人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
東京一極集中
◆名古屋は横ばいで落ち着いており健全だが、大阪は70年代以後、基本的に少しずつだが下がり続けている。
◆ついでに、いつの新聞かわからんが、例の景況感グラフ。これ、岡村さんが埋文の研修会やらで貼り付けていたことを覚えている。さすが主任文化財調査官だ。おれがこうしたグラフを、面白いなと思ったら新聞を取っておくようになったのも、岡村さんの影響だろう。
万葉の女たち
◆田中裕子のNHKドラマが気になってネットで調べた。田中裕子1955年生まれ、1979年NHKテレビ小説『マー
姉ちゃん』でデビュー。1981年、映画、『ええじゃないか』、『北斎漫画』(これけっこう話題になった)。オレの見たのは、4~5回シリーズのヤツ。どうやら1981年の『万葉の女たち』らしい。これ、帝塚山で考古学を学ぶ(たぶん堅田直のもとで)女子大生の話で、田中裕子、名取裕子、森下愛子、それと・・・、そんなことを覚えているのだ。展示室のカットがあり、土器が並んでいたからなのかも。このドラマについてはネットに引っかからなかったので、調べられなかった。樹氷のCMの起用も1981とのこと(『おしん』は1983年)。高校3年生だった、という計算。
原稿を削る
◆原稿用紙40枚くらいの原稿を書いてメール送信したら、編集者から電話が入り、長いと。おれは30枚だったから、ちょっと長いな~、でも削りにくいからなんとかこれでと思っていたが、電話によると、あんたのその原稿は10枚ですよ、と。ええ~!
◆本日、削りに削って16枚になった。削れるもんだ。編集子には20枚以内にと言われたので合格だろう。なんの原稿か、恥ずかしくて言えませんが・・・
◆本日、削りに削って16枚になった。削れるもんだ。編集子には20枚以内にと言われたので合格だろう。なんの原稿か、恥ずかしくて言えませんが・・・
不毛地帯
◆年末くらいから不毛地帯を見ている。こないだ新聞で、キャストもいいし作りもいいのに視聴率があがらん、と指摘していた。この木曜日も見た。カミさんが見ていて、毎週、録画されている。
◆カミさんは、商社の仕事がどうのこうの、あんな仕事よくやるわ、といったトーン。とはいえ、こっちは小雪目当てで、というより、おっさんの願望として、若い愛人をうらやましがって見ているわけだ。
◆ついでに・・・。はぐれ刑事で、事件が解決すると、真野あずさの飲み屋で藤田まことが一杯やっている。ああいうのにグッとくるわけだ。相棒でも、高木沙耶(字、ちがうかな)が。おれには縁がないが、美人ママのいる飲み屋に通う姿はあこがれる。
◆ついでに・・・。むろん若くて美形はいいのではあるが、同じくらいの年齢の女優も好きだ。あんまり出てこないが、富田靖子は好きだったし、いまでもいい(薬師丸ひろ子は嫌い)。元気さがよい。それと最近もブレンディのCMでよく見る原田知世。昔は別に好きではなかったが、いまはなかなかアジがある、と思うようになった。昔好きだったのは斉藤由紀。別にスケバン刑事を見ていたわけではない。いつどうなって好きになったのだろう。歌がすきだったんだろう。齊藤由紀のテープをずっと聞いていた。いまでもCDが確か2枚ある。むかし、いまは宮城県で教員をやっている当時岡大院生だったI氏の下宿で、意気投合しCDを2人で聞いた記憶がある。いまはもはやアホらしくて聞かないが、その頃としては、よかったわけだ。いま、彼女等もドラマに出るときは母親役だ。
◆ついでに、女優で好きだった人を列挙してみよう。まず田中裕子(誰かさんに似てるな~)。NHKドラマの「平城山の女たち」で、帝塚山の考古学徒で、春日大社の釣り灯篭の写真を撮影しているジーパン姿にグッときた。下宿に、樹氷を買ってもらったポスターを貼っていたな~。それから、その時すでにオバさんだった松原智恵子。わりと原田美枝子も好きだった。いまはそうでもなくなったが黒木瞳(いきなり今になるが、JINの中谷美紀と綾瀬はるかはよかった)。飛鳥の頃の竹内結子。いまは柴咲コウ。もっといたように思うが、思い出せない。むろん、今度の熱いものをすすっている壇れいはやっぱりいい。
