人を幸せにする人になろう

2019年6月1日、函館(3)

◆そこからロープウェイ乗り場まで歩き、函館山に登る。遠望した後、ビールを飲みに入る。まだ夜景には早い時間だったので、眼下を見下ろせる窓際を確保、このあとどんどん人が入ってきた。
◆夜景になる前に降りる。下りのロープウェイに乗る人は少ないが、上がってくる人は150人の定員いっぱいかと思うくらい満杯。みなさん夜景をめざして来るのですね。わたしは、日中に、「あそこが何」と視認できる方が楽しいけど。このロープウェイは10分間隔です。

◆南部藩陣屋跡→(坂本龍馬の銅像、蝦夷地に来たかった、らしい。でも来ていないのに銅像を作るか?)→日本最古のコンクリート製の電柱→娘が予約してくれていたスペインバル。この頃には雨が降ってきて、雷も(函館山展望台の人たちはたいへんだ)。
◆五稜郭近くのホテルに入り、再び呑みに行く。娘をタクシーで送る(自転車で出てきていて、函館駅前に止めていた)。第1日目は終了。

2019年6月1日、函館(2)

◆いちいち書いていると終わりそうもないので、なるべく簡潔に。その前に。津軽海峡の荒波が、函館山に遮られ、その内側が天然の良港になったことがよく理解できる。
◆函館空港から函館駅前へ。そこで市電の2日間乗り放題チケットを買い、末広町へ。東浜桟橋記念碑→函館運上所跡(いま自衛隊?)→北方民族資料館(アイヌ関係)→相馬株式会社の建物→諸術調所跡→坂をあがって宇須岸河野館跡→ペリー銅像→旧イギリス領事館(展示も結構充実)
◆伝建地区に入る→街並み資料館、100円だけど誰も入らない(外国人だらけ)、そこで伝建マップを100円で買う(いいマップなんだけど、ほかではあまり売っていなかった)→南下する、映画のロケ地かなんかで、写真を撮る海外の観光客(台湾からが多いらしい)。
教会が3つあり、本願寺もある。
◆昼に函館駅で娘と待ち合わせ。朝市(これはエリア名です)で、海産物を中心に食べる。レンタカーでないので、昼間から呑める。

◆そこから歩きだし→青函連絡船記念館(入ってません)→赤レンガ倉庫群→旧金森洋物店(展示 施設)→重文になっている?旧相馬邸(相続者がいなくなった時に、だれも引き取り手がなく、有志者が買い取ったのだとか。800円するけど入ってみてください)→高田屋嘉兵衛の子孫がやっている北方□史資料館(閉館)→市電で青柳町まで行き、函館公園内の市博物館に行く。
歴史的なものが各所にあるので、展示施設が民間含めていっぱいあって、充実しているといえる。が、一方で、ここに行けば函館の歴史がひと通りわかるという博物館であってほしいが、そうではなかった。〈アイヌを描く〉、〈函館戦争終結150年〉の企画展ばかりで(もしかすると常設をはずしたのかもしれないが)、ロケーションも含めて、なんとかならないだろうか。
◆函館公園自体が、国内で何番目かという歴史のある公園である。そのなかにある旧博物館2棟も明治の早い時期のもので(いま博物館になっているのはまた別)、この当初から博物館が置かれた公園内にあることは、まあ必然なんでしょう。けれど、なかなか人は来てませんよ。
◆観光客の多く集まる赤レンガ倉庫群、あるいは伝健に近いあたりに、函館のあちこちのサテライトとは別の、センター博物館があると、きわめて効果的だろう。

2019年6月1日、函館(1)

◆春先に決めていたもの。娘が、北大水産の大学院に進み、函館にいる。理学部ではやりたいこと をやれる研究室がなく、マウスの骨格の計測をやっていた。それを投稿論文にしているが、査読が返ってきて直している。大学院ではタコの擬態の研究をしている(イカをやっているアメリカ人の先生の研究室だそうです)。
◆金曜日の15時に出て、品川に向かう。
◆大阪から函館の便は昼便で、滞在時間が限られる。また、カミさんが金曜日に東京での仕事が入っていた。そこで、土曜の羽田発7:15発便とした。で、金曜日にわたしは新幹線で品川に。せっかくなので、息子を呼び出し、品川で食事をする。大鳥居のホテルに泊まり、翌朝、函館に飛ぶ。

淀、八幡、東高野街道(3)

◆枚方に入り、旧道をたどっていく。
◆八幡市内は、東高野街道の表示が、少なくとも石清水に近いところ は、かなり充実していた。南に行くと、それも希薄になり、枚方市域でも、ちょこっと板に字を書いたようなものを立ててくれているところもありましたが、よくわからなかった。そりゃそうですよね。マチを通過しているところでは舗装するとかしても、枚方は段丘のへりを通しており、基本、村を通過するところをのぞけば田園地帯ですからね。
◆八幡市内は、駅前の観光案内書でマップをもらってきていたが、枚方市域はよくわからず。川に突き当たって、スマホで調べたものの、ため池のところで間違い、引き返すことはせず、京阪の駅をめざす。
牧野駅にたどり着き、大阪に戻る。
◆写真は、大阪のどこかの駅の構内にあった、京都の美術館の企画展のポスター。大阪から来てくれと、4館がこうしたポスター掲示を共同でやっているのは、なかなかよいと感じる。

