人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
城陽・芝が原古墳の整備がはじまる
◆2011年02月08日、城陽市の委員会に行く。樋口先生や杉原さん・菱田さんと年1回は会う会議である。いよいよ今年度から整備に着手、まずは造成工事だそうだ。昨年の会議にはでれなかったので、久しぶりだ。
◆古墳そのものは切られているところもあり、住宅地に囲まれるが、北側にはかつての丘陵地形が少し残っており、史跡地以外も城陽市が土地を取得し、北側からなら、丘陵にアクセスし、山を上がり、頂部に古墳があるという状況を作り出せる。古墳隣接地の家屋の1軒が空き家であったが、それも追加指定・買収の予定であるという。新たに遊水池の問題が浮上したが、法令上、いたしかたなし。
◆ともかくも裁判ザタに至った懸案だが、こうして史跡整備の着手にこぎつけた。2011・2012年でほぼできあがる予定(事業は2013年度まで)。城陽市の尽力に敬意を表したい。森山遺跡や正道官衙遺跡などもある。そして、芝が原の先には、いよいよ久津川古墳群が待っている。これからも頑張って欲しい。
◆古墳そのものは切られているところもあり、住宅地に囲まれるが、北側にはかつての丘陵地形が少し残っており、史跡地以外も城陽市が土地を取得し、北側からなら、丘陵にアクセスし、山を上がり、頂部に古墳があるという状況を作り出せる。古墳隣接地の家屋の1軒が空き家であったが、それも追加指定・買収の予定であるという。新たに遊水池の問題が浮上したが、法令上、いたしかたなし。
◆ともかくも裁判ザタに至った懸案だが、こうして史跡整備の着手にこぎつけた。2011・2012年でほぼできあがる予定(事業は2013年度まで)。城陽市の尽力に敬意を表したい。森山遺跡や正道官衙遺跡などもある。そして、芝が原の先には、いよいよ久津川古墳群が待っている。これからも頑張って欲しい。
カミサン、wowowの番組に
◆1月24日、wowowの、ノンフィクションWという番組に、カミサンがでたそうな。そういえば収録があると言っていた。「冨野由悠季 宇宙エレベーターが紡ぐ夢」というもの。
◆冨野さんって、ガンダムの作者らしいですね。オレはガンダム世代でないので、はじめて聞いたが。で、ガンダムの話から入り、地球の人口増に対して宇宙ステーションをガンダムでは描いたが、そういう膨大な器材や土やら人やらをどうやって宇宙空間に運んだか、という部分は不問にしていたと。で、そのところをいまやっていて、新しいものを構想しているようだが、で、宇宙エレベーターの研究にかかわる研究者などを訪ねてヒントをえようとしている、というそういうコンセプトの番組。
◆で、冨野さんが尋ねていく研究者の1人として、うちのカミサンが登場する。宇治の京大工学部を尋ね、なにやら取材している。自分のカミサンが何をやっているか、実はよくは知らないわけだが、それがわかった。説明しようとすると難しいが(見るのが一番だが・・・)、自然のもの、プランクトンや植物や、トンボや、そういうものの成長とか羽の展開とかを研究し、それは宇宙空間で構造体を作りあげるときに参考になるんだそうな。宇宙エレベーターとのからみでいえば、植物が、回転しながら上へ上へのびていくメカニズムの解明が、地上と宇宙ステーションの間をつなぐ構造体をどのように構築するかという場合のヒントになるらしい。へ~え。
◆wowowの放映後、そのDVDが送られてきたので、家でみんなで見たわけだ。面白かった。
◆冨野さんって、ガンダムの作者らしいですね。オレはガンダム世代でないので、はじめて聞いたが。で、ガンダムの話から入り、地球の人口増に対して宇宙ステーションをガンダムでは描いたが、そういう膨大な器材や土やら人やらをどうやって宇宙空間に運んだか、という部分は不問にしていたと。で、そのところをいまやっていて、新しいものを構想しているようだが、で、宇宙エレベーターの研究にかかわる研究者などを訪ねてヒントをえようとしている、というそういうコンセプトの番組。
