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◆たぶん、確認調査の段階では、空中写真とかを綿密に観察することなどしていないのだろう。丘陵尾根の開発予定地南側なども見て回ったかもしれないが、起伏などがあってもいつのものかはわからないし、城郭研究者の目でみないと、なかなか判断は難しかろう。しかし1980年の地形図くらいは見ているだろうに。これも見ていない?。残りがある程度悪いのは丘陵地だから当たり前。平地や谷部とは違う。
◆が、広域農道の時の残土などが盛られたりしていたのだろう。改変以前の旧地形をあまり調べずに、現状の荒れた印象、確認調査で目立った遺構が頂部で検出されなかったこともあり、パイロット事業の時にかなりかき回されほとんど削平されたと思いこんでしまったのだろう。が、そういうことは多分ない。むろん、農道をつけた部分では一定の削平はあっただろう。またそれ以前に、尾根上面は比較的幅があり傾斜が緩いので畑にしていたといったことも考え得る。しかし、いずれにしても、1960年頃までの段階で、重機で大がかりに改変されていないことは、1980年地形図からも見て取れる。東縁はじめ土塁状の高まりなどが残る状況は、1980年までこっそり残っているのである。
◆そして確認調査。AトレンチとBトレンチの地山の高さの違いについて、ほとんど意識はなかったのではないか。見た目でもわかったであろうが、新しい土盛りもあり底面は深く、よくよく見ないと、はっきりした高さの差を認識するところまでいかなかったのではないか。帰ってきて断面図をつきあわせて初めて、あら、地山の高さが違う、という状況だったのかもしれない。こうした層位図は、確認調査の概要を会議等で示す際に既に作成されているが、「子院間の段差」といった説明はその時点ではなく、報告書で初めて判断が示されている。センターから提出された層位図をもとに、和歌山県がどう読んで、それを委員等にどう説明したかはわからないが、頂部に遺構はないとして本調査不要という合意が取り付けられることになる。
◆しかし一方で遺物は出土し、子院はあったんだろうと。まったく表土直下ですぐに地山が出てきて、のっぺらぼうで何もない、というわけではない。もともと子院があったとするなら、念のため、全面掘っておくか、というのが、今回の場合なら当然だったはず。ここに大きな誤りの出発がある。あとは高低差に気づこうが、鯱瓦が出土し「おや、鯱を上げた瓦葺き建物があったんだ」となっても、それを追究するという方向には動かなかった。
◆整理すると、(1)今回の本調査地点である西縁に土塁状の地山の高まりが存在するのに掘りきっていない。(2)頂部中央に、報告書でも「子院間の段差」と認識する遺構があるのにほったらかし、(3)東縁では地形図にも現れるほどの高まりが南北に続き、確認調査でも地山の高まりとして検出され、おまけに大きな石の集積まで見られたのに、まったく頓着しない。(4)開発区域の南端には空堀状の窪みがかつて明瞭に存在し、一定の深さがあるので検出可能と思われるが追求されない。これで頂部には何ら遺構がないとして、記録保存の措置を執る必要がないという判断はもはや許されまい。
◆そして、上記の4つのポイントは、すべてわれわれの考えてきた城郭的遺構ではないかとする遺跡の性格判断に直結する。犬走り状の通路は防御的なものかも、という見方があることを和歌山県も表明しているが、まわりの調査成果から一般的な子院の広がる一帯だから「やっぱりちゃうやろ」と勝手に判断する。上記のポイントが目に入らないのだから、しょーがない。城砦なんてアホなことを言うヤツがいるけど、そんなの遺構の解釈を誤っているから相手にする必要はないと、こちらは小馬鹿にされているわけだ。
◆ま~、掘ってみてくださいよ。オレも、専門分野ではない、いろんな人の意見の影響を受けているだろう。が、実際にあの場に立ち、遺構を見て、抱いた感触に出発している。城的なもの、こういう表現もどう言っていいのやら専門でないので適切ではなかろうが、城的なものとちゃうか、と思ったわけだ。不安もある。和歌山に行く機会があった時に、再度、あの尾根を見に行った。西側からの高低差、それが南にどのように続いていくか、自分のなかで確認しておきたいと思ったからだ。で、やっぱり、この尾根は重要だ、と。城的なものという感覚は、最初の頃は強い自信があったわけではない。しかし、報告書ができあがり、検討会を通じて空中写真や地形図などを見せられると、確信に変わっていった。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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