえ、8時頃には和泉中央駅に到
着していたのだが、バス停側の反対側に乗り入れ、一周まわってくる間に、第1便を乗せたバスは出発。なんとか、自分の車にあてがわれていた数人を拾って、和泉市でも横山地区の大字北田・中に送り届ける。
◆疲労が回復しないままだが、和泉市合同調査が始まった。予備知識を詰めておくこともできず、必要な地図類データなども用意しないまま、水利班に貼り付く。が、事前にかなり調べてくれており、よくできた図面も既にあった。1日目午前は水利の聞き取り調査、2日目は午前午後とフィールドワーク。3日目は農業の実行委員会の聞き取り。
◆5つの水利系統からなる。横山でもいちばん低地部分。東槇尾川の北では、東の福瀬からの水利があり、南では、南の小野田からの水路が、また岡町側からのものもある。検地帳に上がっている溜
池の特定ができていないものもあり、現状はおよそ把握したが、突き合わせが必要。それと何で川をはさんだ「北田」と「中村」ががっちゃんこしたのか。こういうのが近世の特質か。支配の単位を明確にして村を切る。その時に北田と中村をあわせて単位としたのだろう。中世までの実質的な領域はむろんあるのだろうが、人口と土地からなるムラの規模にもいろいろあって、北田と中村は一緒になったと。その際に近世の村の範囲を定めるときに、むろん実態に規制されつつも、人為的な切り貼りもあるのだろう。元禄からは204石だが、延宝検地段階は288石で、いまは福瀬の溜池も北田中になっており、17世紀の中で調整もあったのではないか。まったくのド素人ながら、そんなことを考えていた。
◆最終日、いつものように研究室に運び込むものを積み込み、ドクター3人と大学へ戻る。自分なりのまとめをしようと地図を少しいじりかけるも、もはや気力は0。
◆疲労が回復しないままだが、和泉市合同調査が始まった。予備知識を詰めておくこともできず、必要な地図類データなども用意しないまま、水利班に貼り付く。が、事前にかなり調べてくれており、よくできた図面も既にあった。1日目午前は水利の聞き取り調査、2日目は午前午後とフィールドワーク。3日目は農業の実行委員会の聞き取り。
◆5つの水利系統からなる。横山でもいちばん低地部分。東槇尾川の北では、東の福瀬からの水利があり、南では、南の小野田からの水路が、また岡町側からのものもある。検地帳に上がっている溜
◆最終日、いつものように研究室に運び込むものを積み込み、ドクター3人と大学へ戻る。自分なりのまとめをしようと地図を少しいじりかけるも、もはや気力は0。
久津川車塚9月25日(金曜日)
◆24日(木曜日)朝、既に雨。写真・図面に向けて、全面シートせず、深掘り部分および上面の埴輪列内にかけていた状態だったので、隙間なくシート掛けする。午前、ひとまず待機とし、京大博に久津川石棺を見に行く。泉屋は閉館。昼過ぎに帰って来るも、雨の状況も芳しくなく、みなの疲れもピーク状況にあり、この日はなしとなる。この日、夕刻の会議・・・、すっかり頭からなくなっていまして・・・。関係方面のみなさん、たいへん申し訳ありませんでした。ぐったりした体を、明日からの和泉市合宿3日もあり、家でず~と寝ていました。
◆25日(金曜日) 全面のブルーシートをめくり、作業員さんは清掃。立命部隊は、北面・西面・ 南面葺石の平面図に取り掛かり、北面・西面については完了。南面については東区(上部)は終了、深掘部に一部とりかかる。
【追記】研究室のネットがしばらく前からつながらず、本日9月28日、ハブをはずし、直につなぐ。
◆25日(金曜日) 全面のブルーシートをめくり、作業員さんは清掃。立命部隊は、北面・西面・ 南面葺石の平面図に取り掛かり、北面・西面については完了。南面については東区(上部)は終了、深掘部に一部とりかかる。
【追記】研究室のネットがしばらく前からつながらず、本日9月28日、ハブをはずし、直につなぐ。
久津川車塚9月23日(水曜日)
◆自分、長友、原田、道上、大澤・園原・木下・白木原、城陽市担当者、+
◆東南隅埴輪の残り作業→完了。土器出土部位の周囲の仕上げ→完了。土製品出土地点の周囲の仕上げ→完了。トータルステーションで、フレーム、葺石・埴輪以外の平面図にかかるが、方針を変更してやめる。
