人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
渡辺邸
◆今日、以下の話が舞い込んだ。知らなかった。関連記事が見つかったので挙げておく(写真も勝手に使わせてもらいます)。これしかし、なんとかならん
のか、という話ですね。17世紀はじめの建築、重文にはならんのか。府市協力して、どっかから5億円ひっぱってきて、ひとまず回避する、ということができないものか。舞い込んだ時の話では、解体やむなしみたいに聞いたが、大阪市として大阪府として簡単に壊したらアカン物件でしょう(指定は建物?)。
◆大阪府の条例ができたとき、旧規則による指定から変更しようとしたが同意が得られなかったのだという。法律的にはなんともならない。大阪府も対処はしてきたがどうしようもないという。それはそうなんだろうが・・・。先代が急死したのも痛いのだろう。そうでなければ、ほとんど親族のつきあいがない状態で、自分が死んだときのこと土地と建物をどうするか、ということを本人が考え、大阪市や大阪府と相談することになったかもしれない。寄贈するという話もありえたかも。しかし、急死により相続がなされた以上、相続税が発生してしまい、それを払うには売るしかない、とこうなったようだ。◆こんなもの、ほかにはないよな。記事からすれば大阪府内にはより古いものもあるのかもしれないが。府市協力して、地元も動いているようだし、平野屋新田会所の時は寄付も億単位で集まったと聞く。なにか対処はできないのか。これまた既に売買契約が成立し、解体の準備が進められているという。行政では、そんなこと言っても、いつなんどきにそなえて買い上げ予算が潤沢に用意されている、といった夢のような話はありえず、相談受けて、ただちに買ってくれるなら、と言われても対処のしようがないわけだ。
◆どうなんだろう、なんとかならんのか・・・。解体直前に報道されてもしんどい。むろん、方策はいろいろ考えていただいたんだと思うが、行政で対処できない場合、次の手を打つ仕組みはないものだろうか。府の旧の規則での指定物件で、新聞ネタ的には府指定を解除したということを取り上げているが、問題はこの建物が残せないのかということ。大阪市も対応してきたであろうが、報道では出てこない。
大阪市内で最古とされ、大阪府の文化財に指定されていた江戸時代初期の民家「渡辺邸」(同市淀川区)が近く解体される。所有者が多額の相続税を払えないという理由で建物の解体と土地売却を希望。府の古い規則に基づく指定だったため、府の文化財保護条例などと違い、所有者の申請だけで4月に指定が解除された。古い規則に基づく文化財は他に27件あり、府は今後も同様の事態が生じかねないと懸念している。
府教委によると、渡辺邸は平安時代の武将、渡辺綱(わたなべのつな)の子孫の家と伝えられる。敷地約2560平方メートルに母屋や土蔵など6棟が建つ。17世紀初頭に建てられたと推定される。府教委は1965年、「府古文化紀念物等保存顕彰規則」(1949年施行)に基づく重要美術品(文化財)に指定。住居として使用されていた。
ところが一人で住んでいた前所有者の女性が10年5月に死亡。唯一の相続人の女性は昨年12月、府教委に文化財指定の解除を申請した。府教委は土地の買い取りを検討したが、5億円以上かかるため断念。相続人に寄贈を勧めたが理解を得られなかったという。
文化庁などによると、文化財保護法(1950年施行)や同法に基づく文化財保護条例では、指定文化財の所有者に保存義務を課し、所有者の申請では指定を解除できない。しかし、同法や同条例よりも前に施行された府の規則では、所有者に保存義務はなく、所有者の申請で指定解除できる。
府は同規則による指定から、府文化財保護条例(1969年施行)による指定への変更を進めているが、文化財478件のうち27件が、所有者の意向などで規則指定のままだ。
相続人の女性は取材に「全ての相続税を払うには渡辺邸の土地を売る必要がある。遅れれば延滞税もかなりの額に上る」と話している。関係者によると、既に土地を購入する不動産会社との契約も済んでいるという。 こうした動きに対し、地元住民らは保存会を設立し、市に歴史公園として活用するよう求めて署名活動をしている。世話人で前所有者の遠縁にあたる山本憲作さん(40)は「貴重な歴史財産なのに、解体に向かっているのは寂しい気持ちでいっぱいだ」と話している。(毎日新聞)
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。