◆アホみたいにどうでもいいことを書いているが、ひとつだけ。不毛地帯は最初の頃のシベリア抑留から帰ってくる頃などは見ていないのだが、この木曜日には1970年のシーンに入ったのだが、シベリアから帰って15年とか、そんな数字だったかな。1945年の終戦後、日本に戻るまで10年あるいはそれ以上かかった元兵士もいる、そうしたことがあったということに驚きを禁じ得ない。聞いたことはあったのだろうが、ほとんど自覚することはない。そんな歴史は今ほとんど認識されていないと思う。最近思うのだ。戦争なんて、終戦なんて、オレらの生まれるずっと前のことだと思っていた。しかし考えてみれば1964年生まれだから終戦後19年だ。ものごころつく1970年としても25年。しかし大学に入った1983年から25年足すと2008年、もうそれ以上の期間がたっている。大学に入ってから、例えば入学したときパソコンはなかった、しかし大学院生になって最初に奨学金が3ヶ月分入ったときパソコンを買った。いまパソコンはさらに驚くべき進化をとげた。だけど、1945年から1970年に生じた日本社会の変化ほど激しいものはないということだ。そして自分の生年が、いまの若い奴らに比べると、はるかに戦後間もない頃だったのだ、ということに気付く。そしてシベリア抑留者にしてみれば、帰国してその人にとってようやく終戦となったのは、自分の生まれたちょっと前に過ぎないことに。
◆カミさんは、商社の仕事がどうのこうの、あんな仕事よくやるわ、といったトーン。とはいえ、こっちは小雪目当てで、というより、おっさんの願望として、若い愛人をうらやましがって見ているわけだ。
◆ついでに・・・。はぐれ刑事で、事件が解決すると、真野あずさの飲み屋で藤田まことが一杯やっている。ああいうのにグッとくるわけだ。相棒でも、高木沙耶(字、ちがうかな)が。おれには縁がないが、美人ママのいる飲み屋に通う姿はあこがれる。
◆ついでに・・・。むろん若くて美形はいいのではあるが、同じくらいの年齢の女優も好きだ。あんまり出てこないが、富田靖子は好きだったし、いまでもいい(薬師丸ひろ子は嫌い)。元気さがよい。それと最近もブレンディのCMでよく見る原田知世。昔は別に好きではなかったが、いまはなかなかアジがある、と思うようになった。昔好きだったのは斉藤由紀。別にスケバン刑事を見ていたわけではない。いつどうなって好きになったのだろう。歌がすきだったんだろう。齊藤由紀のテープをずっと聞いていた。いまでもCDが確か2枚ある。むかし、いまは宮城県で教員をやっている当時岡大院生だったI氏の下宿で、意気投合しCDを2人で聞いた記憶がある。いまはもはやアホらしくて聞かないが、その頃としては、よかったわけだ。いま、彼女等もドラマに出るときは母親役だ。
◆ついでに、女優で好きだった人を列挙してみよう。まず田中裕子(誰かさんに似てるな~)。NHKドラマの「平城山の女たち」で、帝塚山の考古学徒で、春日大社の釣り灯篭の写真を撮影しているジーパン姿にグッときた。下宿に、樹氷を買ってもらったポスターを貼っていたな~。それから、その時すでにオバさんだった松原智恵子。わりと原田美枝子も好きだった。いまはそうでもなくなったが黒木瞳(いきなり今になるが、JINの中谷美紀と綾瀬はるかはよかった)。飛鳥の頃の竹内結子。いまは柴咲コウ。もっといたように思うが、思い出せない。むろん、今度の熱いものをすすっている壇れいはやっぱりいい。
◆アホみたいにどうでもいいことを書いているが、ひとつだけ。不毛地帯は最初の頃のシベリア抑留から帰ってくる頃などは見ていないのだが、この木曜日には1970年のシーンに入ったのだが、シベリアから帰って15年とか、そんな数字だったかな。1945年の終戦後、日本に戻るまで10年あるいはそれ以上かかった元兵士もいる、そうしたことがあったということに驚きを禁じ得ない。聞いたことはあったのだろうが、ほとんど自覚することはない。そんな歴史は今ほとんど認識されていないと思う。最近思うのだ。戦争なんて、終戦なんて、オレらの生まれるずっと前のことだと思っていた。しかし考えてみれば1964年生まれだから終戦後19年だ。ものごころつく1970年としても25年。しかし大学に入った1983年から25年足すと2008年、もうそれ以上の期間がたっている。大学に入ってから、例えば入学したときパソコンはなかった、しかし大学院生になって最初に奨学金が3ヶ月分入ったときパソコンを買った。いまパソコンはさらに驚くべき進化をとげた。だけど、1945年から1970年に生じた日本社会の変化ほど激しいものはないということだ。そして自分の生年が、いまの若い奴らに比べると、はるかに戦後間もない頃だったのだ、ということに気付く。そしてシベリア抑留者にしてみれば、帰国してその人にとってようやく終戦となったのは、自分の生まれたちょっと前に過ぎないことに。