◆午後、墓坑東北隅部の段下げ、そのあと陥没坑のイメージ作り。ひとまず
黄色粘質土を下げていく。その下、南半部では黄色い砂質土が顕著で、置き土の可能性のあるものだが、これもずっていることには変わりなく、埴輪も入っている。南小口にむかって上がっていくのだろう。中央部ではもうちょっと礫混じりの土が壁面となる落ちが明瞭だが、そのなかにも埴輪が入る。墓坑埋土の上部と洪水層のはざまにあって、埋土のずった再堆積土とみるのがよいのかもしれない。
◆埴輪片が密に入っており、陥没中心部は黄色の粘土がさらに入り込んでいるとみられるが、現在の掘削で落ち込みに埴輪が入り込んでいる様子を示すことはできているので、およそこれで仕上げて写真としよう。これらの埴輪も図化し(写真起こしになるかもしれないが)、取り上げ、そのあと、さらに下部に続くであろうが、それを採取して、さらにやや下げた状態で再度写真を撮り、そこまでとしたい。動いていない埋土まできちんと出すというところまではやらずともよいだろう。断ち割り断面の層位図は春に図化しているが、再度、点検しておく必要はある。
◆それ以外に、北辺中点位置の大型埴輪の周囲に散っていた埴輪の記録と取り上
げ。埴輪列東北隅部の大型埴輪抜き取り坑の掘り上げ、そして埴輪列東辺の据え付け掘形の検出などを行う。布掘りの掘形は東辺・南辺でなんとか線引きしなければならない。
◆土器出地点4箇所について1/1での平面図作成→レベリングまで完了。
◆大学に戻り、ヒストリアの仕事をとも思ったが、できるはずもなく、図面の算段を考え るので手いっぱいである。
◆東南隅埴輪の残り作業→完了。土器出土部位の周囲の仕上げ→完了。土製品出土地点の周囲の仕上げ→完了。トータルステーションで、フレーム、葺石・埴輪以外の平面図にかかるが、方針を変更してやめる。
◆午後、墓坑東北隅部の段下げ、そのあと陥没坑のイメージ作り。ひとまず
◆埴輪片が密に入っており、陥没中心部は黄色の粘土がさらに入り込んでいるとみられるが、現在の掘削で落ち込みに埴輪が入り込んでいる様子を示すことはできているので、およそこれで仕上げて写真としよう。これらの埴輪も図化し(写真起こしになるかもしれないが)、取り上げ、そのあと、さらに下部に続くであろうが、それを採取して、さらにやや下げた状態で再度写真を撮り、そこまでとしたい。動いていない埋土まできちんと出すというところまではやらずともよいだろう。断ち割り断面の層位図は春に図化しているが、再度、点検しておく必要はある。
◆それ以外に、北辺中点位置の大型埴輪の周囲に散っていた埴輪の記録と取り上
◆土器出地点4箇所について1/1での平面図作成→レベリングまで完了。
◆大学に戻り、ヒストリアの仕事をとも思ったが、できるはずもなく、図面の算段を考え るので手いっぱいである。
久津川車塚9月22日(火曜日)
◆自分、原田、道上、佐藤、大澤・園原・木下・白木原、城陽市担当者
◆東南隅部埴輪片の取り上げ、造り出し上面の検出を継続する。本日でおよそ目処がついてきた。平行して2人で、北半部の土器供献部の既出のものを下部まで出し、上面を仕上げていく作業に入る。途中から、東南隅部から2人が合流し、およそ土器を露呈させていくことができた。新たに完形品が出てくる地点はないが、既出のものの姿形がはっきりし、その周囲の若干の下げも、だいたい終了してくる。小片はパラパラと散っており、これは位置を記録して取り上げた。
◆南北撹乱溝をはさんだ東側の、土製品出土地点はまだ手がついていないので、明日はそっちに入っていく。東南隅埴輪列も、もうちょっとで終わる。図面を先行せざるをえないと思っていたが、上記の掘り残しが明日までもちこし、今週あと木・金となると、明日は埋葬施設中軸部の陥没坑に入っている黄色粘土の下げを含めて、なんとか掘り上げることをめざし、シルバーウィーク明けの木曜日には作業員さんが戻ってくるので、少し増強してもらえるならそうして全体清掃にかかり、金曜日を写真撮影とするのがよいと判断した。一応、その予定で進めることにする。実測は、来週からでよい、と。
