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人を幸せにする人になろう

久津川車塚9月19日(土曜日)現地説明会

◆自分、原田、道上、山口・佐藤、園原・大澤・土谷・吉村・土井・木下・安藤
◆早出にして8:30に現場に赴くが、城陽市教委、そして平安文化財のみなさんも早い。受付、遺物展示、掲示物、現地の遺構表示、文字説明板を立てる。そして10時スタート。午前中は300人くらい。昼休み前後は途切れるが、午後も250名ほど、合計、資料数で547ということです。
◆現地では持ち場を5箇所に分けて、学生等が説明をする。交替して立命の2回生2人も含めて、説明に立った。新聞は京都版までにとどまったが、多くのみなさんに集まっていただいて、ありがたいことである。関係者および調査にあたってきた院生・学生等の奮闘に感謝いたします。日曜日、ゆっくり休んで、来週また頑張ってくれ。
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久津川車塚9月18日(金曜日)

◆自分、原田、道上、山口・佐藤、園原・大澤・土谷・吉村・土井・木下・安藤、城陽市担当者
◆現地説明会にむけて全面シートをめくり、造り出しの全容があらわとなる。学生らは南辺を中心 に、東南隅から昨年度の東片までに貼り付き、埴輪列外側の上面の仕上げ、埴輪列内側からの上面出しに従事。南辺の一部では、混礫赤色土の地山の上に黄色の砂質土を入れて上面としているよう。仕上げ土を載せている状況。今年度最初にやった東南区でも、こうした黄色砂質土が確認できるところもあった。【写真】これは翌日の現地説明会のスタート時点のものですが、縦方向が南辺。こういう仕上がりです。内側の埴輪・礫だまりは、これからです。
◆ただし、東南隅部および南辺中央部の内側、形象埴輪の溜まっている部分は、埴輪がぽきんと折 れて倒れているようなものもあり、形象埴輪の大きな破片を含めて、位置の記録を取る必要があり、その範囲を絞り込んだ形にとどめ、現説後に取り上げを進めることにする。
◆埋葬施設については、東北隅部および南辺を確認する。前年度の所見と齟齬があった部分も解消する。まわりの掘り上げで手いっぱいで、詰め切れていなかったが、ほぼこれで解決。あとは中軸部の木棺陥没部に入り込んだ洪水層を南半部について掘り込んで、その状況をあらわにして終わり。これは最後の最後でよい。
◆自分は西辺の仕上げを中央部から南に向かってやっていた。埴輪がないところの抜き坑の掘り上 げ、埴輪があるところについては図面を取れるように。全体風景を撮っていないので、自分の作業記録から。
◆周囲では作業員さんが、現地説明会にむけて、ロープ張り、排土や礫の片づけなど通路の安全確保および整頓などが進む。少し延長して、最後は調査区内のざっとした清掃など、目立つところからきれいにしていく。これはまた明日、10時スタート前にもうすこし。
【見学者】O大M氏、K大T氏、K市T氏

2015年9月20日快晴

◆秋の行楽シーズン。出かけるには最高のお天気ですね。現地説明会が無事終了し、本日は、このところ大学に戻ることなく溜まっている仕事を片づけたいと思います。

2015年9月17日(木曜日)

◆天気予報はよくないので、南辺のあたりのみシートを開け、テントを立てて作業をする。が、11 時半前だったか、かなりの降雨となる。予報では、一旦、雨雲は途切れるが、午後も夕方16時頃まで降る予報となる。雨量はたいしたことないとの前日情報で、なんとか1日やれるのでは、と思っていたが、無理と判断した。弁当を宿舎で食べ、現説用のボードに貼るA1印刷物3枚程度を打ち出しに大学に戻る(この日の夜にやる予定だったもの)。
◆なんとなく気力が弱まっていることを感じる。やはり天気も影響します。秋晴れの月・火はやはり現場をやっていても気持ちがよかった。昨日は昨日で、みんなが南辺に集中している姿を見て、こういう発掘ができることを喜んでいたが、今日はなんとなく朝からどよ~んとしていた。まあ、雨はしゃーないし、そこは切り替え、頑張ってくれている学生等と今週を乗り切り、来週、掘るという意味で残っている課題箇所を詰めつつ、基本的に図面にもっていくよう、こっちは段取りをつけていくのが仕事である。
【写真】これは18日朝の写真ですが、およそ16日はこんな状況でした。