大阪歴史学会とのつきあい
◆大阪歴史学会とのつきあいは2004年に始まる。会員でもなんでもなかった。積山さんから電話があり委員をやれと言われ、はいと答えた。説明をうけてはいたが、行ってみると企画委員長で、こりゃたいへんだ。でも、いまはどっぷりはまっているわけだ。しんどいのではあるが、やりがいをもってやっている。
◆月曜に委員会があり、いくつか感慨深いことがあった。ひとつは大会規定の改正案が出て、ほぼわたしの原案に近い線で落ち着いたこと、個人報告の公募を、会誌掲載だけでなく、全国の大学に試みとして書面で送ったところ、10本近く集まったこと、このふたつ。もうひとつ、次年度から年6冊化が決定した。
◆委員をやっての感想は、2年で事務局が変わるため、経験の蓄積がうまく伝わらずリセットを繰り返し、すべてがこれまで通りにやって2年を無事に終えるという姿勢。2点目はそれもあって、いまがいいのかという現状に対する問題意識が低く、改善していこうという姿勢が希薄で、提案しても、いつも継続審議で決まらないことだった。だがしかし、こっちも慣れてきた。次回、事務局でこれについて原案を提示してください、とか、こういう体裁について編集委員会で議論して次回報告してくださいとか、宿題を出すようになった。
◆企画が上手く回っているか、と問われればそうでもない。ちょっとどうにかせんといかん。でもそれはここでは。
◆会員がどれだけ意識しているかわからないが、最近、大阪歴史学会およびヒストリアはかなり変わってきたのだ。ヒストリアは紙もよくなったしオフセット印刷になった。本文中の写真も鮮明。わたしたちの文化財もなんとかつないでいる。別冊は出したし、特集もやった。あんまり投稿されないが、会員の声欄もつくった。現地見学検討会なんて、今城塚の時は20人ぽっち。それが宣伝を工夫して50人100人となってきた。総会の時に、大会参加者や総頁数、大会報告数、部会開催数と参加人数など、過去10年の経年表をつけるようにした。年6冊化もほぼGOとなった。そして、大会を充実させようという方向が、今回、ねらい通り個人報告に多くの手が上がって、ほんとうにウレシイ。部会報告者への旅費支給も。考古を盛り上げていくことは、依然として課題だが。
◆自慢、そうかもしれないが、ちょっと違うような気もする。とにかく、最近の変化は、だいたいオレがやったんです(えっへん)。もう代わってもいいかな、楽になりたいな、とも思うが、まだやることがあるので、いましばらく委員を続けようといまは思っている。
◆この前、だれかが遺跡学会のことを嘆いていた。「誰が作ったんや」とか。うまくいってないのかね~。その時思ったのは、まあ文化庁-奈文研主導で作られたのだろうが、それはそれとして、しかし、近藤義郎と考古学研究のように、私財を投げ売ってでもオレが育てるといった、それは極端にしても、そうした気概のある主導者が、軌道に乗り組織的に自己運動を始めるまでグイグイ引っぱらんとあかんのやろな~、ということだった。奈文研の人間は人間で、誰かがやらなあかんから仕方なしに、ではアカンし、外の委員も、まあ奈文研の研究会やから、と思っていてはダメだろう。実態はまったく知りませんが。
◆月曜に委員会があり、いくつか感慨深いことがあった。ひとつは大会規定の改正案が出て、ほぼわたしの原案に近い線で落ち着いたこと、個人報告の公募を、会誌掲載だけでなく、全国の大学に試みとして書面で送ったところ、10本近く集まったこと、このふたつ。もうひとつ、次年度から年6冊化が決定した。
◆委員をやっての感想は、2年で事務局が変わるため、経験の蓄積がうまく伝わらずリセットを繰り返し、すべてがこれまで通りにやって2年を無事に終えるという姿勢。2点目はそれもあって、いまがいいのかという現状に対する問題意識が低く、改善していこうという姿勢が希薄で、提案しても、いつも継続審議で決まらないことだった。だがしかし、こっちも慣れてきた。次回、事務局でこれについて原案を提示してください、とか、こういう体裁について編集委員会で議論して次回報告してくださいとか、宿題を出すようになった。
