人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
根来第三要望書はもうすぐ
◆で、『ヒストリア』の記事にかかる。徹底して書くつもり。情報公開請求で入手した資料にもとづく経過を掲げておく。
◆2010年
○7月4日~10月8日 確認調査
○10月27日和歌山県文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会(埋蔵部会、菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員、記念物部会、水田義一委員・高須英樹委員・小野健吉委員) 記録保存の同意を取り付ける。
○10月28日地元協議(根来寺・岩出市教育委員会) 記録保存の同意を取り付ける。
○11月2日文化庁協議 文化庁は埋蔵文化財包蔵地のことであるが、活断層があるのではないか、部分的な保存はできないのか、という問いとともに、史跡指定の不十分さを指摘する。とはいえ、基本的に記録保存とすることで了解する。ただし、本発掘調査で検出した遺構によって柔軟に判断すること、文化財のために文化財を破壊することを避ける努力を最後までするよう求めている。
◆2011年
○1月6日和歌山県文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会(埋蔵部会、菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員、記念物部会、水田義一委員・高須英樹委員・小野健吉委員) 記録保存の最終同意の確認を取り付ける。
○3月10日文化財保護審議会 確認調査の結果を報告し、記録保存とすることで、文化庁・和歌山県文化財保護審議会記念物部会・岩出市教育委員会等と協議し、同意を得たこと、記録保存の調査に着手することを報告。審議内容を示す議事録は未公表。
○3月28日 記録保存調査に着手
○6月1日 記録保存調査の概要を、文化庁・文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会委員に送付
○6月21・28日 文化財保護審議会の森郁夫・菅谷文則・小野健吉委員に個別説明。記録保存として調査続行の了解を取り付ける。移転実施計画策定に際し、遺構の保存に努力する注文も付く。
○7月4日文化庁協議 学会から注視されているので、揚げ足を取られないよう万全を期すこと。調査地(丘陵頂部という意味か)は遺構が検出されれば史跡に追加してもおかしくない場所である。中世の専門家に現地確認をしていない。多数の研究者から現地指導をえて、遺跡の評価を行うこと。審議会の委員のほとんども現地を見ていない。今回の遺跡の評価は、予定地のみならず、全体的な位置づけのなかで行う必要がある。スゴクマットウ!
これに対する県の回答には、筆者らが城郭的遺構とみることに対し、城砦遺構ではないので、それだから保存すべきという要望であれば、遺構評価の点で重大な錯誤があるので問題ないという発言も見える。
コメント 筆者の錯誤であればそれでもよい。しかし、文化庁の指摘のように、どれだけ中世の城郭研究者に連絡を取り、遺跡の評価を仰いだのか、それを避けた一方的な論評である。
なお、この時の和歌山県が持参した別紙の調査概要には、「切崖、犬走り状遺構等から寺院西面の一部として防御機能を有した遺構群の可能性も考えられるが、周辺の調査成果等を勘案すると、天正の兵火以前の子院が展開する地域であり、その遺構群の一部が削平されながらも残存していたと理解している。詳細は調査報告書作成時に検討を行う。」とある。また、「対象地のうち、今回の本発掘調対象地外についても、削平を免れた深度のある遺構が残存する可能性があることから、当課職員による工事立会により、必要に応じて記録保存措置を行う。」とある。文化庁は遺構があれば史跡に追加指定してもおかしくないと言っている地点なのだが、工事立会で対処するという。
○7月12日(付) 大阪歴史学会の要望書
○7月14日 和歌山県教育長、記念物課長を訪問(予定)
○7月9日・13日 文化財保護審議会埋蔵文化財部会委員(菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員)の現地指導
○8月3日(付) 日本考古学協会の保存要望書
○8月20日(奥付) 『ヒストリア』第227号
○9月30日(奥付) 『考古学研究』第230号
○ 秋? 和歌山県文化財保護審議会 「検出した遺構群は防御機能を有する可能性も想定されるものの、既往の調査同様の子院の遺構群と評価」。調査範囲は十分で、著しく重要な遺構群と評価しないこと、遺構の保存については移転工事の基本設計のなかで検討する、といった説明を行っていることが資料からわかる。
この時の審議の様子はやはり議事録が開示されないので不明だが、遺構の位置づけについてはあまり異論はなかったようであるが、いまの予定地に一乗閣を移すことについては反対意見が多数を占めたと漏れ聞いている。
○12月15日 基本設計の委託契約
◆2012年
○1月10日(付) 大阪歴史学会再要望書
○1月12日 第1回史跡根来寺境内保存管理計画策定委員会(委員長水野正好、副委員長田辺征夫、森郁夫・上原真人・辻林浩・増渕徹・林良彦ほか) 調査地点をこの委員会でも扱うかどうか多少議論あり。「発掘調査の実態にそぐわない意見がある」との指摘は、筆者らにむけてのことだろう。
○1月27日 地元協議
○2月27日 地元協議 基本設計三案について意見交換
○3月27日 地元協議 D案(階段のある西斜面南半部を保存する案)で合意
