人を幸せにする人になろう

明日の弥生の授業を準備しているのですが

◆先週、宮内庁懇談会で休講にしたので、明日、補講です。先々週は1世紀の話までたどりつき、明日は2世紀の話。a671a1a5.jpgこれ歴博の原稿の準備を兼ねて、ヤマト国のことを考えるにはいい機会だと思っていましたが、やっておりますが、なかなか進みません。畿内もすごいぞ、ということがどれだけ言えるか、というのがテーマなのです。
◆いろいろと畿内はダメ論を読んでいますが、都出先生の畿内が共同体の枠組みを強めるなかで結局は大きな政治権力を生むに至った、という1970年の議論(原点まで戻ってません、北條さんのまとめ)は、ちょっと違うのですが、当たっているのでは感じるようになりました。潜在的な生産力はあるわけです。新納さんのGISの図、ありますよね。傾斜を計算し農耕化できる面積を算出し、また隣接地域と結びつけたもの。あれを見ても、畿内は東海や北部九州より優位にあるわけです。もっと黒いのが関東ですが開発そのものが2世紀段階ではそこまでいっていない。つまりは、北部九州は、いち早く農耕・戦争を経験し、大陸との窓口である優位性もあって先頭を走ってきたが、畿内は数百年遅れ、戦争もようやくBC1世紀に激化しと。拠点聚落がならびたつ時代も長く持続したのかも知れませんが、いずれにしても、開発が進み生産性が上がってきて、そうして地域間競合に突入し、その結果、畿88255f25.jpg内がひとつにまとまるとすれば、北部九州や吉備よりも大きな権力体ができあがる、というのは当たっているんではないかと思います。
◆ほんとは、寺澤さんと北條さんとオレと、どこが違うのか、図化したものができたので、それを披露しようと思ったのです。左から、寺澤・北條・岸本です。同じことを繰り返しますが、そんなところに明治新政府は樹立されません。差別的と受けとられるかもしれませんが、狩猟採集の暮らしを続けていた社会に、ヨーロッパ人が乗り込んでくるような、そんなイメージを想像してしまうのです。そうじゃない、同質な社会の競合関係です。たとえ合意とか協調が強調されても、そんなこと起こるんでしょうかね。
◆ついでに、こないだ出した庄内・布留の平行関係に、時代区分を加えたものも出しておきます。ただし、実年代が違うんですよね。これはあくまで時期幅とかも関係なく、土器型式の最小単位を均等幅にしたものにすぎない。弥生後期はやっぱりさっぱりわからん。+これにC14を軸に実年代に配列し直すには、まだ遠い。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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