◆で、冨野さんが尋ねていく研究者の1人として、うちのカミサンが登場する。宇治の京大工学部を尋ね、なにやら取材している。自分のカミサンが何をやっているか、実はよくは知らないわけだが、それがわかった。説明しようとすると難しいが(見るのが一番だが・・・)、自然のもの、プランクトンや植物や、トンボや、そういうものの成長とか羽の展開とかを研究し、それは宇宙空間で構造体を作りあげるときに参考になるんだそうな。宇宙エレベーターとのからみでいえば、植物が、回転しながら上へ上へのびていくメカニズムの解明が、地上と宇宙ステーションの間をつなぐ構造体をどのように構築するかという場合のヒントになるらしい。へ~え。
◆wowowの放映後、そのDVDが送られてきたので、家でみんなで見たわけだ。面白かった。
2011年01月29日 息子の卒業式に
◆去る1月29日は卒業式だった。昼過ぎに終わって、大学で仕事をしていると家から電話が入り、友達が8人家に
やってきている、面白いから帰ってきたら、と。で19時頃だったか、大学を出て家に戻る。
◆玄関には学校の靴が山盛り、で、8人の初々しくもむさくるしい高校生がテーブルを占拠している。卒業式後、河内国分のボーリング場で遊び、うちになだれ込んできたらしい。だいたい奈良の子が多い。なかには、御所の建設会社のボンボンもいる。みな理系で、医者をめざすもの、建築学科に行くもの、情報工学とか、それぞれ受験する学科の話をしてくれた。このなかには、うちの子の学校のナンバーワンのヤツがいて、センター900点満点で850点とったんだとか、それはずごい!。東大理1だそうだ。でなにがしたいか、ゲームが作りたいんだって。それってどうよ。
◆23時頃、4人は帰り、残って泊まっていくヤツらとアジアカップの決勝を見た。
◆玄関には学校の靴が山盛り、で、8人の初々しくもむさくるしい高校生がテーブルを占拠している。卒業式後、河内国分のボーリング場で遊び、うちになだれ込んできたらしい。だいたい奈良の子が多い。なかには、御所の建設会社のボンボンもいる。みな理系で、医者をめざすもの、建築学科に行くもの、情報工学とか、それぞれ受験する学科の話をしてくれた。このなかには、うちの子の学校のナンバーワンのヤツがいて、センター900点満点で850点とったんだとか、それはずごい!。東大理1だそうだ。でなにがしたいか、ゲームが作りたいんだって。それってどうよ。
◆23時頃、4人は帰り、残って泊まっていくヤツらとアジアカップの決勝を見た。
近つに行く―大阪府発掘速報展―
◆職場に行って仕事をしたいという気持ちもあったが、前から言われていたこともあり、カミさんと歩きに行くこと
に
なる。どこいこか、近つに行こうと。で歩き始める。駒ヶ谷から壺井に抜け、太井川をさかのぼる。ポカポカ陽気である。もう春?
◆近つに行く。そうか、速報展をやっているのだ。たまたまカミさんが近つに行こうと言ったわけだが、これはナイス。朝日新聞にも展示の記事があった。大阪府の速報展、これからも続けていくという白石館長の話が紹介されていた。これで大阪府も、奈良県や京都府のように最新の調査成果の展示会が定例化するのは、たいへんけっこうなことだ。実際、展示を見て、埴輪に偏っていたが(近つだから?)、けっこう見応えがあった。これだけの発掘をやっているんだ。府やセンターのみならず、府下市町村の調査もあわせたら、十分な企画展になる。そこは、さすがに大阪ですよ。で、立派な図録も出ていた。ひとつだけ言うと、『大和を掘る』の図録だったか、展示だったか、発掘担当者の名前が挙がっていて、これはいいことだと思った記憶がある。むろん行政発掘で仕事でやっているから組織の成果ではあるが、実際に掘っている人の名前が挙がっていて、これはイイと思ったわけだ。
◆で、この日は担当者の調査の説明会の1回目だった。こういうのがあと2回、ぜんぶで3回。前にプログラムは見ていて、それぞれ聞きたいものがあった。この日はぜんぜん意識しておらず、近つに行ったこともタマタマだったのだが、ちょうど始まる13時直前だったので、地下ホールの会場へ。
◆今日は5本の発表が組まれていた。各30分で、掘った人の説明を聞けるのはありがたい。とくに、市川君の上町台地の須恵器窯は、前に大歴考古部会の例会でもやっていて、行きたかったが行けなかったので、よかった。むろん蔀屋北もよかった。そのままいたいのはヤマヤマだが、展示が見れないので、休憩時に抜けて展示を見て、そのまま帰る。