久津川車塚9月16日(水曜日)

◆自分、道上、原田、佐藤(・山口?)、園原・大澤・土谷・吉村・木下・安藤 城陽市担当者
◆小雨模様ながら、2つのテントで南辺をカバーし、全員で埴輪の精査、上面の検出に従事する。昨年度、横たわった埴輪片を含む礫が残っている面で止めていたもので、埴輪を上げて礫面を整えてと考えていたが、埴輪列の柵で溜まりになっている様相。黄色が続き、止めていた礫面はほぼはずさないといけないようで、上面までかなり土を上げなければならない。
◆南辺を2分割する位置の大型埴輪のなかに蓋の立ち飾りの軸が落ち込んでいた。埴輪の内部および周囲はかなりすっきりし、埴輪の姿かたちがかなりくっきりとなるも、その両側に残された上面までなお高い部分を下げるには、まだまだ手間と時間がかかる。家形埴輪の破片がまとまって見られる範囲も絞られてきた。立っているものはなさそうだが、元の位置を一定反映した出方をしている。南深掘り部でも出土した、立派な端面を面取りし、軸部に円形孔をもつ鰹木が出土。
◆なんとか1日作業ができた。この日泊。現地説明会の資料完成。学生等による説明ポジションにつ いても相談する。原田・道上両君らが学生らを牽引し、みな献身的にやってくれている。現説に向けて格好を整えないといけないが、そうしたドタバタの緊張感をもちつつも、焦ってやることはない。必要な観察や記録など、やらなければならないものはヤランといかん。9月中に終了するには黄色信号となってきているが、残りの作業は数多くあることは確かだが、手順を考え、ひとつひとつ仕上げていくほかはない。
◆こっちは、メイン箇所の埴輪列の作業は任せ、縁部で片づけておかないといけない作業をやっていたが、埴輪列にむかっていると、長い時間膝を折っているのもしんどい。
【写真】この日の晩ご飯の様子。

久津川車塚9月15日(火曜日)

◆自分、長友、道上、原田、佐藤(・山口?)、園原・大澤・土谷・吉村・木下・安藤、最明 大阪の歴史演習 履修者の泉谷・三澤・宮井・湯川 城陽市担当者
◆あさいち、記者発表のためにシートをすべてまくり、汚いところの清掃。10時に報道関係者集まり、上面西北区の残り作業に従事する者はやり、一方で、隅部および長辺3分割の位置、短辺2分割の位置に大型円筒をまわることも確認され、昨年度埴輪と礫の検出面で止めていたところの精査にも入っていく。拡張区のフレームや、土器小片の取り上げ、完形品の土器出土地点などの略測も行う。この間、大阪大学のみなさんの見学。須恵器はTK73のハソウ、土師器小壺もプロポーションから、そのあたりでいいとご教示をいただきました。
◆午後、西辺の埴輪も一部やりつつ、南辺部に集中する。墓坑部分についてフレッシュな面を出していく作業も、この日からだったか。
◆明日、葺石の写真だけでも、とも相談していたが、無理。スケジュール的に、現説後、まず図面をやっつけ、そのあと写真にならざるをえない。なにやら、にわかにあわただしくなってくる。いや~いや~いや~・・・。

久津川車塚9月14日(月曜日)

◆秋晴れ 自分、道上、原田、山口・佐藤、園原・大澤・吉村・木下・安藤、京都府大の 助っ人、鳥越・吉岡 城陽市担当者
◆上面西北区の課題箇所のつぶし。肩部出し、埴輪の仕上げ、埴輪列西北隅部、前年度調査区までの間の上面出し、などなど。いちいち覚えていないが・・・。南北撹乱溝を越えたところの貴重な樹立埴輪を精査、径の大きいのがまわってきて、これはしっかりしている。が隣が大きな埴輪片がごろごろしていて、基部があるのやないのやら?。
◆そうそう、埴輪列東北隅部の拡張を金曜日やったが、ここまでくるとさらに抜くべしと午前中に作業員さんとやったのだが、さんざん荒らされ、埴輪底部片がいっぱいババ土中にあり、下へ掘り進んでも、結局は掘り抜かれていて、樹立埴輪はありませんでした。金曜日の隅部想定位置で出てきた埴輪片も、東辺は頼りない埴輪で取り上がる。北辺はなお立っており、土からするとかろうじて生きている可能性があるとみたが、結論は先送り。
◆なお西北隅部では深い位置でほんとの底部が生き残ってくれていた。なお上層は自分が掘っていたが、朝顔形埴輪の破片が顕著だった。袋に入れ結んでいるもの、ですよ。
◆また最後の方で、南北撹乱溝を越えた東側だが、ある程度やっていたが中途 半端だったものを、上面出しの仕上げにかかる。拡張区に近い位置で、バナナが出現した。土器もパラパラと。もうちょっと食物形土製品が出て欲しいところ。
◆とにかく今日は、天気が良くさわやかなのはいいのだが、照りもきつく、第3Qなどは暑かった。おまけにスーパーからサクレが一掃されており・・・。とにかくひたすら削る削る、削り続けた1日であった。腕が・・・。
◆京都府立大学さまご一行が見学。発掘しませんかと投げると、元気のいい2人が残って作業に入ってくれた。明日は記者発表。

