人を幸せにする人になろう

歴史地理との出会い

◆昔話が多くなると年やな~、と。頭のてっぺんの髪の毛、薄くなってるやんとカミさんにも言われ、とほほ。
◆が、もひとつ昔話を。大学1年生の時、足利先生の授業に出ていたわけです。今でも鶴翼山の話は覚えているが、なんだっけか。ようするに、山のピークとか、そういうもので直線道が設定されているとか、そういう話だったろう。『松原市史』とか見ていると、足利先生が丹比地域の条里復元をやっている。大阪城下町や伏見城下町の、通とか筋とか話も聞いた記憶はある。でも後期はあんまり授業に出なくなり、で、単位はもらったのかな?。
◆それで歴史地理は面白いと思ったわけです。2回生の時には、教養の地理の演習みたいなやつに出た。少人数で、地図からブロックダイヤグラムを作成するとか、あんまり覚えてませんが。教養の地理には、浮田さん、青木さん、足利さん、さらに助手さんもいた。いっぱい人員がいたんだと改めて思う。考古学は弱くて、枠はひとつも獲得できなかったんでしょうね。足利先生からは地理に行って歴史地理をやらないかと言われた。
◆そんなんで、3回生からの研究室分属希望を出すとき、2番目は地理で、国史は3番目でした。考古学に上がってからも、貝塚爽平先生の集中講義に出たことがあるが、これは面白かった。いや、そんなんで、条里に興味をもつ根っこには、こういうのもあるんだろうな~、とそういう話です。
◆昔、国土地理院の地図を買うのが楽しみでした。加古川には新興書房というのがあり、高校時代、そこで地理院の地図が買えました。250円くらいだったか。地域によってはモノクロのものもありました。まだ全域フルカラーになっていなかったようです。それと、地理歴史考古学部の部室には、1960年代くらいの加古川の都市計画図2500がありました。この地図は好きでした。いや~2500図との出会いです。平荘湖のダム湖ができる前の姿があり、それをしげしげと眺めていたのです。
◆大学に行くと、キャンパスの横が関西地図センターで、全国のものがそろいます。ふつうの家の1階が店で、頼むと出してきてくれました。20万1地勢図のきれいなカラー印刷の地図は、趣味で集めていました。ランドサットの近畿のカラー大判のやつ、たぶん地図センターで見て、欲しくてたまらず2000円だか3000円だか、学生にとっては高価でしたが買い、下宿の壁に貼ってながめてました。どっか行くときは、行き先の地図を買ったりと。
◆それから保育社かなんかの都道府県別の遺跡のシリーズ本が出て、それをもとに奈良盆地の地図に、古墳や遺跡を記入しました。古墳なぞは、ロットリングで輪郭をなぞり緑のペンで塗ってありました。そんな地図は捨てられないので取ってありましたが、去年の卒論生の時に、それを大きなパネルに貼って奈良盆地全域を貼り合わせ、弥生の遺跡をひとつひとつ確認する作業をしていました。あれももう捨てよう。高さんも実にたくさんもっていて、彼が下宿を引き払い福岡に戻るとき、ぜんぶもらったんだと思いますが、折ってなくて(自分のは全部織ってある)巻いた状態のものがごっそりある。こういう地図も、もはや不要ですね。
◆デジタルは便利で悪くないのですが、画像をスクロールするより、紙ベースのものを眺める方が人間的ですよね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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