◆企画が上手く回っているか、と問われればそうでもない。ちょっとどうにかせんといかん。でもそれはここでは。
◆会員がどれだけ意識しているかわからないが、最近、大阪歴史学会およびヒストリアはかなり変わってきたのだ。ヒストリアは紙もよくなったしオフセット印刷になった。本文中の写真も鮮明。わたしたちの文化財もなんとかつないでいる。別冊は出したし、特集もやった。あんまり投稿されないが、会員の声欄もつくった。現地見学検討会なんて、今城塚の時は20人ぽっち。それが宣伝を工夫して50人100人となってきた。総会の時に、大会参加者や総頁数、大会報告数、部会開催数と参加人数など、過去10年の経年表をつけるようにした。年6冊化もほぼGOとなった。そして、大会を充実させようという方向が、今回、ねらい通り個人報告に多くの手が上がって、ほんとうにウレシイ。部会報告者への旅費支給も。考古を盛り上げていくことは、依然として課題だが。
◆自慢、そうかもしれないが、ちょっと違うような気もする。とにかく、最近の変化は、だいたいオレがやったんです(えっへん)。もう代わってもいいかな、楽になりたいな、とも思うが、まだやることがあるので、いましばらく委員を続けようといまは思っている。
◆この前、だれかが遺跡学会のことを嘆いていた。「誰が作ったんや」とか。うまくいってないのかね~。その時思ったのは、まあ文化庁-奈文研主導で作られたのだろうが、それはそれとして、しかし、近藤義郎と考古学研究のように、私財を投げ売ってでもオレが育てるといった、それは極端にしても、そうした気概のある主導者が、軌道に乗り組織的に自己運動を始めるまでグイグイ引っぱらんとあかんのやろな~、ということだった。奈文研の人間は人間で、誰かがやらなあかんから仕方なしに、ではアカンし、外の委員も、まあ奈文研の研究会やから、と思っていてはダメだろう。実態はまったく知りませんが。
マンガとのつきあい
◆オレは高校生までマンガとはほぼ縁がなかった。覚えているのは冒険王だが、これって小学生?。中学の頃など、たぶんチャンピョン全盛期で、ドカベンとかやってたのだろうが買った記憶はない。高校時代を含めて、ジャンプ・サンデー・マガジンを手にすることもなかった。
◆ところがだ、大学に入ってからだ。喫茶店に行ってマンガを読むようになった。ある女性のことしか考えられない時期があり、無為な時間を過ごしていた。下宿近くにフィレンツェという喫茶店があり、そこの2階に通った。水曜日に行くと、ジャンプもサンデーもマガジンも読める。もっと勉強せえよ。北斗の拳とかドラゴンボールの時代だ。めぞん一刻は?、タッチも。だけど、それに加えてモーニング、そしてビッグコミックオリジナルもあった。で、この2誌がもっとも好きになり、考えてみれば、完全にやめたのは大学に来てからだ。
◆モーニングのマンガはたいていわかる。いいマンガがいっぱいあった。その時出会ったもののひとつが人間交差点ヒューマンスクランブルというやつ。文庫になった時、全部買い、いまもある。弘兼憲史の絵はいいが、なんといっても矢島正雄の原作がよいのである。弘兼の島耕作は読んでいたがつまらん。弘兼は人間交差点の継承なんだろう、黄昏流星群というのを単独でその後やっているが、矢島の話にはおよばない。ハダカの話が多すぎる。
◆オリジナル、釣りバカ、あぶさん(ついに引退!)ほか、これも名作が多い。たぶん、奈文研に就職してからだ、この2誌を買って読むようになったのは。文化庁の時、岡村さんがオリジナルを買っていた。文部省内の本屋で定期購読をしていて、オリジナルは月2だが、発刊されると届けられ机に乗っていた。文化庁の時は、とにかく出張が多いので、新幹線ホームの売店で、ああ出てると見たら買っていた。
◆大学に来て、いつかは覚えちゃいないが、モーニングを買わなくなり、だけどこれだけはと思ってオリジナルを買い続けていたが、それもいまはなくなった。
