人を幸せにする人になろう

昔話―京都市埋蔵文化財研究所で田中琢の話を聞く

◆瓦とのかかわり。大学時代に考古学研究会に入ると岩倉の窯の分布調査が待ってたわけです。オレと高さんは初めから古墳でしたが、窯跡もやり須恵器の実測もやり続けました。面白さなんてわかりませんでしたが。1回生の時だったと思うので、1983年。京都市マイブンケンの講演会があり聞きに行きましたが、これが田中琢の、隼上がり、幡枝、あのへんの話で、これが実に面白かったわけです(なんかの原稿でした。あとから本になってたのを知る。なんだっけか、窯業とかいうやつだったかな)。ま、瓦を分析し計測し瓦工人を復元する路線についても、方法論は学びましたが、やっぱり同笵瓦の方がそれは面白いわけです。
◆で?。いや~、それだけなんですよ。そのときびっくりしたのは、組合。田辺昭三の講演の時に、組合員が入ってきてアジるわけです。ええっ、市民向け公開講演会で、この応酬には、ちとびっくりでした。ウブな1回生には何もわかりません。いまから考えれば、マイブンケンができてまだ5年以内くらいの時か、六勝寺研究会などの任意団体三つが合体してできたんでしたか、まあ、いろいろあったんでしょうな、としか言いようもありませんが。田辺昭三氏とは、県史の時に、明石の吉田南の原稿のことで電話して、何度か話をした記憶はあるが、それくらいでした。
◆西谷真治先生がなくなられましたね(しばらくたちますが)。兵庫県史の委員をやっておられて、1年勤務していた時に数度お会いし、話をする機会がありました。南塚の川端真治の名前も有名、あとは合子とか長持形石棺とか。それと高砂の酒屋のところに婿養子で入られたんでしょう。そこのお酒が「惣盛」というので、実にうまかった記憶はある。西谷先生とのつきあいはそれっきりかと思うので、別に聞いたのだろうが、そのお酒の瓶のラベルの「惣盛」の文字は先生がすべて書くのだとか、そんな話を聞いたことがある。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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