人を幸せにする人になろう

年をとると

◆この年になると冬になると活動がにぶる。むかしは冬が大好きだった。1~3月くらいがいちばん元気だった。が、いまは、出かけるのがおっくうになる。年や。
◆年を取ると朝型になるというが、そこはまだ完全な夜型だ。2時3時まで、1人起きている。で、朝はカミさんや子供がでかける時間には寝ている。朝早く出勤すれば、午前がながければ、ずいぶん仕事がすすむ。カミさんの場合は、忙しすぎて、それをこなし自分の時間を確保するために、始発でいくことがざらで、自然に朝型になる。昼間は人の出入りがあり会議やらでつぶれるので。
◆昨日、日本史で集中講義に来ていただいている人との懇親会があり、そんな話になった。S先生はいまだ夜型、T先生は朝早くに目が覚めて寝れないようになってきたといい、N先生は完全な朝型で、22時には寝て、4時には起きるそうだ。人それぞれのスタイルですね。

この業界

◆学問は遊びだ、みたいなことを書いたが、むろん極論であって、業務(研究・教育・社会的貢献)があり、境目ははっきりしないが、トータルの労働時間は少なくないのです。研究が基礎であり、むろん給料をもらっているのだから、仕事をしなきゃならんが、研究の世界は、仕事だからやるだけのことではないわけです。
◆とはいえ、昨日届いたメールで、過労で40歳でなくなった埋文業界の人の存在を知ると、あまり不謹慎な発言はできない。しかし、奈文研にいたときは奈文研の、文化庁にいたときは記念物行政の仕事を、まあ一所懸命やってきたわけで、わたしはわたしで今の職場の仕事をする、それが大学ということ。
◆埋文業界が、いまだ趣味でやっていると思われているなら、教育委員会内部でさえ、そういう目で見られているのだとしたら、それはそうでない、ということをはっきりさせなければならない。行政にいたことがない自分にとって、市町村の担当者として、発掘業務その他に携わる方々のたいへんさは「わかってない」のだろうが。
◆とはいえ、教育委員会や役所のなかで、自分のところの文化財を守る守護神として、立派に職責を果たしている、と思われるようにしなければならない。上司を味方につけ、発掘から帰ってきて夜遅くまで整理している、場合によっては展示業務もやっているという大変さを、まずはちゃんと理解してもらわなければならない。そして、役所のなかで市長やら開発部局とも。文化財が元気のない過疎化の進む地方行政の中で、地道ながら町の特質を訴える効果的な素材であって、町としても重視する、市民にも調査して環境整備をして看板をひとつ立てる、ということを通じて理解をえる、そうした努力が必要だ。
◆市長・町長は交代し考え方もかわるが、役所の中で確固たる位置をしめること、そしてなによりも市民の指示を集めることだろう。文化財の仕事は大事で、こんな遺跡があるのか、街道や町並みや古い石像物には、こんな歴史や由来があるのか、という仲間をえなければならない。どこでも、一定の年齢の方々や教育熱心なお母さん方は、文化財がんばれ、もっと情報発信せよ、わかりやすい看板やパンフレットを出してくれ、という要望は強い。確実にそこを仲間に引き込み、さらに増やしていく。そうした地道な理解を、基盤を形成していけば、予算的に厳しくとも、「やめてまえ、いらん、文化財?趣味でやってるのやろ」ということではなくなるはずだ。
◆みんな、もっと適当にやってるのだろうが、人一倍、熱心な故に過労が積み重なり、倒れたに違いない。それにしても1人はつらいだろう。業界のなかでの地域の会合なんか、やっぱり必要だろう。孤立しないしくみが。

皇南大塚は訥祇麻立干

◆今回の資料で、皇南大塚の炭素資料(なんなんだろう)のC14年代で、ほぼ458没のトツギマリツカンが確定した、みたいなことになっているのを知った。
◆これは毛利光さんが正しく比定し、その後の研究でもほぼ支持されてきたので、驚きはしないが、もう確定として先に進んでよい、となったことを知った。あの遺物が458没の内容というのは、いろんな意味で定点になるからだ。
◆また、新羅トツギマリツカンに対比できるのは允恭、允恭没時に新羅弔問使が確かやってきたのではなかったか。場合によっては、履中系の旧勢力=親百済、允恭系は親新羅(むろん一辺倒ではないが)という図式も考えられる。