◆ところがだ、大学に入ってからだ。喫茶店に行ってマンガを読むようになった。ある女性のことしか考えられない時期があり、無為な時間を過ごしていた。下宿近くにフィレンツェという喫茶店があり、そこの2階に通った。水曜日に行くと、ジャンプもサンデーもマガジンも読める。もっと勉強せえよ。北斗の拳とかドラゴンボールの時代だ。めぞん一刻は?、タッチも。だけど、それに加えてモーニング、そしてビッグコミックオリジナルもあった。で、この2誌がもっとも好きになり、考えてみれば、完全にやめたのは大学に来てからだ。
◆モーニングのマンガはたいていわかる。いいマンガがいっぱいあった。その時出会ったもののひとつが人間交差点ヒューマンスクランブルというやつ。文庫になった時、全部買い、いまもある。弘兼憲史の絵はいいが、なんといっても矢島正雄の原作がよいのである。弘兼の島耕作は読んでいたがつまらん。弘兼は人間交差点の継承なんだろう、黄昏流星群というのを単独でその後やっているが、矢島の話にはおよばない。ハダカの話が多すぎる。
◆オリジナル、釣りバカ、あぶさん(ついに引退!)ほか、これも名作が多い。たぶん、奈文研に就職してからだ、この2誌を買って読むようになったのは。文化庁の時、岡村さんがオリジナルを買っていた。文部省内の本屋で定期購読をしていて、オリジナルは月2だが、発刊されると届けられ机に乗っていた。文化庁の時は、とにかく出張が多いので、新幹線ホームの売店で、ああ出てると見たら買っていた。
◆大学に来て、いつかは覚えちゃいないが、モーニングを買わなくなり、だけどこれだけはと思ってオリジナルを買い続けていたが、それもいまはなくなった。
ビールを飲みながら
◆1月30日、いやもう31日か。01:30。家族はみんな寝て、ひとりダイニングテーブルで黒ビールを飲んでいる。最近、カミさんが買ってくるキリン一番搾りスタウトという黒ビールがうまい。で、エビスの黒ビールを買ってきたが、ぜんぜん味が違う。スタウトの方がよい。あんまり最近はビールは飲まなくなってるのだが、スタウトだったらいける。
◆11:00にガストに行った。話せば長くなるのだが、国分本町のバーミヤンは、2001年の玉手山7号の調査で、国分本町の空き家を宿舎に提供していただいたとき、毎晩、通って翌日の戦略を練った。2005年から国分に住むことになり、夜、バーミヤン通いが始まった。そう、300円で所場代(ドリンクバー)を払い、2:00の閉店まで3時間ほど勉強や雑用をする生活が始まった。ピーク時は毎日のように。これ、わたしの生活サイクルに組み込まれ、ここで日記を書き、会計簿をつけ、いろんな考え事をする、実にいい時間なのだ。疲れ果てている時は、寝てしまうこともある。やっぱ、長くなった。スカイラーク系列の事業見直しで、このバーミヤン、2010年が明けてガストになった。しかし、10月からカミさんがいる生活が始まり、次第に足が遠のくようになった。久しぶりに行ったわけ。
◆ドリンクが高くなったのは問題だな。でも、久しぶりにいい時間を過ごした。がむしゃらに原稿を書くのにも良いのではあるが、一日をふり返り、いろんなせねばならないことを列挙したり整理するのにいいのだ。
◆で、帰ってきた。原稿を書こうとするとUSBがなかったこと、一通り整理をして、さらにやる気もあったのだが、疲れて眠くなってきたので帰ってきたわけだ。風呂に入り、ブログでも書こうかと、いまテーブルに座っている。
◆11:00にガストに行った。話せば長くなるのだが、国分本町のバーミヤンは、2001年の玉手山7号の調査で、国分本町の空き家を宿舎に提供していただいたとき、毎晩、通って翌日の戦略を練った。2005年から国分に住むことになり、夜、バーミヤン通いが始まった。そう、300円で所場代(ドリンクバー)を払い、2:00の閉店まで3時間ほど勉強や雑用をする生活が始まった。ピーク時は毎日のように。これ、わたしの生活サイクルに組み込まれ、ここで日記を書き、会計簿をつけ、いろんな考え事をする、実にいい時間なのだ。疲れ果てている時は、寝てしまうこともある。やっぱ、長くなった。スカイラーク系列の事業見直しで、このバーミヤン、2010年が明けてガストになった。しかし、10月からカミさんがいる生活が始まり、次第に足が遠のくようになった。久しぶりに行ったわけ。