9月13日(日曜日)柏原おいな~れガイドの会講演会

◆4年前にできたのだとか。6回シリーズの講座と直後の現地見学を繰り返す企画。玉手山古 墳群についてしゃべる、第1回目の担当であった。83名の聴講でした。
◆大学でいろいろやろうと思えばやるべきことはあるが、柏原市役所横の施設で、大学に行って戻ってくるのもばからしく、午前、家でパワポの直しなど。15時の終了後、大学でやることをやるか、靫講演の安保法制反対集会に行こうかと思っていたが、もうしんどいし、家に戻り、なにもしませんでした。阪神は負けるし・・・。

9月12日

◆明日の柏原おいな~れガイドの会での講座の準備。パワポはできた(1513)。資料は、文字はあきらめており、適切な図を散りばめたものになる予定。それもだいたい配列してきた。もうひとがんばりして、印刷までして、現地説明会資料の学生等の作成してくれたもののブラッシュアップをやってしまいたいもの。
◆資料完成(1637)、印刷ホットキス留め(1723)。メシでも食うか。

9月11日、今日は・・・

◆教室会議に出て、そこで教授会は休みますと断りを入れておくことはできたのだが、今日はそのあとにも会議があり、教室会議後に現場に戻ることをやめた。
◆で、問題文になるような題材を選んできたものを協議する、というもの。わたしは、まず文科省に抵抗して、人文学はこう重要だみたいなことが書いてあるのを探そうと思っていたわけだが、図書館にこもればよいが余裕もなく、まあ身近なものから選ぼうとする。で最終的には高橋和己を選んだわけです。学園紛争のゴタゴタから60年安保を回顧し、その間の変化を書いたもの。民主主義の問題、ベトナム戦争の問題、それに荷担し、また経済的利益を上げ、樺美智子、佐藤首相訪米反対の中で死んだ誰それ、そしてもう一人、いかに死因が隠蔽されたか、またそうした死が、人々のなかで怒りであったものが、隠蔽が効を奏したというべきか、特異なものとして遠くなっていくことなどを書いている。
◆むろん、現在を意識しているわけです。題材をいまの安保法案問題にするわけにはいかない。が、まるで同じなわけです。アメリカに指示されたことをやり通さざるをえない政府、あるいは与党が、どんなに国民が反対しようが、通していくこと。反対運動を圧殺する姿勢、よく似ているわけだ。むろん同じではなく、学生運動も落ち着き、イマドキの学生はだいぶ昔とは変わっているのであろう。が、彼らがいま、先頭に立って安保法案に反対の声を上げているのだ。1960年という時代とはだいぶ異なっているいま、そうした様々な運動も多くは実を結ぶことのない経験が積み上がり、徒労感、何をやっても変わらんという意識の蔓延する現在において、55年経ったいま、若者が声を上げているということの画期性、そこが違う。橋下はたいした数やないと言ったという。が、一度、そこに身を置いてはどうか。どういう人たちがどのように言っているのか、出かけて、見て聞いたらよい。政治屋のヤジと一緒にするな。政治屋の駆け引きとかポーズや、そんなものではない普通の人々の声であるということがわかるだろう。参加人数が増えているように、潜在的な広がりはもっとあるわけだ。なにせ世論調査では半分を超えているんだから。
◆菅官房長官は最高裁がいちばんだと、で、あまりちゃんと調べてないが、ラジオで国会での発言を振り返っていたが、たしか「その枠組みで進めている」みたいな発言をしていた。安保法案について最高裁は合憲との判断なんかしてません。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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