◆どうやって帰ったと思いますか。夕方、子供らとアバウトながら約束があったので、歩いて帰ると時間がかかる。風土記の丘を抜けてバスに乗り喜志駅へ、それから古市駅、南大阪線で二上山駅、大阪線の二上まで歩き、河内国分に戻る。へんなの・・・
◆近つに行く。そうか、速報展をやっているのだ。たまたまカミさんが近つに行こうと言ったわけだが、これはナイス。朝日新聞にも展示の記事があった。大阪府の速報展、これからも続けていくという白石館長の話が紹介されていた。これで大阪府も、奈良県や京都府のように最新の調査成果の展示会が定例化するのは、たいへんけっこうなことだ。実際、展示を見て、埴輪に偏っていたが(近つだから?)、けっこう見応えがあった。これだけの発掘をやっているんだ。府やセンターのみならず、府下市町村の調査もあわせたら、十分な企画展になる。そこは、さすがに大阪ですよ。で、立派な図録も出ていた。ひとつだけ言うと、『大和を掘る』の図録だったか、展示だったか、発掘担当者の名前が挙がっていて、これはいいことだと思った記憶がある。むろん行政発掘で仕事でやっているから組織の成果ではあるが、実際に掘っている人の名前が挙がっていて、これはイイと思ったわけだ。
◆で、この日は担当者の調査の説明会の1回目だった。こういうのがあと2回、ぜんぶで3回。前にプログラムは見ていて、それぞれ聞きたいものがあった。この日はぜんぜん意識しておらず、近つに行ったこともタマタマだったのだが、ちょうど始まる13時直前だったので、地下ホールの会場へ。
◆今日は5本の発表が組まれていた。各30分で、掘った人の説明を聞けるのはありがたい。とくに、市川君の上町台地の須恵器窯は、前に大歴考古部会の例会でもやっていて、行きたかったが行けなかったので、よかった。むろん蔀屋北もよかった。そのままいたいのはヤマヤマだが、展示が見れないので、休憩時に抜けて展示を見て、そのまま帰る。
◆どうやって帰ったと思いますか。夕方、子供らとアバウトながら約束があったので、歩いて帰ると時間がかかる。風土記の丘を抜けてバスに乗り喜志駅へ、それから古市駅、南大阪線で二上山駅、大阪線の二上まで歩き、河内国分に戻る。へんなの・・・
やや暖かくなり
◆1週間前は寒波、火曜日からは暖かく。いま土曜日、朝から仕事。卒論・修論を読む仕事は進んでいない。モロモロのことどもを片付けている。それでも1番の大仕事がまだ・・・。研究費の消化、つまりは調査の計画だ。発掘は年末に断念したので、測量と埴輪整理合宿である。博論は・・・。アハハ・・・、またおこられる。
◆沖縄では桜が満開だとか。これヒカンサクラといい、ぼたっと落ちて花びらが散るのではないそうな。ソメイヨシノは暖かくなってきて開花するのに、これは寒くなると咲くそうで、山の上から里におりてくるんだとか。
◆「知っとこ」の世界の朝ごはん、今日はバヌアツで、タロイモの石蒸し料理だった。で、結婚した2人だが、自給自足だそうで、べつに職業につくわけではない。家を造り、まわりに畑をもち、必要な食べ物を育てる。肉はどうするのか、鶏は飼っているのかな、必要なものもイモなんかと交換するのかな。豊かですよね。
◆沖縄では桜が満開だとか。これヒカンサクラといい、ぼたっと落ちて花びらが散るのではないそうな。ソメイヨシノは暖かくなってきて開花するのに、これは寒くなると咲くそうで、山の上から里におりてくるんだとか。
◆「知っとこ」の世界の朝ごはん、今日はバヌアツで、タロイモの石蒸し料理だった。で、結婚した2人だが、自給自足だそうで、べつに職業につくわけではない。家を造り、まわりに畑をもち、必要な食べ物を育てる。肉はどうするのか、鶏は飼っているのかな、必要なものもイモなんかと交換するのかな。豊かですよね。
MT85
◆MT85も、決着つけてほしい。オレは設定した方がわかりやすいと思うので、TK10とTK43の間の型式として置くべきだと思う。