◆ドリンクが高くなったのは問題だな。でも、久しぶりにいい時間を過ごした。がむしゃらに原稿を書くのにも良いのではあるが、一日をふり返り、いろんなせねばならないことを列挙したり整理するのにいいのだ。
◆で、帰ってきた。原稿を書こうとするとUSBがなかったこと、一通り整理をして、さらにやる気もあったのだが、疲れて眠くなってきたので帰ってきたわけだ。風呂に入り、ブログでも書こうかと、いまテーブルに座っている。
国会に保育所はいらない
◆どっかでチラリとそんなニュースを見た。国会議員にも共働きで小さい子どものいる人はいるんだろう。男女問わず。だけど、どれだけの需要があり切実な問題なのだろうか、疑問だ。けっこうな給料をもらってんだろ、ベビーシッターも雇えるのと違うのか。
◆うちの大学にも保育所ができた。杉の子保育園。子供の姿、前に見たことあるけど、いまは見ないな~。主として男女雇用機会均等というのが趣旨なんだろう。女性研究者が出産・育児でやめざるをえなくなることは回避すべきだ。むろん、職場に保育所があるのが一番ではあろう。国会だって。だけど、そんなん全部整備していくことが有効なんだろうか。居住地の保育所でもいいんだろうに。
◆そうなのだ。国会に作るよりも、国会議員は、全国の待機児童を解消するための方策を考えるべきだ。
◆うちの大学にも保育所ができた。杉の子保育園。子供の姿、前に見たことあるけど、いまは見ないな~。主として男女雇用機会均等というのが趣旨なんだろう。女性研究者が出産・育児でやめざるをえなくなることは回避すべきだ。むろん、職場に保育所があるのが一番ではあろう。国会だって。だけど、そんなん全部整備していくことが有効なんだろうか。居住地の保育所でもいいんだろうに。
◆そうなのだ。国会に作るよりも、国会議員は、全国の待機児童を解消するための方策を考えるべきだ。
いやあ~これもなつかしい
◆ある原稿を書くため、あちこちの古墳をネットで検索している。情報発信をやっているところできていないと
ころ、はっきりするねえ。
◆で、石川県能美市秋常山古墳の画像が飛び込んできた。文化庁にいるとき、整備のための調査をやっている時期と重なり、何度が調査を見せてもらった。削り込まれた前方後方墳である2号墳をどうするかといった協議もし、史跡指定の議案を書いた案件である。
◆これが史跡整備ができあがったらしく、空中写真が目に入ったのである。すいません、著作権はあるのでしょうが、無断転載します。
◆それにしても、このネット検索で、これも調査や史跡指定、整備にかかわった、大安場、桜井古墳という、福島の2基の前方後方墳も、ほぼ同じ時期に整備されていることを知った。どこでもこうしたことがやられており、うんざりする向きもあるとは思う。オレも、ああこれもか、という思いもないわけではない。が、それぞれの地域のお邦自慢として、復元した古墳があってもいいではないか。古墳がいっぱいある近畿ににいて、そうでない地域の方が熱心だとも思う。それぞれの地域で、復元した古墳を大いに活用し、見てもらえるよう、そうしたノウハウを先行したところに学びつつ、独自の活用をそれぞれに智恵を絞ってほしいもの。
◆で、石川県能美市秋常山古墳の画像が飛び込んできた。文化庁にいるとき、整備のための調査をやっている時期と重なり、何度が調査を見せてもらった。削り込まれた前方後方墳である2号墳をどうするかといった協議もし、史跡指定の議案を書いた案件である。
◆これが史跡整備ができあがったらしく、空中写真が目に入ったのである。すいません、著作権はあるのでしょうが、無断転載します。
◆それにしても、このネット検索で、これも調査や史跡指定、整備にかかわった、大安場、桜井古墳という、福島の2基の前方後方墳も、ほぼ同じ時期に整備されていることを知った。どこでもこうしたことがやられており、うんざりする向きもあるとは思う。オレも、ああこれもか、という思いもないわけではない。が、それぞれの地域のお邦自慢として、復元した古墳があってもいいではないか。古墳がいっぱいある近畿ににいて、そうでない地域の方が熱心だとも思う。それぞれの地域で、復元した古墳を大いに活用し、見てもらえるよう、そうしたノウハウを先行したところに学びつつ、独自の活用をそれぞれに智恵を絞ってほしいもの。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。