人を幸せにする人になろう

丸保山と墓山

◆ともに宮内庁の陵墓であるとともに史跡になっている事例。やっぱり、いずれ91b2835c.jpgも墳丘裾までが宮内庁の土地であるケースで、周bbca16f3.jpg囲の開発が進み、なんとか保存したいと、史跡にすることで乗り越えたのだろう。丸保山は1972、墓山が1975、このあと、応神陵外堤外濠が1978(未記入)。ともに史跡の範囲(緑)はテキトーです。
◆1981年の陵墓懇談会を報告した『考古学研究』28-4では、こうした史跡指定に対し、「それらは陵墓参考地や陪塚であるからだ。ケース・バイ・ケースである。」との回答が紹介されている。
◆逆に言うと、あるかないか知らないが、陵墓参考地で堀まで宮内庁だったとしたら、そのままその範囲を史跡にしたいといっても、別にせんでも保存されているのだから、ということになるのだろうか。周囲から迫る開発に対し、なんとか保存したいという地元の要望があるからこそ、宮内庁も認めたのだと理解できる。
◆墳丘本体を含まないドーナツ指定はできないとした文化庁の判断はひとつの見識ではある。1970年の土師ニサンザイの場合(そういうこともちゃんとは知っていなかった)、初のケースだったのだろうか。丸保山や墓山はニサンザイの失敗の上に、本体を含めての史跡指定が実現した、ということでもあるのだろう。
◆こうした図示はやはり必要ですね(前々からこうした資料を作成したいと思っていたがやれてなかった)。単純にW指定されている実例があるという事実だけを知識として知っていたものの、なぜそんなことが?と思ってきたが、やはり具体の問題への対処がモノゴトを進めたということが理解できる。

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索