◆TK10、蓋杯の径が最大になる。これたぶん530年代・540年代頃なんでしょう。イメージは、継体没後、継体を支えて復活してきた首長たちが死んでいった時代。安閑・宣化は排除され、欽明となるが、世の中には継体を支えたヤツラはいっぱい残っていて、前方後円墳を造っている。そこへ1人また1人、死んでは埋葬されていく時期のイメージ。6世紀中頃にはようやく欽明色が現れ、550年代・560年代の欽明後半期は新しいステージになると。須恵器に戻ろう。TK209はもう既に蓋杯の径はかなり小さくなっている。TK43はその中間のイメージということになるが、実態はその間の変化は大きく、高蔵43号窯資料は後半期なんだろう。なので、田辺昭三はその前にMT85を置こうとしたのだと。これまったくよく理解できると思うのだ。
◆おそらくそうでないと、TK43型式は550年から590年くらいの40年近くにもなり、MT15やTK10の年代幅に対して不均衡に長くなる。実際の須恵器の口径の変化、縮小の程度は大きく、それを2分しておくことは、実態把握に必要ではないだろうか。
◆まったく素人ながらそう思う。で、須恵器屋は、どんな議論をしているのか知らんが(佐藤さんは認めない)、決着付けてくれ。さらにいうと、6世紀後半から7世紀前半の須恵器を理念的に並べてくれ!とくに7世紀にはいると、金属器指向の容器を導入し、様式転換を図り、その間、杯Hと併存しながら新器種が出てくるわけでしょ。生産地と消費地とか、都と田舎とか、どうでもいい、飛鳥なら飛鳥、畿内中心部で、旧器種がこう変化していき、新器種はこう登場してきて、ここで交替する、というわかりやすい図面を1枚だけ作ってくれるだけでいい。飛鳥Ⅰが長いなら2分してくれ。細かな議論よりも理念的でいい、所詮、資料の把握はそんなもの、須恵器をちゃんとならべてくれ。頼む。古代の土器研究会は、合宿をして、この1枚を作成すべし。
◆TK10、蓋杯の径が最大になる。これたぶん530年代・540年代頃なんでしょう。イメージは、継体没後、継体を支えて復活してきた首長たちが死んでいった時代。安閑・宣化は排除され、欽明となるが、世の中には継体を支えたヤツラはいっぱい残っていて、前方後円墳を造っている。そこへ1人また1人、死んでは埋葬されていく時期のイメージ。6世紀中頃にはようやく欽明色が現れ、550年代・560年代の欽明後半期は新しいステージになると。須恵器に戻ろう。TK209はもう既に蓋杯の径はかなり小さくなっている。TK43はその中間のイメージということになるが、実態はその間の変化は大きく、高蔵43号窯資料は後半期なんだろう。なので、田辺昭三はその前にMT85を置こうとしたのだと。これまったくよく理解できると思うのだ。
◆おそらくそうでないと、TK43型式は550年から590年くらいの40年近くにもなり、MT15やTK10の年代幅に対して不均衡に長くなる。実際の須恵器の口径の変化、縮小の程度は大きく、それを2分しておくことは、実態把握に必要ではないだろうか。
◆まったく素人ながらそう思う。で、須恵器屋は、どんな議論をしているのか知らんが(佐藤さんは認めない)、決着付けてくれ。さらにいうと、6世紀後半から7世紀前半の須恵器を理念的に並べてくれ!とくに7世紀にはいると、金属器指向の容器を導入し、様式転換を図り、その間、杯Hと併存しながら新器種が出てくるわけでしょ。生産地と消費地とか、都と田舎とか、どうでもいい、飛鳥なら飛鳥、畿内中心部で、旧器種がこう変化していき、新器種はこう登場してきて、ここで交替する、というわかりやすい図面を1枚だけ作ってくれるだけでいい。飛鳥Ⅰが長いなら2分してくれ。細かな議論よりも理念的でいい、所詮、資料の把握はそんなもの、須恵器をちゃんとならべてくれ。頼む。古代の土器研究会は、合宿をして、この1枚を作成すべし。
わかりやすい議論を
◆亡くなった佐原さんの提唱する「考古学をやさしくしよう」。これって一般向けの話にとどまらない。学術雑誌の世界でも、議論が明解でなけらばならない。白石さんは考えを全部出してくれるので「こう考えてはるんだ」ということがわかる。新納さんはややわからないところがある。石室と須恵器と大刀との組み合わせの図を作っていただければ、素人には理解しやすいのだが・・・。
