人を幸せにする人になろう

5月のある日、東高野街道を行く(3)

◆古市駅に近づいたところで、白鳥神社はどこかと、レンタサイクルの年配の夫婦に尋ねられ、行き過ぎてますよと。それは間違いではなかったのだが、現位置認識が、こっちも間違っていた。で、案内がてら白鳥神社に折れ、模型を見て、観光案内所にもより、東高野街道に復帰する。が、西琳寺を通り過ぎてしまっていたので、戻って訪ねる。そして竹内街道との交差点。そこから高屋丘陵に向かう。

5月のある日、東高野街道を行く(2)

◆道明寺からは、まあ旧道をたどっていける。2月に高屋築山古墳の立入り 観察の際に、古市駅あた りから南は既に歩いている。
◆ずいずいと南に下っていくと、西名阪を越え、反正墓(誉田御廟山古墳)の方に入っていく。そのまま進むと、藤井寺の方に行く道との分岐点にたどりつく。
◆その先を行くと、誉田八幡さん。イベントが行われていて、たくさんが集まっている。
◆国道170号旧を横切り、古市へ向かう。角の家は立派な旧家ですね。

5月のある日、東高野街道を行く(1)

◆このところ、ず~と、あんまり調子がよくない。ず~とダルイ感じ。病気でしょうか。
◆さて、東高野街道の大和川から南を歩くことにする。船橋あたりをうろうろするも、旧道の雰囲気のあるところが見当たらない。ちなみに船橋、明治の地図で見ると、村としては小さいですね。
◆そんなんで、府道から踏切をわたり道明寺天満宮に向かう。2000年12月、玉7の測量をやった折り、道明寺の宿舎に泊まることになっていたが、初日、作業を終えて宿舎に向かうが場所がわからない。電話で聞いて入り込んだ道、これが東高野街道である。道明寺天満宮と道明寺は、江戸時代の神仏習合当たり前のなかで、どうだったんですかね。住吉大社の神宮寺もそうだが、もはや完全に分離してしまって、江戸時代の様子が想像できません。
◆ちなみに、道明寺天満宮の段丘斜面のところに、埴輪窯の表示があり、立派な看板が世界遺産がらみで立てられていた。コンクリートの窯体表示は前からあったのだろうが、気がつかなかった。立派な看板ができて初めて、「うん?、これは何」と近づいた。

政治的立場の分かれ目

◆は、これ、だそうです。

飯森山城の模型

◆去年の考古見学会で四条畷の資料館に行ったとき、飯森山城の、空中レーザーデータによる模型があったのを思い出す。3D削り出し模型なんでしょう。

2019年5月11日の見学会、その後

◆東大阪市埋蔵文化財センター→東大阪市立郷土博物館→瓢箪山古墳→心合寺山古墳→愛宕塚(昨 年の台風による倒木で石室に入れない)。
◆そしてメインイベントの高安古墳群の石室めぐり。なかなかいいマップが作成されています。それをもって、主だったものを見て回りました。全部でかなりの横穴式石室を見ました。写真は抜塚。河内山本まで学生らを送る。

2019年5月24日、峰山

◆そんなんで、17:00に大学を出て(もう1便は別の動き)、丹後に向かう。2時間で 丹後大宮です、早いですね~(岡山の方が遠いですね)。別便は1時間ずれで到着、20:30前に回転ずしに晩メシを食べに行く(なんか、なつかしいです。玉手の頃、現場終了の日は、機材を積み込んで、昼に回転ずしに行ってたなと)。コンビニにより、呑みたいヤツは各自で、とし、ホテルに戻る。12時頃まで近鉄の準備をと思いつつ、もう少し早く寝たのでは。
◆起床は5時(明るくなるのはもっと早いんでしょう。写真)。じいさんなので、目が覚める。すこしボ~っとしてから、発表準備をやっておりま す。まあ、ちゃんとした準備は無理なので、まず項目立てのレジュメ。2013年のレキハク研究報告での図をチェックしています。
◆馬見の、築山、島の山、新木山、河合大塚山について(ウワナベ、もだが)、今日的なちゃんとした図がほしい!。

土曜日の近鉄文化サロンで淡輪を

◆5月の終わりにあったな~、と。一方で月末は函館に行くことにしている。水曜日くらいに、ふと近鉄文化サ ロンはいつだったかなと確認すると、この土曜日ではないか。宮内庁の淡輪ニサンザイの調査があり、われわれが西陵を測量し、最新の成果を、と考えてきた。それに第3系列の話、和泉市史信太編の時に考えたこと、これで1回なんとかなるかと。が、それは手前に1週間ほど準備すればの話。
◆木曜日の院演習、研究会のあと、丹後に行くことにしており、金曜日は現場。金曜日の晩は徹夜でしょうか。

行燈山は崇神陵は定説か

◆考古学の世界ではそうなっているのだとか。ほんまか。
◆これ、岩波書店のシリーズ〈古代史をひらく〉『前方後円墳』というもの。執筆者の方から送っていただいた。そのなかの古代史、吉村さんの文章です。
◆こっちの感覚でいうと、2000年ごろ、行燈山も渋谷向山の年代差もあんまり詰められていなかった。そのなかで、埴輪の研究をやっている方々のなかで、年代差が明確にされていった。自分としては行燈山型の設定。これ2000年末から2001年初の測量で玉手7の図ができあがっていき、これ行燈山だとなる。そして行燈山型を集め、発掘されているもので年代を詰めていき、4世紀前葉だろうということになっていく。

感動できます

◆えらい人は世の中にいっぱいいます。

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索