◆週末から市大の和泉市合宿に入り、金から3日はそっちにいかなければならない。週明けは、9月が残り3日、10月の1・2日まで。木曜日の授業はなんとかして(金曜日はなんともならん)、月~木までは貼り付ける。そして最後、図面は残るだろうが、土日はあいているので、学生に奮起してもらい、4日で完了、というのが今の目算。ただし立命も授業が始まり、学生は減ってしまう。2回生と3回生でも違うが、自分らの掘った葺石や埴輪列の図を描く経験をしてもらいたいもの。そこは持ち場を与え、来れる日のなかでやってもらうしかない。とはいえ、3・4日でというわけにもいかないので、かなりこっちが描かないとやはりいけないのも確か。
【見学者】G市K氏、W県K氏、O大N氏、A市M氏
◆東南隅部埴輪片の取り上げ、造り出し上面の検出を継続する。本日でおよそ目処がついてきた。平行して2人で、北半部の土器供献部の既出のものを下部まで出し、上面を仕上げていく作業に入る。途中から、東南隅部から2人が合流し、およそ土器を露呈させていくことができた。新たに完形品が出てくる地点はないが、既出のものの姿形がはっきりし、その周囲の若干の下げも、だいたい終了してくる。小片はパラパラと散っており、これは位置を記録して取り上げた。
◆南北撹乱溝をはさんだ東側の、土製品出土地点はまだ手がついていないので、明日はそっちに入っていく。東南隅埴輪列も、もうちょっとで終わる。図面を先行せざるをえないと思っていたが、上記の掘り残しが明日までもちこし、今週あと木・金となると、明日は埋葬施設中軸部の陥没坑に入っている黄色粘土の下げを含めて、なんとか掘り上げることをめざし、シルバーウィーク明けの木曜日には作業員さんが戻ってくるので、少し増強してもらえるならそうして全体清掃にかかり、金曜日を写真撮影とするのがよいと判断した。一応、その予定で進めることにする。実測は、来週からでよい、と。
◆週末から市大の和泉市合宿に入り、金から3日はそっちにいかなければならない。週明けは、9月が残り3日、10月の1・2日まで。木曜日の授業はなんとかして(金曜日はなんともならん)、月~木までは貼り付ける。そして最後、図面は残るだろうが、土日はあいているので、学生に奮起してもらい、4日で完了、というのが今の目算。ただし立命も授業が始まり、学生は減ってしまう。2回生と3回生でも違うが、自分らの掘った葺石や埴輪列の図を描く経験をしてもらいたいもの。そこは持ち場を与え、来れる日のなかでやってもらうしかない。とはいえ、3・4日でというわけにもいかないので、かなりこっちが描かないとやはりいけないのも確か。
【見学者】G市K氏、W県K氏、O大N氏、A市M氏
久津川車塚9月21日(月曜日)
◆自分、長友、原田、道上、佐藤、園原、木下、城陽市担当者
◆実測を一部開始してもいいが、まだ掘り残しがあり、その始末が先。埴輪列南辺内側の埴輪溜まりの取り上げと上面出し。東南隅部と南辺中央に分かれて作業。自分は西南隅部を東にむかって作業した。50㎝メッシュを張って写真を撮り、取り上げる。主要な破片は座標を記録。ただし、東南隅部では隅位置の大型埴輪あるいはその横に蓋形が載せてあったようで立ち飾りが出土するなど、密に埴輪が重なり手間がかかる。南辺中央から西南隅にかけては、なんとか完了した。隅部もかなり進んだが、なお土のかぶりも多く残り、明日に持ち越しとなる。
◆明日は全員で東南隅部をやっつけて、次に造り出し北半部の土器・土製品の精査に入って
いく予定。
【夜】少人数なので焼肉。自分を入れて計5人。
◆実測を一部開始してもいいが、まだ掘り残しがあり、その始末が先。埴輪列南辺内側の埴輪溜まりの取り上げと上面出し。東南隅部と南辺中央に分かれて作業。自分は西南隅部を東にむかって作業した。50㎝メッシュを張って写真を撮り、取り上げる。主要な破片は座標を記録。ただし、東南隅部では隅位置の大型埴輪あるいはその横に蓋形が載せてあったようで立ち飾りが出土するなど、密に埴輪が重なり手間がかかる。南辺中央から西南隅にかけては、なんとか完了した。隅部もかなり進んだが、なお土のかぶりも多く残り、明日に持ち越しとなる。
◆明日は全員で東南隅部をやっつけて、次に造り出し北半部の土器・土製品の精査に入って
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。