◆モンテリウスはなんて言ったんだっけ、10例だったっけ。組み合わせの確かさを複数例で検証することを、すべてについてチェックしていたら、たぶん作れないんでしょう。だが、それぞれに想定している組列があり、一括資料の確認がなくとも、3つの帯が配列されるわけだ。で、いくつかの組み合わせ関係が証拠としてある。で、だいたい横並びのおおよそはできあがることはできますよね。オレなんかは、人の議論のつぎはぎであれ、間違ってもいいからそういうのを図示したいと志向する。間違っていたら修正すればいいと。
◆人はそれぞれ。けれども、それにしても、考古学をやさしくする、わかりやすい議論にすることは必要だろう。そのためには、議論は細かなことであってむろんいいのだが、こういうことを議論していて、こうだからこうでしょ、という筋道を明解にしなければなりませんね。
◆モンテリウスはなんて言ったんだっけ、10例だったっけ。組み合わせの確かさを複数例で検証することを、すべてについてチェックしていたら、たぶん作れないんでしょう。だが、それぞれに想定している組列があり、一括資料の確認がなくとも、3つの帯が配列されるわけだ。で、いくつかの組み合わせ関係が証拠としてある。で、だいたい横並びのおおよそはできあがることはできますよね。オレなんかは、人の議論のつぎはぎであれ、間違ってもいいからそういうのを図示したいと志向する。間違っていたら修正すればいいと。
◆人はそれぞれ。けれども、それにしても、考古学をやさしくする、わかりやすい議論にすることは必要だろう。そのためには、議論は細かなことであってむろんいいのだが、こういうことを議論していて、こうだからこうでしょ、という筋道を明解にしなければなりませんね。
この2日
◆この2日、やらなあかんことをすべて投げ打って、考古学研究の原稿を書き直し、ようやっと12頁に絞り込めた。終わった・・・。で、この2日のロスは、あとあとひびくかもしれないが、ひとくぎりだ。
◆書き直しは勉強になった。これで横穴式石室の研究は正しく軌道修正される?と考えているわけだが、前にも言ったように、実はみんなが思っていることの代弁かもね。
◆既に福島県の福島さんの反論が出ている。大刀の年代観がまったく違うわけだ。こっちは新納さんの議論しか知らないので(6世紀はいっぱい種類があって7世紀には方筒に統一される)、(1)どう違うか、(2)なぜそうなるのか、あれを読んでももうひとつわからん。東日本での実際の出土状況がベースにある、というのはわかる。なんでそうなるのか、が大事なんだろうけれど、どう違ってるのかがまずイメージできない。結論のズレを図示するのがいちばんかも。
◆さてと、勉強になったのは、要するに、丸山の位置づけの違いはひとつの理由だが、根っこは大刀による新納さんの須恵器の年代観なのだということ。最新の論文だけでは、これはわからんかったが。結局、新納さんの基本はそこ。だが、これはなかなか難しい議論だと思う。
◆大刀の10段階区分、単龍そして双龍・頭椎などが加わる、それらの平行関係は装具でわかるという。だが、それは製作年代である。10年刻みという。で、それが横穴式石室から出てくる場合、上限ですよね。伝世を持ち出さずとも、30歳で大刀を入手し、60歳で死んで墓に入ることは普通のこと、つまり死ぬとき、最新の大刀は3型式くらいずれてる(むろん2本目・3本目をもらってもいい。そういうもんなんですかね、1本なんですかね、そういう研究って重要でしょうね。)。なので、石室の年代は、まず須恵器で考え、その須恵器の年代は須恵器側で考えられている年代で考えるべきなんだと思う(新納さんのいうようにその根拠も薄弱なんだろう)。
◆だけど、湯舟坂の大刀があると、そこからはTK43とTK209が出ていて、その10期区分の第6期にあたり製作年代が570年くらいだから(PHALANXでは580年、それを箕谷論文で上げる)、TK43とTK209の境はアバウト570年だと。これ、どうなんでしょうか。
◆新納批判はどうしてもしにくいので、こんなところで書いているが、あんまりコソコソ
やるのは好きでないので、こんどぶつけますよ。もうひとつ、繰り返しになるが、絶対、丸山と石舞台は全然違う、これは間違いない!。石舞台に行けばわかる。