○3月27日 第2回史跡根来寺境内保存管理計画策定委員会(委員長水野正好、副委員長田辺征夫、森郁夫・上原真人・辻林浩・増渕徹・林良彦ほか) A~E案を示し、D案で進めたいと意見表明し審議。遺構保存部分を増やせないのかという意見が出る。
◆未完
◆2010年
○7月4日~10月8日 確認調査
○10月27日和歌山県文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会(埋蔵部会、菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員、記念物部会、水田義一委員・高須英樹委員・小野健吉委員) 記録保存の同意を取り付ける。
○10月28日地元協議(根来寺・岩出市教育委員会) 記録保存の同意を取り付ける。
○11月2日文化庁協議 文化庁は埋蔵文化財包蔵地のことであるが、活断層があるのではないか、部分的な保存はできないのか、という問いとともに、史跡指定の不十分さを指摘する。とはいえ、基本的に記録保存とすることで了解する。ただし、本発掘調査で検出した遺構によって柔軟に判断すること、文化財のために文化財を破壊することを避ける努力を最後までするよう求めている。
◆2011年
○1月6日和歌山県文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会(埋蔵部会、菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員、記念物部会、水田義一委員・高須英樹委員・小野健吉委員) 記録保存の最終同意の確認を取り付ける。
○3月10日文化財保護審議会 確認調査の結果を報告し、記録保存とすることで、文化庁・和歌山県文化財保護審議会記念物部会・岩出市教育委員会等と協議し、同意を得たこと、記録保存の調査に着手することを報告。審議内容を示す議事録は未公表。
○3月28日 記録保存調査に着手
○6月1日 記録保存調査の概要を、文化庁・文化財保護審議会記念物・埋蔵文化財部会委員に送付
○6月21・28日 文化財保護審議会の森郁夫・菅谷文則・小野健吉委員に個別説明。記録保存として調査続行の了解を取り付ける。移転実施計画策定に際し、遺構の保存に努力する注文も付く。
○7月4日文化庁協議 学会から注視されているので、揚げ足を取られないよう万全を期すこと。調査地(丘陵頂部という意味か)は遺構が検出されれば史跡に追加してもおかしくない場所である。中世の専門家に現地確認をしていない。多数の研究者から現地指導をえて、遺跡の評価を行うこと。審議会の委員のほとんども現地を見ていない。今回の遺跡の評価は、予定地のみならず、全体的な位置づけのなかで行う必要がある。スゴクマットウ!
これに対する県の回答には、筆者らが城郭的遺構とみることに対し、城砦遺構ではないので、それだから保存すべきという要望であれば、遺構評価の点で重大な錯誤があるので問題ないという発言も見える。
コメント 筆者の錯誤であればそれでもよい。しかし、文化庁の指摘のように、どれだけ中世の城郭研究者に連絡を取り、遺跡の評価を仰いだのか、それを避けた一方的な論評である。
なお、この時の和歌山県が持参した別紙の調査概要には、「切崖、犬走り状遺構等から寺院西面の一部として防御機能を有した遺構群の可能性も考えられるが、周辺の調査成果等を勘案すると、天正の兵火以前の子院が展開する地域であり、その遺構群の一部が削平されながらも残存していたと理解している。詳細は調査報告書作成時に検討を行う。」とある。また、「対象地のうち、今回の本発掘調対象地外についても、削平を免れた深度のある遺構が残存する可能性があることから、当課職員による工事立会により、必要に応じて記録保存措置を行う。」とある。文化庁は遺構があれば史跡に追加指定してもおかしくないと言っている地点なのだが、工事立会で対処するという。
○7月12日(付) 大阪歴史学会の要望書
○7月14日 和歌山県教育長、記念物課長を訪問(予定)
○7月9日・13日 文化財保護審議会埋蔵文化財部会委員(菅谷文則委員・和田晴吾委員、森郁夫委員)の現地指導
○8月3日(付) 日本考古学協会の保存要望書
○8月20日(奥付) 『ヒストリア』第227号
○9月30日(奥付) 『考古学研究』第230号
○ 秋? 和歌山県文化財保護審議会 「検出した遺構群は防御機能を有する可能性も想定されるものの、既往の調査同様の子院の遺構群と評価」。調査範囲は十分で、著しく重要な遺構群と評価しないこと、遺構の保存については移転工事の基本設計のなかで検討する、といった説明を行っていることが資料からわかる。
この時の審議の様子はやはり議事録が開示されないので不明だが、遺構の位置づけについてはあまり異論はなかったようであるが、いまの予定地に一乗閣を移すことについては反対意見が多数を占めたと漏れ聞いている。
○12月15日 基本設計の委託契約
◆2012年
○1月10日(付) 大阪歴史学会再要望書
○1月12日 第1回史跡根来寺境内保存管理計画策定委員会(委員長水野正好、副委員長田辺征夫、森郁夫・上原真人・辻林浩・増渕徹・林良彦ほか) 調査地点をこの委員会でも扱うかどうか多少議論あり。「発掘調査の実態にそぐわない意見がある」との指摘は、筆者らにむけてのことだろう。
○1月27日 地元協議
○2月27日 地元協議 基本設計三案について意見交換
○3月27日 地元協議 D案(階段のある西斜面南半部を保存する案)で合意
○3月27日 第2回史跡根来寺境内保存管理計画策定委員会(委員長水野正好、副委員長田辺征夫、森郁夫・上原真人・辻林浩・増渕徹・林良彦ほか) A~E案を示し、D案で進めたいと意見表明し審議。遺構保存部分を増やせないのかという意見が出る。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。