近頃の邪馬台国九州論者

◆近頃、纒向で掘立柱建物が見つかったことを承けての、新聞紙上の邪馬台国所在地論で、2度にわたって安本美典が九州論者として登場していた。たぶんもう、九州論者は枯渇しているのだろう。新聞も公平を期すにしても、両論併記は50%:50%の印象を与えてしまうが、実態は99.9%;0.01%であることをふまえた上で記事にすべきだろう。
◆安本さんの議論、地名の議論は興味深い。しかし、考古資料からの立論部分は、もはや古いし、まったく更新されることはない。古いときに書いたときのデータと立論を繰り返しているだけだ。

趙栄済先生の見方がいいのでは

◆趙栄済先生の議論は、資料はけっこう細かい土器のことが書いてあったが、全体として、4世紀の金官国段階と、5世紀の以降の「型式乱立期」との対比の話は面白く、かつTG232が金官国の陶質土器のみならず、西部地域の土器に似るものが含まれること、それによって倭に至った陶質土器工人の渡来年代も押さえられる、という見方はすごく面白かった。TG232はじめ、日本の初期スエに見られる雑多性の説明は「そういうことか」と納得した。
◆やっぱり実年代は、高句麗軍による金官国攻めということが論拠になっているが、その後の拡散、倭へも、だから「5世紀はじめから前半」という結論は、受け入れやすい。申先生の極論に対し、趙先生の慶南西部地域の動向からのこの立論、これが当たっているのでは、と思った。

歴博主催の古墳時代の年代観に関する研究集会

◆12月12日、行きました、九博に。よかった。申先生や趙先生とお会いできてよかったというのでなく、もっと実質的に、そ04ca930d.jpgれぞれの考えをはっきり知ることができた。で、どこに問題があるかもわかった。
◆その前に、受付には上野君、コーヒーを飲んでいると河野がふらふら・・・。会場には、小田先生や甲元先生、高橋かっちゃん、吉井君、武末さん、東さん、桃崎君、いま立命で勉強している劉シントウ、金ドチョル。それと釜山大の平郡君(前に釜山の文化財活用の話をさせられることになり、11月に急遽、釜山に行ったとき、一緒にまわってくれたのが彼。今回、通訳でした)。
◆終了後、簡単な懇親会。19時過ぎまで。大阪に帰るには20時がりみっと。でも、どうしても、申先生とは話がしたかった。で、頭が、中期の年代がそんなにあがらないというのはよい、だけど稲荷山鉄剣が471でなく一巡さがることはありえない。あまりあがらない上限と、下方が471におさまるのが事実だ、という話をした。たぶん、馬具はあんまりかわらない、ただし、むこうの陶質土器の編年、日本の須恵器との対応、そのあたりに押し込めにくいとすると調整の余地があるのだろう。16fd42f6.jpg
◆わたしとしては、申先生のものを中心にいろいろ読んだが、いまひとつ体系的に理解できていなかった点が、今回、だいたい理解できたと思っている。これを前提として、こんなにも差がある年代観の調整を絶対してやる、と思った。申先生はあいかわらずのアジテーターなので、日本の研究はおかしい、30年前から言ってるのに誰も耳を傾けない、という。きちんとコメントしていかないと議論にならない。
◆それと白石先生の影響力の大きさを感じた。むろん、かねてより年代観をやってきた大家であるというのと、書いているものが論理的でわかりやすい。しかし、引っぱられず、自分で考えることだ。