◆もうひとつ斬ると、白石先生も、もう岩屋山の年代については白旗を揚げなければならないだろう。
◆ほんとは、吉備の石室など介在させないで、畿内の石室とか須恵器とか大刀とか、新納VS白石で本人同士がガチンコ勝負して決着をつけてくれりゃいいのである。近年における反論・再反論・再々反論が展開するめずらしい事例であろうが、なかなか書いたものだけでは平行線かな~。どっちかが納得するまでホテルに缶詰にして言い合いをするとか・・・。
◆書き直しは勉強になった。これで横穴式石室の研究は正しく軌道修正される?と考えているわけだが、前にも言ったように、実はみんなが思っていることの代弁かもね。
◆既に福島県の福島さんの反論が出ている。大刀の年代観がまったく違うわけだ。こっちは新納さんの議論しか知らないので(6世紀はいっぱい種類があって7世紀には方筒に統一される)、(1)どう違うか、(2)なぜそうなるのか、あれを読んでももうひとつわからん。東日本での実際の出土状況がベースにある、というのはわかる。なんでそうなるのか、が大事なんだろうけれど、どう違ってるのかがまずイメージできない。結論のズレを図示するのがいちばんかも。
◆さてと、勉強になったのは、要するに、丸山の位置づけの違いはひとつの理由だが、根っこは大刀による新納さんの須恵器の年代観なのだということ。最新の論文だけでは、これはわからんかったが。結局、新納さんの基本はそこ。だが、これはなかなか難しい議論だと思う。
◆大刀の10段階区分、単龍そして双龍・頭椎などが加わる、それらの平行関係は装具でわかるという。だが、それは製作年代である。10年刻みという。で、それが横穴式石室から出てくる場合、上限ですよね。伝世を持ち出さずとも、30歳で大刀を入手し、60歳で死んで墓に入ることは普通のこと、つまり死ぬとき、最新の大刀は3型式くらいずれてる(むろん2本目・3本目をもらってもいい。そういうもんなんですかね、1本なんですかね、そういう研究って重要でしょうね。)。なので、石室の年代は、まず須恵器で考え、その須恵器の年代は須恵器側で考えられている年代で考えるべきなんだと思う(新納さんのいうようにその根拠も薄弱なんだろう)。
◆だけど、湯舟坂の大刀があると、そこからはTK43とTK209が出ていて、その10期区分の第6期にあたり製作年代が570年くらいだから(PHALANXでは580年、それを箕谷論文で上げる)、TK43とTK209の境はアバウト570年だと。これ、どうなんでしょうか。
◆新納批判はどうしてもしにくいので、こんなところで書いているが、あんまりコソコソ
◆もうひとつ斬ると、白石先生も、もう岩屋山の年代については白旗を揚げなければならないだろう。
◆ほんとは、吉備の石室など介在させないで、畿内の石室とか須恵器とか大刀とか、新納VS白石で本人同士がガチンコ勝負して決着をつけてくれりゃいいのである。近年における反論・再反論・再々反論が展開するめずらしい事例であろうが、なかなか書いたものだけでは平行線かな~。どっちかが納得するまでホテルに缶詰にして言い合いをするとか・・・。
2011年2月1日、旧真田山陸軍墓地に行く
◆ここ数日、旧真田山陸軍墓地の原稿を書いていて、ようやく入稿した。そのあと、雄略陵の記事も書いた。いず
れも『ヒストリア』用。で、それに使うために、今日、玉造に行き、陸軍墓地にはじめて足を踏み入れる。中身については、以前、このブログにも、挨拶文を掲載したので省略。
◆そういえば、考古学研究会から査読が帰ってきた。書き直したら載せてくれるらしい。ヒストリア2月号の目処がついたので、これからできれば書き直しにかかりたいが、どうなることやら。査読結果は真摯に受け止めます。いくつか異論はあるが。
◆生前造墓説となると、古墳の築造時期はあいまいになる。が、どうでも解釈できる余地を出すためにやっているのではなく、発想を提案しているつもり(むろん発想のみならずそうだと思っているわけだが)。寿墓の根拠は挙げなかったが、別に書いたものがあるので付け足そう。始皇帝は即位翌年から墳墓の築造に取りかかっている。武寧王陵だって生前に着手している。日本の横穴式石室もそうではないのか。そう考えると、年代がより厳密になってくるこの時期の石室について、すこし考え方を変えないといけない。石室のプロは、その問題はどう考えているのか。
