人を幸せにする人になろう

計画村落から播種へ

◆前々から思っているのですが、文献史の方の自然村落・計画村落の議論がある。まともに読んだことはありませんが・・・。たとえば直木先生のイメージはどんなだろう。これは戸籍などを含め、奈良時代の集落とはどんなものか、ということの議論だ。しかしこの議論ももう盛り上がることはないんだろう。
◆で、考古学。6世紀までの集落と、7~8世紀の集落が違うことは、広瀬さんや坂井さん、北陸・関東の調査で明々白々になっている。そういう社会の実態を捉えている考古学の成果と、文献史や歴史地理の過去の計画村落議論というのが、まったく結びついていないのではないか、と思っている。
◆漠然とですが、文献史の計画村落議論と考古の集落再編の話はズレているんだろうと思う。が、両者は結びつけうる問題で、考古学から計画村落の議論ができると思っているわけです。文献史のイメージしてきた計画村落論とはちがうけど、計画村落はあると。はっきりいって、7世紀はいまの中国みたいなもんで、ここ全部立ち退き!、ということをやらせることができた時代で、ほぼ村は配置転換されている。そうして新たにできあがる村というのは、震災後の復旧住宅のようなもので、指定され当てがわれたものだろう。それこそ、50戸単位ごとに、ほんとうに集め/分け、ということが行われていておかしくないと思っている。それこそ、郷を区分し、そこに50戸の住宅を整備し入居させるに近いことが行われていておかしくない、そんなことが考古学の成果からは引き出すことができるわけだ。たぶん宇野さんも同じようなイメージではないだろうか。すでに著書のなかで、そういう暮らしはどんなだろうか、けっこう新しい出会いや恋愛も生まれてエエンデハナイカ、みたいな独特の宇野節でふれていたように思う。
◆ところで、ブログで書き散らしているのは、自分の考えるところをはき出したいというだけでなく、誰かやってくれないかな~と期待しているのです。あほ、ブログに書くより論文を書けと、そうかもしれません。しかし、人間には限界があります。自分が5人の分身をあやつれつなら、分担させますが、生身は1人です。自分で論文にしたいものはしますよ。だけど、そうでなくとも、弥生でも7世紀でも、いろいろ考えるところはあるわけです。質はいろいろでしょうが、そういうもののなかに重要なものも含まれていることだってあるわけです。だが、自分で暖めて、そういうものを論文にできるかというと、ほとんどの場合、そのままです。これは書ける、書きたいと思ったのが条里だったりするわけですが、ほとんどそこまではいかない。
◆話は短めに!。結論、学生さんたちも、このブログをけっこう見てくれているようですし、業界の方もおられるでしょう、ここでいろいろ播いている種、面白いと思ったらどんどん育てて下さいね、というのが言いたいことでした。自分が実際に育てる部分だけでなく、いろんな局面で知ったこととか考えたこととか、ささいなことではあれ、どこかで育つかもしれない種を播きたい(誤解のないようにお願いしますよ)、そう思っているのです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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