淀、八幡、東高野街道(2)

◆八幡に移動し、東高野街道を南下し、ヶ峠をめざす。八幡もなかなか街並みがいい。
◆そ うだ、西車塚古墳の近くを通るはずなので、何十年ぶりかに行こうと、どこかなと。後円部に八角堂が建っている。それらしいものが近づくと、なにやら人がぞろぞろと集まってきている。
登り口のところには、八幡市教委の人がたくさんいる。みな古墳を見に来た?、と思ったら、ふだん未公開の八角堂を内部公開するというの で、人が集まっているのでした。
◆これ石清水の離れた境内だったものを、交換した、とか説明があったのかな。忘れましたが・・・。
◆洞ヶ峠にたどりつく。国道1号線が通過。少し前に、大阪の歴史演習で、島本町のことを調べている学生に、梶原台場の資料を示そうと『ヒストリア』をあさっていたら、関係個所を示した、わたしの作った地図が出てきて、見ていたところでした。

淀、八幡、東高野街道(1)

◆淀城へ行く。初めてでした。今残っているのは本丸と二ノ丸なんで しょう。
◆地元
のみなさんが 知ってもらおう、見に来てもらおうと努力していた様子が垣間見られたが、いまはそうでもないよう。行政も史跡として一定のことをやってくれればいいのでしょうが、あんまり手をかけている様子はない。
◆京都はいっぱいあってたいへんでしょうが、しかし京都だから
こそ、ほかの自治体と同じでなく、もっと歴史遺産を充実させるべきですね。お寺さんはお寺さんとして、あちらこちらにある歴史遺産を、地元とともに、少しずつ条件整備を進め、看板を設置し、地元の管理団体を育成してと、進めてくれればいいのですけど。
◆淀藩があり、その近世城郭が残り、ふつうなら目玉なはず。が、淀は競馬場なのです。

近鉄文化サロン、淡輪ニザンサイ

◆後円部径70歩(南朝尺)、墳丘長120歩180mでしょうか。とはいえ、大仙と思っているが、これ だと6:6:2.5:6になってしまう。ま、設計レベルでやらんといけません。
◆王墓ではOP値はきっちりしていても、規模の小さい複製墳を作る際には、王墓での比率から自動的に各部寸法は算出できるが、実際には後円部径などの端数を調整する、と考えている。そうすると、できあがりの寸法とその比率にはバリエーションが生まれ、OP長さが9(6:3)か8(6:2)かという差が不明瞭になってしまうのでは、と推測している。そういうのも、設計寸法でちゃんと説明できるものにする必要がある。

近鉄文化サロン、西陵

◆2019年5月26日の近鉄文化サロン、なんとか資料を作り、パワポを作り、こなしました。
◆西陵に メッシュをかけました。けっこう、きれいにのりますね。後円部径80歩(漢尺)、墳丘長150歩208mでしょう。220mもないと思うけど。これ、第3の系列で、より前方部相対長が長い。
◆ということは、
主系列  6:6:3:6
副系列  6:6:2:6
第3系列 6:6:4.5:6
こういうところでしょうか。

2019年5月19日、紀美野→宝殿

◆もう忘却だが、この日は、朝、紀美野に向かい、昼ごはんを食べ、そこから宝殿に移動し、夜、戻ってきた。この土日は、和歌山では田植えでした。
◆まず、かつらぎ町 で佐野廃寺に寄る。いつのころからか、国道24号線沿いに、県史跡佐野廃寺跡の案内表示がなされる。たぶん最近。看板もあるし、前に場所を確認していたので、北上すると、無事、行きつきました。
◆一画が公有化され、史跡公園として整備されている。木製基壇の塔、その西に金堂の貼芝仕上げの基壇がある。住宅地で、中心伽藍をまとめてというわけにはいかないが、主要部分について確保し、目に見える形に整備されたことが重要なんだろう。遺構が残っていれば、将来、さらに広げていけばよい。
◆花坂で、掛屋に焼き餅を買いに行く。
◆紀美野町長谷宮に着き、天野に向かう。天野はなかなかいいところで、世界遺産に なっている丹生都比賣神社 のある盆地(奈良県の都祁もなかなかいい田園風景です)。そこの「客殿」というところに、ごはんを食べに行く。予約客ばかりのようだが、昼より前で、案内してもらいました。おいしかったですよ。メニューはシンプル。
◆和歌山のお母さんは、この日の午後、高校の教え子たちが訪ねてくることになっているとのこと。

5月のある日、東高野街道を行く(4)

◆そこから先は未知の世界。高屋丘陵を南に進む(これもそこそこ長い)。南阪奈の水守交差点の ところ。それを越えて富田林市内に進 む。最後は突き当り、喜志駅に向かう(写真上)。
◆車を道明寺に置いて歩いたので、喜志から道明寺に戻る。今回は喜志までだったが、この先、河内長野までの道のりも、いずれ改めて。
◆破風のところに庇を取り付ける、独特の家屋を富田林で目にする。これ入母屋風にするためのものかな?。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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