◆学史か・・・。横穴式石室について、いつ造ったのか、そんな議論はあるんだろうか。よく知りません。そりゃもちろんだよね、それを議論する以上、先行研究のチェックは。果たして正面切って、それを問題にしたものがあるんだろうか。
◆蘇我馬子は55年間大臣だった。みなさん死んでから造ると考えているんでしょうか。それらな簡単。そうじゃないとすると、これは大きな問題。半世紀の差が生まれるんだから。で、どの時点かなんて決められっこないから、永遠にあいまい。より難しくなるが、事実はそうなのだから仕方ない。おっとこれは言い過ぎ。だが、寿墓かどうかは、問われなければならないのではないですか。逆に言えば、死んでから造った、なんて証明されているのか。生前造墓と同等にわかっていないと思う。
◆横穴式石室の型式学的研究は一定のところまでできあがっている、それをイジルわけではない。ただ、問題の丸山の石室について、ぜんぜん意見がかみあわないわけだ。オレは丸山=石舞台なんて言ってないんですけどね。少なくとも天王山だ、白石先生のように平林式まで上げることについては、もうすこし詰める必要がある。きっとあがるとは思うが、そこは石室自体からあみださにゃならんから、さらに検討しなきゃならん。石舞台とは全然違う、というのが言いたい(白石先生の見方とまったく同じ)。このブログでも掲げたあの図は、議論となっている袖石、羨道のこと、玄門幅など、実によく示されていると思う(再投稿用に加工したものを再び挙げておく)。
◆そういえば、考古学研究会から査読が帰ってきた。書き直したら載せてくれるらしい。ヒストリア2月号の目処がついたので、これからできれば書き直しにかかりたいが、どうなることやら。査読結果は真摯に受け止めます。いくつか異論はあるが。
◆生前造墓説となると、古墳の築造時期はあいまいになる。が、どうでも解釈できる余地を出すためにやっているのではなく、発想を提案しているつもり(むろん発想のみならずそうだと思っているわけだが)。寿墓の根拠は挙げなかったが、別に書いたものがあるので付け足そう。始皇帝は即位翌年から墳墓の築造に取りかかっている。武寧王陵だって生前に着手している。日本の横穴式石室もそうではないのか。そう考えると、年代がより厳密になってくるこの時期の石室について、すこし考え方を変えないといけない。石室のプロは、その問題はどう考えているのか。
◆学史か・・・。横穴式石室について、いつ造ったのか、そんな議論はあるんだろうか。よく知りません。そりゃもちろんだよね、それを議論する以上、先行研究のチェックは。果たして正面切って、それを問題にしたものがあるんだろうか。
◆蘇我馬子は55年間大臣だった。みなさん死んでから造ると考えているんでしょうか。それらな簡単。そうじゃないとすると、これは大きな問題。半世紀の差が生まれるんだから。で、どの時点かなんて決められっこないから、永遠にあいまい。より難しくなるが、事実はそうなのだから仕方ない。おっとこれは言い過ぎ。だが、寿墓かどうかは、問われなければならないのではないですか。逆に言えば、死んでから造った、なんて証明されているのか。生前造墓と同等にわかっていないと思う。
◆横穴式石室の型式学的研究は一定のところまでできあがっている、それをイジルわけではない。ただ、問題の丸山の石室について、ぜんぜん意見がかみあわないわけだ。オレは丸山=石舞台なんて言ってないんですけどね。少なくとも天王山だ、白石先生のように平林式まで上げることについては、もうすこし詰める必要がある。きっとあがるとは思うが、そこは石室自体からあみださにゃならんから、さらに検討しなきゃならん。石舞台とは全然違う、というのが言いたい(白石先生の見方とまったく同じ)。このブログでも掲げたあの図は、議論となっている袖石、羨道のこと、玄門幅など、実によく示されていると思う(再投稿用に加工したものを再び挙げておく)。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。