人を幸せにする人になろう

戦後の大阪砲兵工廠跡の写真

◆3月7日の朝日新聞に掲載された1954年の写真。8月14日の空襲で大勢の工員が死んだことはよく知られている。5f79c85f.JPGまた、そのあとも手がつけられず、戦後9年経った時の写真であるが、まだこの状態だっb09cd681.JPGたわけだ。公園化が完成したのは1970年という。朝日さん、勝手に使ってすいません。
◆これはまだ戦後だが、古い写真はなかなか味わい深い。いまとなっては想像できないような、かつての景観。前にも書いたがこうした写真を、どんどんパネルにして、博物館は掲示すべきだ。それだけでなく、博物館の外でも、いろんな壁面が利用できるはずだ。前から思っていることだが、たとえば大阪歴博、地下鉄谷町線の地下道の壁面、博物館方向の出口への通路など、なんぼでも壁面はある。そこに大阪の歴史を語るこうしたパネルを掲げれば、なかなかいい導線になると思うのだが。交通局が民営化したところで、地下道は大阪市の所管では?。博物館への導線自体を博物館の延長として利用できるだろうに。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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