失われた10年、第2ラウンド

◆国債残高600兆円、10年余で倍、だそうだ。失われた10年というが、さらに10年を失った。反省することのない日本ということだ。

事業仕分、大学の反応

◆大学だってそう。「研究力と学術の未来を憂う」だそうだが、だけど、学生の能力がそもそも落ちている。そっちの方が重要な問題ではないの。
◆若手研究者の育成か。でも、別の記事で、DCは4人に1人で、PDは10人に1人。いまの院生、できるヤツはめぐまれていると思うよ。むろん条件が違う。われわれの時は、景気よく埋文業界での就職はあった。でも、自分の将来に不安があることは、今の院生とかわりないと思うが(これは本音)。いまの若い奴を見ていて、特別研究員で給料をもらえるなんて、うらやましいと思うけどね。
◆若手研究者の育成、それは文科省が、大学院の充足率で大学を評価するってのがあるから、院生を増やそうとする、それを維持する経済的支援が必要となる、そういう構図かな。わたしはまあめぐまれていたので何ともいえないが、むかしは非常勤講師をしながら30・40になっても研究を続けて、ようやっと、という人は多かった。いまでもわれわれの世代にはいる。いまの若手研究者の優遇措置というのは、年齢制限があるので、そうした人は救われない。少なくとも、すぐれた研究をやっている者については、年齢ではなく、職につけていないという条件で、同じように救済して欲しいと願う。
◆そう考えると私学の方が健全かもしれない。基本的に授業料収入でまかなう、それでまわっていくというのがよいかも。運営交付金で一喜一憂するのでなく経営的に成り立っていく、というのがいいのかも。

再度、事業仕分

◆事業仕分けに関する朝日新聞の特集記事、1209オピニオンが面白かった。枝野幸男のことば。事業の目的が重要かどうかは政府全体、国家戦略局で決める、仕分けの仕事は、金の使い方が合理的かどうか、だと。大局は大事、細部も大事。説得力あるわ。
◆伊澤幸雄さん。スーパーコンピュータが話題になり、科学技術は大事だと思うが、福祉や農業より大切だと言い切れるか。立ち止まって考えること、政策の現状を公の目にさらすこと、が大事。これもいい。
◆国家だから、科学技術も大事で、福祉も大事で、農業も大事だろう。0ということはありえない。だが、全体の予算配分を考えるとき、なにを重点にしていくかということは当然ある。限られた予算の中で、福祉や農業をより大事とするなら、科学技術は削られる、しゃーない。

事業仕分への科学者・文化人の反応

◆事業仕分けに対して、科学技術予算を減らすなとノーベル賞受賞者の反論、文化予算を減らすなと、音楽家や演劇人の声。こっちも、そんな大げさではないが、大阪府の博物館問題の時に動いた者として、同質的な問題に感慨深いものがある。
◆例えば、文化、学術でも文系だったら、研究費はなくてもいい。そんなものは、国民の安定雇用の方が重要だと思うし、農業自給率の方が重要だと思う。ただしむろん、大学をなくしてしまう、といわれれば、それは困る。文系のわれわれは、別に年間の研究費が極端にいえば0が10年続いたって研究はできると思っている。なので、国家予算は、10年間、臥薪嘗胆じゃ、半額にする、でいいと思う。文系など思索の学問は。
◆理系は違うんだろうか。カミサンは、違うという。続けなきゃならんものがあるという。そうかもしれない。ただ、そうした研究を継続しておかなきゃならんものと、そうでもないもの、継続しなければならないとして、それにいくらかかるか、額の合理性はやっぱり問われるんだろうな。研究者は、ポストがあるだけありがたいと思う。
◆所詮、学問は遊びである(むろん医学とか実学もある)。給料をもらって遊ばしてもらえる、だから、仕事は思いっきり遊ぶことと思っている。理系も同じ、ただし、遊ぶのに金がかかるときている。ポストがあるんだから、研究費がなくても、実験ができなくても古い器財をなんとか使い回し、外国の学会なんかに行かなくても、外国の学術誌を購入する予算がなくても、国立国会図書館だけ1冊購入し、みんながそれをコピーしてでも、研究したらエエヤンと正直思う。恵まれすぎてやしませんか。所詮、国から金をもらって遊んでいる芸者、国の一大事となれば、優先順位は低いのはしゃーない、と思う。極論だが。でも、大阪府の博物館は、企画費用が0になっても、存続してほしいと思う。
◆むろん、この国が文化立国ではないという、その指摘は正しい。やせがまんをしても文化が大事、演劇や音楽や映画や言語やが大事というなら別。だが、日本はそんな国じゃないでしょ、国民性が。美しい自然など、なんぼ破壊しても高速道路や新幹線を作る方がいいという考えに賛成してきたのだから。それで作った借金を返済するため(民主党はもっとそういう意志をはっきり打ち出すべきですね。)、文化が削られるのはしゃーない、そんな高尚な国じゃないんだから。

プラグイン

カレンダー

06 2026/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4
6 7 8 10
12 14 15 16 17
19 20 21 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索