人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
用明初葬陵は谷首?
◆5月21日、ナブンケンに行く。小澤さんのところに器財を返しに。谷首古墳のリーフレットを渡すと、テルちゃんが用明陵と言っていたというので何かと思ったら、例の文献で、オレはそんなところまで読み込めていなかったわけである。が、ほんま?、ちょっと小さいやろ、とは思う。しかし(磐余の池の)池上の陵にふさわしい場所はどこかという、そういう追求は当然ながら正しいわけだ。用明初葬陵?、天王山式ちゃうか、と思うが・・・。
◆そのあとセンター長の部屋に行くと、難波さんに膨大な抜き刷りをいただいた。いつもいつも顔をあわすたびに、書いたものをいただく。それに対し、なにもお返しができていないので、ちょっとまとめてお送りしておこう。せっかくなので、銅鐸の話、弥生後期の話、そういう自説を説明し、楽しく談義する。どうやら自然銅でなく中国のインゴッドであるという証拠もそろいつつあるようだ。話を聞いていると、近畿式銅鐸は唐古ではないとの見方をしているようで、それなら河内かな、と思った。第Ⅴ様式の土器の話を土曜日に聞いたが、やはりヤマト国形成を主導したのは河内とみるべきで、大和の拠点集落の廃絶が遅いのは、その段階で、ようやく河内が大和を取り込んだと考えるべきかも知れない。直後に纒向遺跡ができるのも、大和の拠点集落のあり方の中からの変化でなく(ふつうでいけば激変はしないだろう)、河内勢力が押さえ込みに成功したことによる本拠形成とみた方がいいのかもしれない。いろんな専門のみなさんと話をするのは楽しいものである。
◆収穫はそれだけにはとどまらなかったが、このへんで。
◆そのあとセンター長の部屋に行くと、難波さんに膨大な抜き刷りをいただいた。いつもいつも顔をあわすたびに、書いたものをいただく。それに対し、なにもお返しができていないので、ちょっとまとめてお送りしておこう。せっかくなので、銅鐸の話、弥生後期の話、そういう自説を説明し、楽しく談義する。どうやら自然銅でなく中国のインゴッドであるという証拠もそろいつつあるようだ。話を聞いていると、近畿式銅鐸は唐古ではないとの見方をしているようで、それなら河内かな、と思った。第Ⅴ様式の土器の話を土曜日に聞いたが、やはりヤマト国形成を主導したのは河内とみるべきで、大和の拠点集落の廃絶が遅いのは、その段階で、ようやく河内が大和を取り込んだと考えるべきかも知れない。直後に纒向遺跡ができるのも、大和の拠点集落のあり方の中からの変化でなく(ふつうでいけば激変はしないだろう)、河内勢力が押さえ込みに成功したことによる本拠形成とみた方がいいのかもしれない。いろんな専門のみなさんと話をするのは楽しいものである。
◆収穫はそれだけにはとどまらなかったが、このへんで。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。